第84話:女王の手記に秘められた仕掛け④
『儀式は承認された。これより転生の儀を執り行う。』
智香子の上から妖精が退ける。それと一緒に声も戻され、急いでエフィエルシーの元へ走った。
彼女の切断された腕から血は出ていない。
しかし、以前見た模様が、心臓から体に向けてびっしり刻まれており、彼女の意識ももう途切れかけている。
「エルシー!エルシー!だめよ、こんなところでくたばるつもり?!」
返事する力さえ残っていなかった。
目だけが合う。
茶色の瞳。
しとしとと涙が溢れて、落ちていく。
見るに耐えない彼女の様から目を逸らすことなく、智香子は小さな声で「大丈夫」とだけ呟いた。
智香子は儀式を遂行する妖精に向く。
次いで周囲の妖精たちへ。
同族がこうして殺されかけているというのに素知らぬ顔でいる彼らに怒りを覚えた。
「ちょっと!何ぼーっと見てるのよ!こんな儀式止めなさいよ!どう考えても正当な儀式じゃないって分かるでしょ!?」
『女王の手記を盗んだ』
『妖精を殺した』
『大罪』
『大罪』
「妖精は殺してないわ!確かに手記は盗んだけど…。でも、あれは偽物だったのよ!本物はまた別のところにあって、」
『そんな嘘信じない』
『お前たちを見つけた場所、何もなかった。』
『女王の手記はどこだ』
『本物は別にあるというのなら』
『その本物はどこにある』
『どこだ』
『どこだどこだどこだどこだ』
どこだどこだとの言葉だけが響く。
席に座っている中で目が合った人間は、智香子が何か言葉を発する前に首を振った。
『僕らは何もできないよ。ここは妖精の国だ。彼らのルールに従わないといけない。妖精たちのルールは王が決める。王がこの儀式を承諾した時点で、もう何者も覆すことなんて出来ないんだよ。それに、僕らは彼らの庇護下にある。彼らを裏切るようなことは、しない。』
ね、と首を傾げれば、周りの妖精たちが彼らに愛を囁く。
お互いに依存し合っている関係は、側から見れば狂気じみていた。
「はぁ?!こんの、意気地なし!ほんとに同じ人間なの?!」
思わず拳を硬い地面に叩きつける。
痛みが体に広がり、改めて今が夢ではないことを教えてくれる。
落ち着け。
でも、思考を止めるな。
「さっきから女王の手記はどこだどこだって五月蝿いわね。まるで花に群がる蠅ね。」
口を止めるな。
彼らの思考を少しでも止めろ。
この儀式を少しでも長引かせろ。
考えろ。この状況を、切り抜ける方法を。
智香子から蠅と表現されたことに怒り、妖精たちは声を張り上げる。
『なんてことを!我らに向かって蠅だと?!』
『無礼!無礼!今すぐ転生を!』
『『転生を!転生を!』』
転生コールに怯まず智香子はニヤリと笑う。
その顔に恐れを抱いたのはその場にいる人間だった。
彼らは転生の意味を知っている。
人間があの光の先に進んでどうなるか定かではないが、妖精と構造が違う生き物だ。
そもそも儀式ではまず首を切り落とされる。
首を落とされたあと、妖精たちと同じように簡単に転生できる確証も保証もない。
言わば死に向かっているのと同じ。
だが彼女は笑った。
妖精を愛し愛される状態に知れず酔っていた者たちは、今自分たちの前で小さい人間の少女が殺されるかもしれないということ。それを分かっている上で自分たちの保身を優先し彼女を見殺しにすること。
その事実に冷や水を掛けられたように冷静を取り戻した。
そして恐れを抱いた。
正常であるならば、この状況で笑えるわけがない、と。
「そんなに知りたいなら、教えてあげるわ。」
ゆっくりと立ち上がる智香子。
「女王の手記は、あそこよ!」
彼女が示したのは、儀式の進行を一任されていた最上級妖精。
それが持つ、本。
『何を馬鹿なことを、』
一笑した火の妖精王カルパトだったが、彼の言葉が終わる前に妖精たちは最上級妖精めがけて飛びかかる。
これは女王の手記ではないと叫ぶ最上級妖精。
女王の手記だ、手記でないなら見せてみろ、見せられないなら女王の手記なのでは、と騒ぐ妖精たち。
何も手を出せずにいる人間たち。
慌ただしい事態に、妖精王たちは騒然とする。
目をやるのはこの事態を引き起こした、魔力なしの小さきか弱きたった一人の人間。
彼女は笑っている。
「妖精王なら、この事態を早く治めなさいよ。仮にも王様なんでしょ?自分と同じ属性だけでも鎮めて、この状況をどうにかしなさいよ。ほら、『それは女王の手記じゃない。偽物だ。』って。言ってあげなさいよ。」
何も言わない妖精王たち。
智香子は一つの仮説を立てていた。
「あんたたち、本物の妖精女王の手記が分からないのね。」
妖精王たちの体がわずかに震える。それは動揺の証だ。
『わ、かる!分からないわけがねぇ!妖精王だぞ?女王のお側にずっといたんだぞ?!分からないわけが』
「じゃあなんで明言しないの。あれは、女王の手記じゃないって、はっきり言いなさいよ。」
しかし彼らはたじろぐだけで、今も騒いでいる妖精たちに何かを言おうとはしない。
智香子は呆れたと息を吐いて倒れているエフィエルシーを優しく抱える。
両腕がないので、彼女の体に抱きつく形となる。
足を少し引きずることになるが、許してほしい。
「さっきから気に食わなかったのよ。自分たちで行動しない、どこだどこだと問いただすだけ。そんなに見つけたいなら、女王に会いたいなら、死に物狂いで探し出しなさいよ。ウジウジして情けないことこの上ない。王ならその名に合った風格の一つでも身につけてるべきなんじゃないのかしら。出来ないのならそのお高い地位、さっさと捨ててしまいなさい。あんたの他にもいるはずよ、その席に適した人物が一人くらいわね。」
震える妖精王たちをそのままに、智香子はあらかじめ確認しておいた扉へと向かう。
四人の中で、黄色に身を包む妖精王。
名前は確か、ザラークだったはず。
彼だけが他の三人とは違い、怒りも悲しみもない。
ただ優しい眼差しでエフィエルシーを見ていた。
そのことに疑問を持ちながらも智香子は足を止めずに走る。
間に合え!と必死に足を動かすが、エフィエルシーの抱え方が上手くいかないためにいつもよりも足が前に進まない。
(働け!運動神経!)
震えていた妖精王の一人、水の妖精王ヤーレンが動く。
『シャール!なぜ逃げるのか!それが本物でないことを示せばよいだけだ!』
名前を呼ばれたのは、妖精たちから追いかけられていた最上級妖精である。
『これは本物ではありません!ですがヤーレン様!なぜ、己よりも格下の者から指図を受けねばならぬのです!彼らからの見せてみろという命令を聞かねばならぬのです!私は優秀であり、立場もある!そうでございましょう?!』
水の最上級妖精、シャール。
彼は最上級妖精の中で最も地位と能力の高い存在であった。
高いからこそ、それ以外を格下だと見下していた。
彼の考えを可笑しいと思うのは、話が聞こえていた智香子だけ。
『うるせぇ!!』
頭を掻きむしり、火の妖精王カルパトが叫ぶ。
『さっさと中身をみせろ!!』
感情の高ぶりによりカルパトの周囲で巻き上がる炎に『ひぃ!』と悲鳴を上げたシャールは本の中を妖精たちに見せる。
ただ儀式の流れが書かれているページに大きく舌打ちをした火の妖精王カルパトは、逃げる智香子を睨みつける。
『捕まえろ!!!』
数歩で扉までたどり着くというところで、智香子はエフィエルシーとともに地面に伏すことになる。
後ろにも前にも妖精ばかり。
かわいい顔を怒りに歪ませて、智香子を憎いと見てくる。
「早かったわね。あなたが高く無意味なプライドでもっと逃げ回ってくれたら、ここから逃げられて助かってすごく嬉しかったのに。とんだ期待はずれだこと。」
自分に向けられた言葉に水の最上級妖精シャールは顔を赤くする。
何も言えないシャールに代わり、風の妖精王フェリカが前に出た。
二人を元の場所へ連れてくるよう指示しようとしたが、その前に口を開いたのは智香子だ。
「ねぇ。それって本当にあんたの意思なの?」
質問を投げかけられたのは、智香子の前を飛んでいた一人の下級妖精。
『いしってなに?』
「自分で決めることよ。あんたは今、私たちを捕まえて、殺そうとしてる。それを決めたのはあんたの意思なの?」
『てんせいするの!』
「どうして?」
『だって、じょおうさまのだいじなしゅき、ぬすんだ!どっかへやった!わたしたちのだいじななかまをたくさんころした!わるいことしたら、ばつをうけなきゃ!』
「それが嘘でも?」
『?うそじゃない!ほんとのこと!』
「うそよ。それは、うそなのよ。」
『???なんで?しらない!知らない!わからない!分からない!』
『まりょくなしみりょくなしのにんげんが、なにしてる!』
『ぼくらのなかまをくるしめるな!』
『だまれ!だまれ!』
頭を抱える下級妖精に、他の妖精たちが声を上げる。
「思考を放棄してんじゃないわよ!」
それでも智香子の目は、一人の下級妖精に向けられていた。
一対一。黒い瞳に見つめられた下級妖精は、不思議な感じを覚える。
ふわふわとした、おちつかないような感じ。
「妖精の意思だから。妖精はみんなそうしてるから。それに流されてこんな大事なことを決めてんじゃないわよ。同調圧力に時には屈することも必要よ。でもこれは、命がかかってんの。転生しても、その先で生まれてくる命は、本当に同じその人だと言えるの?ただ前の人の記憶を持っているだけの別人じゃないの?そんな大事なことを、流されてふわふわした状態で決めるなんてはっ倒すわよ。私は今、あなたに聞いているの。」
『わたし…?』
下級妖精という大きなくくりではない、自分という一個体が、明確になる感じ。
「あんたたちもよ!」
突然矛先を向けられた妖精たち。
なんだなんだと互いに顔を見合わせる。
「こんな重要なこと、上が決めたから~なんてくだらない理由で自分の意思って言ってるんだったら、その羽もぎ取って、トープォーの羽の代わりにお守りに使ってやるわ!」
一体一体、いや、一人一人に向けられる視線。
自分を見てくる視線に、妖精たちは吸い寄せられる。
智香子たちを囲む下級妖精から少し離れたところにいた中級妖精の群れ。
そこから出てきた三人は智香子の前に進み出る。
「あら、あんたたち。いたの。」
ゲットル伯爵領で、風の上級妖精と共にいた三人である。
こつんと智香子の額に自分の額を合わせた。
『『『おい人間。』』』
「急に出てきて急に頭突きしてきて急におい人間って呼ばれて、一体なによ。今あんたたちのあれこれ聞いてる暇ないんだけど。」
『相変わらず減らず口め!』
『黙って聞くことも出来んのか!』
「黙って聞いてほしいならそれ相応の態度ってもんがあるでしょう!そんなこともわからないのかしら!」
自分よりも格下の中級が人間と勝手に話し出したことが気に食わなかった火の上級妖精が、苦言を言いに進み出てくる。
『おい!不浄の人間と何を勝手に話している!さっさとこちらへ戻ってこい!』
『うるさい』
しかし中級の一人が手を振れば、上級妖精は元の位置まで戻されてしまった。
信じられないと目を見開いたのは上級妖精だけではない。
妖精王までも驚きに口を開ける。
中級の中でも下位に位置する三体。
彼らはその力の弱さから、風の上級妖精の力のおこぼれをもらって生きていたはず。
いわば金魚の糞だった。
風の上級妖精が突然姿を消した後からは同じ中級からも見下されて肩身の狭い様子だった。
そんな中級妖精が、しかもその内の一体だけで、上級をあしらってみせた。
一瞥することもなく。
何が起きているのか。
その疑問と同時に、上級妖精の中で焦りが生じる。
このままでは、地位が逆転してしまうのではないのか、と。
ありえない考えだと笑う。
だが焦りは、ずっと消えなかった。




