第68話:自然の力
智香子が急いで仰向けにした時、彼女の顔は蒼白になっているだけではなかった。
大量の汗、体の震え、息切れ。
呼吸の音が変な音を立て、苦しいのだろうかと服の襟元を緩めた智香子は息を飲んだ。
「何よ、これ。」
エフィエルシーの体から首にかけて伸びる、バラの蔦のような黒い模様。
それは少しずつ動いているようだった。
動き、徐々に徐々にエフィエルシーを蝕む。
まるで呪い。
理解できずに固まっていた智香子はエフィエルシーが咳き込み、血を吐いたことでようやく動くことができた。
体を横にし、血などで呼吸器官が固まったり埋まったりして呼吸ができなくなるのを防ぐ。
どうやら体に触れても感染するようなものではないらしい。
『それ、じりょくがえいきょうしてる』
風音が智香子の肩に止まる。
「ワルヵって、なに?」
『ようせいたちが使う、しぜんのちから。ようせいはみんな、あたりまえにつかえるんだけど、エフィさまはつかえない。うまれたときから、使えない。だから、からだにワルヵがのこって、たえられない。』
詳しく聞きたいこともあるが、なんとなくは分かった。
この黒い模様は妖精達が使うワルヵが体に溜まったことで出来た模様。
そのワルヵが、エフィエルシーを苦しめている。
「その体に残ったワルヵって、取り出せないの?」
風音は無理だと首を振った。
『そもそも、ワルヵが使えない、ワルヵがのこることがない。だれかのワルヵを使うキョウイクなんて、したこともない。だからなにもできない。』
そんな、と呟く智香子。
ガサっと音がして智香子はエフィエルシーに覆い被さった。
(もう追いつかれた!)
エフィエルシーだけでも守ろうと体を硬くしていたが、痛みも彼らの声さえも聞こえない。
そっと振り返ってもそこにはなにもなく、ただ風が吹いただけのようだった。
よかったと力を抜いた智香子。
『チ、カコさん…。』
「エルシー!」
目を閉じていたエフィエルシーが口だけを開く。
智香子が何かをいう前に、彼女は智香子の腕を掴んだ。
『私を置いて、逃げてください……』
その力は息も絶え絶えな様子からは想像出来ないほど強い。
茶色の瞳はただ真っ直ぐに智香子を見ていた。
「…貴方はどうなるの?」
問いに対して答えることはしない。
弱く笑うだけだ。
智香子は息を吸い込み、エフィエルシーから離れて立ち上がる。
背を向けられ、それでいいと笑うエフィエルシー。
近くで見ている風音は、2人を交互に見た。
どちらのそばにいるか悩んでいるように見え、エフィエルシーは囁く。
チカコさんのそばにいてください、と。
智香子には聞こえない小さな声も、風の妖精には聞こえる。
頷き智香子の近くまで飛んで行った風音。
智香子の足取りはしっかりしている。
目的地がはっきりと決まっているかのように。
目的地方面は、彼らが逃げてきた場所。
智香子は再び息を吸い込んだ。
「おーーーーーーーーーい!」
『『?!』』
森に響く声。
『な、なにしてる、にんげん!ばか!ばーか!ついにこわれた!にげろ!』
あわあわと宙を飛ぶ風音をそのままに、智香子は驚いているエフィエルシーに近寄った。
「なんで、とでも言いたげね。」
横たわる彼女の体を起こし、背負おうとする。
「まず第一に、私がどうして貴方の思いどおりにすると思ったのかしら。貴方、私に命令できる立場でもないでしょう?勝手に勘違いしないで欲しいわ。」
ごほっと咳き込むエフィエルシーは自分の血で智香子が汚れてしまったことに罪悪感を抱いた。しかし智香子は、なにも言わない。
背負われ、しかし一向に動き出さない智香子。
疑問に思ったところで、智香子の体が震えていることにエフィエルシーは気づいた。
正確には足が。
「フンっ。…なんで持ち上がらないのかしら…。」
何度も挑戦する智香子を、冷めた目で見るのは風音であった。
『…なにやってるの、にんげん。』
「あら、貴方の目は節穴?おんぶして運ぼうとしてるのよ。」
『みればわかる。』と息を吐いた風音は仕方がないと息を吐き、エフィエルシーの体を風で持ち上げた。
驚くエフィエルシーと智香子。
「ありがとう、風音」
『ふん!にんげんにかんしゃされてもうれしくない!』
ふと同じことが前にも合った気がする、と記憶を巡らせたが、思い出す前に風音から急かされて歩き始める。
智香子に捕まるエフィエルシーの力が、強まった。
少し立ち止まり、再び歩き始める。
「…私、貴方にまだ教えてほしいことがいくつかあるのよ。貴方教えるの上手なんだから、他の人から聞くより有益でしょう?それに生まれ変わりなんて待ってる時間も勿体ないもの。」
『…………。』
エフィエルシーは何も言わなかったが、掴んでいた力を緩め、智香子の背に体を預けた。
風音の後をついていく智香子は荒く呼吸しながらなんとか足を動かしていた。
「どこにいくの?」
『なんとなくあぶなくないところ!』
大雑把すぎる、とは思うが、智香子は何も言わずに風音を追う。
ここは妖精の国だ。
であれば、妖精である彼らの感覚が最も信じられるだろう。
例えその道中、背丈ほどある草むらに入らなければならなかったり、トゲ持ちの草の上を歩かなきゃいけなかったり、蜘蛛の巣が大量にある道を通ったり、へびに追いかけられたりしたとしても。
「これのどこが危なくないっていうのかしら!」
流石に、頭や顔、身体中に草やら棘やら蜘蛛の巣が絡まっている中歩き続けるのは辛く、加えてエフィエルシーを運ぶのもきつかったため、休憩をしている現在。
地面に寝かせたエフィエルシーを置いて、人間と妖精は喧嘩をしていた。
『なんとなくっていった!』
「それにしても限度ってものがあるでしょう?!途中なんか蛇に追いかけられたのよ?危ないでしょうが!」
『それはにんげんだけ。ようせいはあぶなくない!』
「あらそう。なら貴方のその綺麗な羽をもいで、人間の気持ちを分からせてあげるわ!」
『くるな!てんし!はねをとるなんてさいてい!』
「天使ってここでは悪口なの?!」
ギャアギャアと騒ぐ2人。
ゲホッとエフィエルシーがまた血を吐き、慌てて近寄る。
血を拭いながら、智香子はエフィエルシーの体の模様がいよいよ顔まで侵食してきていることに気づいた。
もうエフィエルシーの意識はない。
呼吸はするし体温もあるが、瀕死状態であった。
まだ智香子の体力は回復していないが、回復の途中でエフィエルシーが命を落としては意味がない。
額の汗を拭い、智香子は風音の手伝いを借りてエフィエルシーを背負おうとした。
とりあえず、彼らが戻るまでは、あの3体の妖精が追いつけない場所まで行かなければ。
そこで、智香子の背中に痛みが走る。
前に倒れた智香子は3体の妖精が追いついてしまったのか、と思ったが、それにしては背中の痛みはそこまでだ。
彼らなら智香子を殺す気で攻撃をしてくるはず。
後ろをみれば、智香子が望んでいた四色の光が見えた。
彼らはすぐに智香子から離れ、地面に横たわるエフィエルシーへと向かう。
苦しむエフィエルシーを囲む。
何が始まるのか。
赤、青、黄、水。
四つの光は徐々に大きく、優しく、エフィエルシーの体を包み込んでいく。
するとどうだろう。
エフィエルシーの体を蝕む禍々しい模様は光へと吸い込まれていくではないか。
収まった頃にはエフィエルシーの体から模様は無くなっており、彼女の呼吸も体温も、元に戻っていた。
安堵の息を吐く智香子。
その前に妖精がやって来る。
「あなたたち、生きられたのね。」
その言葉が気に食わなかったのか、赤と青と水色の光が智香子へとぶつかってきて、その背でどんどんと暴れる。
結構痛い。
「痛いわよ!」と背中から三色の光を退けようとすると、目の前に黄色の光がやってきた。
それは目の前で漂うだけ。
何を言うわけでも、喜びに揺れるわけでもなかった。
しかし、なんとなく感謝の気持ちを感じた智香子だった。




