第64話:可愛い物③
妖精が、というよりも、誰かが溺れているという状況に、智香子は驚き狼狽えた。
このなんでもありな異世界で溺れるのは智香子くらいだと思っていたからだ。
智香子の頭を駆け巡ったのは、過去に授業やテレビなどで知った水難事故への対処方法。
最も大事なのは、むやみに助けに行かないこと。
命の危機に瀕している彼らの力に引き込まれ、助けに行った人間も命を落としたケースは多々ある。
例え泳ぎに自信があっても、だ。
他の手段を探そうと浮きのようなものを探すが見当たらない。
周りにいる妖精たちを見てみると、皆顔を青ざめさせていた。
いけない。
「貴方たち!」
智香子の声に小さな体を震わせる。
溺れている妖精の姿を見て、自分たちまで溺れている気になっていたのか、正気に戻ったような顔である。
しかしその顔色はよろしくない。
「ユースティースさんを呼んできて頂戴!状況の説明は、貴方が行って!」
ぽかん、とする彼らに喝を入れる。
「このまま見殺しにするつもりなら、貴方たちの同族への情は大したことないようね!」
その言葉に下級妖精たちは怒りを露わにした。
『にんげんにそんなこといわれるすじあいはない!』
『わたしたちはわたしたちがだいじ!』
『みすてることなんてありえない!』
「ならさっさと自分の役目を果たすことよ!」
『『『『うるさい!わかってる!』』』』
怒り、文句を言いながらも、彼らは急いでユースティースの元へ向かった。
残ったのは風の下級妖精のみだ。
目でどうして彼らと一緒に行かなかったのか問えば、『にんげんの言うとおりにしたくなかっただけ!』と返ってきた。
本当に、とことんである。
ただこの状況で一人残されるのも辛かった。
彼らには気丈に振舞ったが、智香子だって内心真っ青どころではないのだ。
もし上手く対処できなければ、目の前で一つの命が消えてしまう。
その重圧が、自然と智香子の呼吸を荒くさせた。
(っ、落ち着くのよ、智香子。)
懸命に呼吸を落ち着かせる。
できないではない、やるしかない。
心臓の上のあたりに掌を置いてみるが、心臓が早いのが分かっただけで呼吸が落ち着いた感じはしない。
その時、風が智香子の頬を撫でた。
見れば下級妖精もこちらを見ている。
青ざめた顔でこちらを気遣うような素振りに、僅かに呼吸が落ち着いた気がした。
トン、トン、と胸を叩き、息を吐いた。
大丈夫。まだ、誰も死んではいない。死んでない。
大丈夫よ。
「貴方の風で、あの妖精を水から引き上げることはできないの?」
智香子を持ち上げてユースティースの家の中まで運べたのだ。
同じくらいの大きさの妖精であれば、引き上げることは可能なのではないか。
希望をもってたずねたが、その首は横に振られた。
『やってるけど、むりみたい。』
「水の中の物は持ち上げられない?」
『ううん。そうじゃない。えっとね、きっと、あのようせいだから、むりなんだ。』
どういうことだろう?と疑問に思ったが、それを聞くのは今じゃない気がした。
とにかく下級妖精の力は借りられない。
周囲に何か使えるものもない。
ユースティースを呼びに行ってはいるが、いつ到着するかは不明だ。
なら、できることは一つだろう。
「一つ、頼みたいことがあるわ。」
この作戦の最大の問題は、智香子の泳ぐ能力が著しく低いという点だ。
しかし、風の下級妖精の力があれば、何とかできるかもしれない。
方法を下級妖精に話し、智香子は待った。
川の中で溺れ、もがく妖精を見ながら、ひたすらに待った。
罪悪感が体を急かしてくる。
今すぐにでも助けに行きたい。
しかしダメだと自分を抑えた。
待って、待って、そして、疲れた妖精の力が抜けた瞬間。
「今!」
智香子が川に飛び込む直前に風の下級妖精が智香子の腰に空気を集める。
簡易浮き輪の完成だ。
しかし長時間は持たないと言われているため、早く上がらなければならない。
バシャバシャと手を動かすが川の流れが早くて、思うように行かない。
気合を入れ思いっきり手足を動かしまくる。
この智香子の泳ぎを高校の体育教師が見たら、二重の意味で涙を流すことだろう。
「よし!」
ようやく妖精の手を掴むことができた。
さて陸に上がろうと振り返れば、風の下級妖精が青い顔で叫んだ。
『うしろ!』
「うしろ?」
言われたとおりに振り向けば、数メートル先から川が消えているではないか。
つまり。
「滝?!」
ダダダダダダダと強い音が耳に入る。
なぜこんな大音量、今の今まで聞こえなかったのか。
やばいやばいと慌てて反対方向に行こうとするのだが、どう頑張っても智香子は智香子である。
先ほどまでに力のほとんどを使い果たしており、いくら頑張って抵抗しても全くの無意味。
ぱんっ
腰に集められていた空気もなくなる。
「あ」
まるでジェットコースターだ。
「いやぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
浮遊感に水圧に、意識が飛びそうになる中。
絶対に守るという気持ちだけで、妖精を腕の中で守った。
『チカコ!』
なんとか保っていた意識は、背中に強い衝撃を受けたことで、失った。
*
「っ、はぁ、はぁ、はぁっ、くっ!はぁ!」
馬を走らせながら、カロラスは心の中で焦っていた。
父クリストフ、そして母アリシスと、これからのことを話し合っている時に姉から入った知らせ。
「な、んで!なんで!今なんだ!」
いくらカロラスが怒っても事態は何も変わらない。
そんなことは分かっているが、しかし叫ばずにはいられない。
楽しい家族旅行になるはずだった。
兄の不純な気持ちは抜きにしても、久しぶりの家族旅行だ。
楽しくないわけがない。
自分たちには久しぶりの、智香子には初めてのカタールで、綺麗なもの、美味しいものを、見て、食べて、分け合って。兄が智香子に変なことをするたびに、自分と姉であるベネッタで止めに入って。智香子は何が何だかわからない顔して、父と母は笑って。
そんな旅行になるはずだったのに。
「まだ始まったばかりなのに!」
智香子が攫われた。
目的は不明。しかし、妖精の国で現在起きている問題に、巻き込まれた可能性が高い。
父と母は情報を集めるため、カタールへと赴いている。
「いいか、カロラス。」
馬車に乗り込む父と母を思い出す。
カロラス一人を国に戻すことを未だ渋っているようだった。
「一度洞窟へ向かうんだ。そこに、何かしらの鍵がある。」
「分かってるだろうけど、中に入ってはダメよ~。倒れちゃうからね~。」
「分かってるよ!鍵が手に入ったら、それをルバートに渡して、オレはチカを迎えに行けば良い。でしょ?心配しなくてもそれくらいのお遣い、オレにだってできるから!過保護なんだよ、みんな。」
一番の心配は、最近サボっていた馬乗りのほうだ。
乗れないことはないのだが、ついへっぴり腰になってしまう。
それをベネッタに笑われるのが嫌で、少し。ほんの少し、サボっていた。
これから自分が乗る馬を見て心配になるカロラスを、アリシスが馬車から降りて抱きしめてくる。
「ちょ、母さ」
「ごめんなさいね、カロラス。」
文句の言葉は、母の言葉で引っ込んだ。
父の手が頭に乗せられる。
「こうなってしまっては、私たちが手を出すことはできない。入り込めるとするなら、お前だけだ。…危険なことを、任せてしまってすまないな。」
「…別に、これくらい…。」
離れていく二人。
時間に余裕がないからだ。
「…大丈夫。オレだって二人の子供だ。無事にこなして見せるよ。」
心配をかけないように、しっかり目を見て伝えれば、彼らは嬉しそうに、寂しそうに、笑った。
「すべて終わったら、次こそは家族旅行に行こう。」
「えぇ、楽しみね~!」
そんな父と母を思い出しては、また前を見る。
へっぴり腰かどうかなど、今は関係ない。
例えへっぴり腰だとしても誰も見てないのだから気にしていても仕方ないのだ。
馬車で数時間かかった道のりを馬で駆け抜け、ようやく我が家に到着する。
1日も経たずに帰ってきたことに文句を言いたい気持ちを抑え込み、カロラスは馬を置いて森へと走り出した。
わずかに自分の足元へ魔法をかけて目的の場所へと急ぐ。
あの一件から、カロラスは魔法と妖精を怖がることをやめた。
正確には、やめようとしている。
まだ恐怖心は消えないが、積極的になっていることは一つの成長と言えるだろう。
「つ、ついた…。」
荒く呼吸を繰り返し、額を伝う汗を拭う。
目の前には洞窟。
赤の国、大国アドリオンの中に存在するこの洞窟は、別名“無夢の入り口“と呼ばれている。
中は異常なほど魔素の濃度が高い。
それ故、高い魔力を持っている者でなければ息さえできない場所だからと、その名前が付けられた。
カロラスも高魔力を所持しているが、こうして洞窟を前にすると頭が痛くなってくる。
中に入れた人間は過去に数名しかおらず、しかも彼らは入れたは良いものの、奥まで行くことは叶わずに出てきているため、中がどうなっているのかを知る者はいない。
しかし、最も深くまで進めた者の記録によれば、中の構造は下へ下へと続いていき、最深部には高濃度の魔素の発生源である何かがあるのではないのか、とのこと。
もし誰か最深部まで行けたのなら、その謎を解くことも可能になる。
ただ、自分の家族は皆、一度挑戦したことがあり、入れはしても進むことはできなかったため、恐らく無理だろう。
魔力のない智香子など、もっとあり得ない話だ。
今はこの洞窟に用はない。
この洞窟付近にあるらしい鍵を、探さなくてはならないのだ。
今、兄と姉を追い詰めている問題を解決するための、鍵。
すっと心を落ち着かせ、カロラスは周囲に“眼“を向けた。
揺れる草花、そびえ立つ木々、悠然と止まる岩。
全ての“心“を“眼“で見つめる。
「ーーーー……いた……ーーーー」
色褪せた、景色。
男女が、一つの木の根本で何かを見ている。
何を見ているかと“眼“を寄せれば、それは赤子だった。
[可愛いわ〜。あ、ねぇ、ウチの子にしまショ〜!]
母に似た話し方をする女性。
[そウだな。これも何かノ縁だろう。]
父に似た話し方をする男性。
彼らに抱えられた瞬間、赤子の色が変化する。
[おヤ?この子、元カラこの色だったか?]
[アら?どうだったかしら〜?]
2人は首をかしげ、しかし気にならなかったのか、赤子を抱きしめてどこかへと歩き出す。
ぼやける視界に、カロラスはこの記憶が終わりを告げていることを悟った。
「は?!え、待って!こんなのじゃ!」
一気に変わる景色。
現実の景色を前に戻ってきたと理解した。途端、カロラスは膝から崩れ落ちた。
意味が分からない誰かの記憶。
わかったのは、父と母がここで兄妹のうちの誰かを拾ったと言うことだけだ。
見えていたはずの赤子の色は、なぜか記憶に残っていない。
「こんなのじゃ、鍵なんて言えない!」
父と母と別れ、馬を飛ばした結果が、まさかの収穫ゼロ。
あまりの出来事に頭を抱えるしかなかった。




