第60話:家族旅行②
智香子は、つい数時間前の、意識が遠のいた時の感覚を思い出して身震いした。
ダミアンは智香子を鋼の体を持つ人間だとでも思っているのだろうか。
力の加減を覚えていただきたい。
このままではいつかダミアンに絞め殺されてしまうだろう。
空いた窓から入り込んできた風に呼ばれて目を向けてみると、広がる美しい景色。
「うわぁ!」
緑と青が大多数を占め、遠くには麦だろうか。黄色が見える。
この反対側には砂漠が広がっているのだから、変な気分だ。
「カタールに行く前に、少し復習でもしておこうか。」
クリストフが魔法で取り出したのは、世界地図が描かれている本。
普段、智香子との授業で使っているものだ。
黄の国、カタール。
赤の国であるアドリオンの左に位置する。
ちなみにカタールの知識を増やすにあたって、ようやく智香子はこの国の名前がアドリオンだと教えてもらえた。
シルナリヤスの周辺国であることは以前誘拐されたときにトイヤッグから教えてもらえていたが、その後に色々起きて忘れていた。
そうして今回、この国の左にカタール、右にシルナリヤスがあると知り、「この国がアドリオン?!」と驚くことになったのだ。
カタールはアドリオンと同様に国王が収めていて、現国王は今年44。貿易に力を入れているため、商売をする人を守るような法律が特別に作られている。
監査場が国の周りにいくつか設けられていて、許可証や身分証がないと入国が出来ない。
許可証等を持たない者は入国料を支払えば入ることが出来る。
「ただ、各国の法律や生活習慣に力を入れて、歴史まで学べていないのが痛いところだわ。この三日でカタールの歴史は教えてもらったけど、付け焼刃だし。」
「同時進行で多くのことを学んでいる最中だ。焦らず身に着けていけば良い。」
復習を兼ねて、智香子とカロラスはクイズ形式で問題を解く。
問題を出すのはクリストフとアリシスだ。
「カタールへの入国料はいくらだ?」
「オレ分かる!普通は2500円だけど、冒険者は2000円、商人は1800円!」
「うちの子天才~!」
「すごいわ、カロラス!私はシルナリヤスの出国料と混ざってしまうのよ…!」
「ほぼ一緒だから、覚えるの難しいよなー。」
「では次だ。アリシス。」
「は~い。難しいわよ~!今の、カタール王の名前を答えなさ~い。ただし、フルネームでよ~。」
「母さんズルい!黄の王の名前は、歴代国王の名前全部覚えてなきゃじゃん!」
ウフフと笑うアリシスに智香子が手をあげる。
「私、行くわ。今の国王の名前は、パトリック・アナ・ルイス・フレデリック・ヘンリー・アーネスト・オーネスト・ハジメ・デイヴィット・デイヴィッド・タキーナ・フーミャ・アルバルド・エリザベート・ミツキ・チャーリー・ジョルジー・フィリップ・メルシナ・シーバ・レンカ・ジョージ・アンドリー・カタール=パトリック!」
「………正解よ~!!天才~!天才だわ~!」
撫でまわされ褒めまわされながら、智香子は言えたことにホッとしていた。
初代国王から始まり、最後に現国王の名前が来る。
名前の前に国名を忘れてはいけない。
厄介なのは似た名前が続くときであるが、そこは気合である。
こういうのは覚えたくなる性格であった。
(というか、何人か日本人いるわよね?)
国王に数名(仮)いたのなら、今も異世界人がいるかもしれない。
会えるのなら会いたいな、と思っていると、馬車がゆっくりと止まる。
「休憩地点に着いたようだ。お昼にしよう。」
クリストフがお弁当を魔法で取り出す。
荷物として積むことも可能だったのだが、魔法で運ぶことで中身が崩れることもなく、出来立てほやほやの温かさが消えることもない。
冷えたお弁当もそれはそれで美味しいが、今回は移動中のお弁当をまとめて作ってあるので、魔法で運んでいる。
お弁当は智香子担当だ。一人で作るには大変だったためカロラスとベネッタもお手伝いをした。
一緒に作ったベネッタがいないことが残念でならないが、いくら考えたことで急にダミアンやベネッタが現れるわけではない。
彼らが用事とやらを早く終わらせて、一緒に旅行できる時間が増えるのを望むばかりだ。
「…ここは妖精の国に近すぎかしら~。」
「…入口はなさそうだ。それに私たちがいるのだから、そう勝手に連れていくことはないだろう。」
「そう、よね~。」
食べ終えて休んでいた一行。
そろそろ出発しようかと準備を始めた時、智香子は弁当箱を包んでいた風呂敷がなくなっていることに気が付いた。
お弁当を作ることになり、智香子の希望をかなえようとしたアリシスがわざわざ街で買ってきてくれたものだ。
先程近くの森の奥にある川で弁当箱を軽く洗った際に置いてきたのかもしれない。
「風呂敷を川の近くに置いてきたみたいなの。探しに行っても良いかしら?」
「あら~。ウフフ。良いわよ~、それなら一緒に行きましょ~!」
「ありがとう。」
サラサラと流れていく水の音は澄んで、川面を見れば底が見えるほど水は透き通っている。
妖精の国が近くにあるこの森は、タシャーパ森林、別名「妖精の遊び場」と呼ばれている。
可愛い見た目で気に入った者を妖精の国に連れて行ってしまうため、子供は幼い頃からこの森の中に一人で行ってはいけないと言いつけられている。
つい最近会った妖精たちのことを思い出す智香子。
可愛かった。が、中々な性格をしていた。
(まぁ、そもそも魔力が全くないのが原因みたいだったけど。)
魔力が魅力な彼らにとって、智香子は嫌悪の対象。
はっきり嫌いです、と態度に出されては、いっそ清々しい。
最終的には嫌悪の感情が減ったように思われたが。
目的の風呂敷はすぐに見つかった。
可愛いデザインというのもありお気に入りだったので、置いていくのは嫌だったのだ。
「見つかったわ。戻りましょ。」
「汚れてなかった~?」
「大丈夫よ。」
歩き出すアリシスの背を追いかける智香子。
ふと、何かが聞こえて立ち止まる。
なんだ、今のは。
「…声…?」
こんな森の中で?
振り返っても、あるのは綺麗な川と深い森だけ。
気のせいか、と再び歩き出そうとした時、先程よりもはっきりと声が聞こえる。
シャー…ン
『―――……て……―――』
小さい頃、お守りとして買った鈴の音が、こんな音だった。
ドリームボールだのガムランボールだの、いろんな呼び方があると知ったのは少し成長した後のこと。
音は遠くで、しかしはっきりと聞こえていた。
それに紛れる誰かの声も。
「誰なの!出てきなさい!」
「チカコ?」
呼びかけたアリシスの声は、智香子の耳には聞こえていなかった。
徐々に大きくなり、やがてうるさく感じるほどに鈴の音が周囲で響く。
耳を塞いでも意味はない。
「っ、何なのよ、これ!」
叫んだ直後、ぴたりと音が止む。
いや、鈴の音だけではない。
先程まで聞こえていた木々の音も、川が流れる音も、全ての音が消える。
何が起きているのか理解できないまま、ただアリシスは無事なのかと振りかえろうとした瞬間、背中を誰かに押され、落ちていく。
あったはずの地面が消えて、智香子は文字通りにどこかへ落ちていく。
その時ようやく、誰かの声がはっきりと聞こえた。
『―――……タスケテ……―――』




