第52話:連れて行こうとする輩その二、どころではない
カロラスは智香子が自分を受け止めてくれたことに驚いたが、同時にほっとしてもいた。
上級妖精は信じられないと智香子を見ていた。
人間の、それも魔力さえ持たない、人間の中でも弱い方に分類される人間が、上級妖精の魔法から抜け出したのだ。
上級妖精の力が弱まっていたとはいえ、そう簡単に抜け出せるものではない。
だが智香子の手や足首から流れる血が簡単ではなかったことを物語っていた。
カロラスが嬉しそうに智香子を抱きしめ返す。
智香子からさらに強い力で抱きしめ返されるかと思ったが、カロラスの背に回されていた手は予想とは反して、だらんと力なく落ちた。
それを始めとして智香子の体から力が抜けていく。
カロラスも魔力不足、体力不足、そして体に負った損傷により力が入らず、二人は座り込む。
なんとか力を振り絞って智香子の体を仰向けにしたカロラスは智香子が気絶していたことに気づいた。
このままではいけない。
ここから抜け出さなければ、カロラスは妖精の国へ、智香子は良ければ元の場所へ、悪ければ見知らぬ場所に飛ばされてしまう。
それはだめだ。
しかしカロラスも限界だった。
「チ、カ…」
智香子を守るように彼女を抱きしめながら、カロラスもまた意識を失った。
そんな二人を見て、上級妖精は息を吐く。
ようやくカロラスを連れて帰れる、と。
正直智香子の存在には心を多く揺さぶられて疲れたが、それも彼女が気絶した今、気にする必要もない。
気にする必要はないのだ。
本来であれば気にも留めない魔力なしの人間になぜこれほどまで気を持っていかれるのか。上級妖精はカロラスを連れて行こうと二人を見て、動きを止めた。
いる。
この空間は上級妖精が作り出した空間であり、上級妖精の意思がある限り存在する。
無くなれと思えば無くなる。
例外としては、上級妖精よりも上位の存在の介入があった場合だ。
妖精王だったり、高魔力保持者だったり。
彼らであれば上級妖精が作り出した空間を壊すことが可能である。
しかし、いる。存在している。
何の違和感もなく、その人は、それはそこに存在していた。
上級妖精はその存在を認めた瞬間、どっと冷や汗が溢れ出したのが分かった。
逃げ出したい。しかし全身に鋭利なものが突きつけられて、今にも命を奪われる感覚から、動けない。
人の形をしたそれは、美しい女だった。
髪は水面のように色・様子を変化させ、肌は透き通るほど白く、手足は長い。
そしてそれは、二人を見ていた。
正確には智香子だけを見ていた。
カロラスから抱きしめられる形でいた智香子の目から涙が一筋流れ落ちる。
途端それは瞳をキラキラさせて喜び、智香子に触れることなく彼女の体を浮かせた。
空中にプカプカと浮かぶ智香子から流れる涙を宝物のように集めると、涙が止まるまでずっと智香子だけを見ていた。
そうして集めた涙を美しい瓶の中に収めると、それは次に智香子の体全体を水で覆う。
うっとりと水中の智香子を眺めたそれが手を振ると水は消え、智香子の体に出来ていた傷は全てきれいに無くなっていた。
ついでとばかりにカロラスにも水と一滴飛ばし、カロラスの傷も消す。
ふと明後日の方向を向いたそれは、瞳を不満げに歪めた。
表情は一切変わらない。
ぱっと上級妖精を振り返るそれ。
圧が、体にのしかかる感覚。
表情がなくとも感情が読み取れた瞳は、今は何も読み取れない。
ただそこにあるモノを見るような目だ。
それはそっと人差し指を口元に持っていった。
黙っていろ。
ただそう伝えるために。
最後にと智香子を眺めて、それは姿を消す。
空中に浮いていた智香子はゆっくりと地面に落ちていき、そして意識を戻した。
「あれ…?」
ぼんやりとした意識で思い出せるのは、自分が傷つくのも厭わずに魔法を使い球体を壊そうとするカロラスの姿。
「ぁ、カロラス…!!」
智香子は慌ててあたりを見渡して、すぐそばにいたカロラスの呼吸を確認する。
どうやら眠っているだけのようだ。
それに球体を攻撃したことで出来た傷が消えている。きっと上級妖精が治してくれたのだろう。
ほっと安心した智香子だったが、そういえば上級妖精はどこだろう?と周囲を見て、少し離れたところで苦しそうに呼吸を繰り返す上級妖精がいた。
「?!ちょ、どうしたのよ?!」
カロラスを置いていくのは不安だったが、苦しんでいる者を放っておくこともできない。
駆け寄った先の上級妖精は酷い汗をかいており、また血の気が失せた顔をしていた。
「何があったのかは知らないけどね、自分の体調管理くらい自分でしなさいよ。貴方の体を一番分かっているのは貴方なんだからね。」
そう言いながら優しく背を摩る。
智香子の手に何とか息を吐きだし、呼吸が落ち着きだした上級妖精だが、まだ体調は万全ではない。心臓はバクバクと高鳴ったままだし、まだ命の危機があるように思える。
まぁ死ななかっただけましなのかもしれないが。でも、それでも、だ。
智香子は上級妖精の背を撫でながらこれからどうしようかと悩んでいたが、ふと上級妖精を見たとき、ぎょっと目を剥いた。
上級妖精がポロポロと泣いていたからだ。
なんだかこんなことがさっきあった気がする、と思いながら、智香子は「どうしたのよ。」と訪ねた。
『我は、っうぅ、ただ、カロラスを我らの国に連れていきたかっただけなのにぃ…。なぜ上手く事が運ばないのだぁ!カロラスは意識を取り戻すし、拒否されるしぃ!防御壁は破られるし、というかその時点でカロラスが我らの国に行きたくない強い証明になってしまっているしぃ!うぅ~~~!!それに、それにぃ~~~!』
やはり駄々っ子。
しかし先程のようにアレコレ言う気は起きず、また自分から涙の訳を聞いたため、智香子には上級妖精の話を黙って聞く義務がある。
上級妖精の背を撫でながら聞き役に徹する智香子。
座り込み並ぶ二人は、本来の年齢よりも大分低く見えてしまう。
流れる涙を拭うことなく、上級妖精はきつく智香子を睨み付けた。
『そもそも!事の原因は貴様だ、人間!貴様さえいなければ、我々はカロラスを国に連れて帰ることができたのだ!それをことごとく邪魔して~!うぅ…!ひっく、うぅ~!』
「カロラスは行かないって選択肢をすると思うから、結局私の存在なんて関係ないとは思うけど。まぁ、だからと言って謝罪をするつもりはないわ。」
『~~~っ、我がこんなに涙を流しているのだから、慰めよ!人間!!』
「嫌よ。なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ。」
『なんと血も涙もない!それでも貴様人間か!』
「どこからどう見ても私は人間よ!」
『口の減らぬ人間め!』と愚痴を続けようとする上級妖精を前に、智香子はクスリと笑う。
不思議に思う上級妖精に智香子は「あぁ、いえね。」と背を撫でる手を止めた。
「もう大丈夫みたいだったから。」
そういわれてから、上級妖精は自分の涙が止まっていることに気づいた。
泣いている間ずっと智香子に背を摩られて、赤子のようにあやされていたのかと思うと恥ずかしくなる。
「さて、」と立ち上がる智香子。
「私たちを帰してくれるわね?」
問いかけられ、少し見つめ合い、先に目をそらしたのは上級妖精だった。
『カロラスが望まぬことを強いようとは思わん。我らにとってカロラスは宝なのだ。宝が幸せを感じぬことをするのは、我らとて本望ではない。…人間界などにいるよりも、我らの国に来た方が幸せになれる。この考えは変わらぬがな。』
少し離れた場所で眠るカロラスを見る目は寂し気で、まるで普通の、親が子を心配するように智香子には見えた。
(親子って言っても、見た目は上級妖精の方が完全に子供だけどね。)
『人間。貴様今、我に対して失礼なことを考えただろう。』
「あらよく分かったわね。」
『馬鹿にするでない、人間!!!』
元気になった上級妖精から離れ、カロラスの無事を再度確認する。
変わらず目を覚ますことはないが、ちゃんと触れられることに感動してしまう。
「カロラスの傷、治してくれてありがとう。」
違う、と言いたかった上級妖精。
だが声が出ない。それは恐怖がよみがえったからとかではない。
『カロラスが僕らの国にようやく来るて言うから楽しみに待てたのにいつまでも来ないから何かあたのかなて思て来てみたら何この状況説明してくれるかなぁ風の上級妖精。』
そう言って上級妖精を見下ろす存在。
『っ…、ファイルリー、様…!』
第三者の声に驚いた智香子は慌てて振り返り、上級妖精がファイルリーと呼んだ人物を見る。
上級妖精よりも大きく、しかしこの世界の大人程の身長はない。
炎に身を包む妖精。
カロラスを国に連れて行こうとする輩その二か、と思いながら智香子は背にカロラス庇った。
「ちょっと貴方、突然現れてなんの用かしら。あとその物騒な火を早くどけなさい。」
上級妖精の喉元には今、鋭い炎の刃が突きつけられていた。
智香子の存在に、ファイルリーは驚いたように振り返る。
『これは驚いたな人間だしかも魔力無しで僕らにとて生きている価値さえ感じもしない生き物がなぜこの場にしかもカロラスの近くにいるのか嫌それよりも気になるのは普通に会話できているということだが君は何者なんだい人間ねぇ風の上級妖精。』
喉元の炎の刃が距離を縮め、上級妖精はうめき声を上げる。
「何してるのよ!」
『やめろ、人間…!』
智香子が上級妖精の元へ身を乗り上げた瞬間に立ち上る炎。それは智香子とカロラスを囲むようにぐるりと広がっていく。伝わる熱から偽物ではないことが分かり、智香子は後退った。
『このお方は、火の最上級妖精様…!お前など一瞬で塵になるぞ、人間…!』
だから動くな、と叫ぶ上級妖精だったが、自身に向けられている炎の刃はさらに距離を縮め、少しでも動けば触れるところまで近づく。
『僕は君にこの人間についてたずねたんだよ風の上級妖精なのにきみは僕の質問を無視しただけではなく僕の質問への回答以外の言葉をいくつ吐いているんだ君はいつ僕よりも偉くなたのかなまだ生まれたてに過ぎない君が生きていられるのは誰のおかげだと思ているのかまだ教育が足りないのかなぁ風の上級妖精。』
かと思えば智香子の目の前に突如現れる最上級妖精。
『魔力無し親和性無しで僕らと会話できるのは妖精からの祝福を手にしている者や妖精の血縁者だろうけどそんな感じはしないとなれば君は異世界からの転移者なのかなそうであれば言語の習得は既に済んでいると文献に書いてあたからそうか君は異世界の人間なのかぁ人間。』
「あら何よ、私が異世界の人間なら何か悪いのかしら。」
びっくりしたがそれを表に出さないように睨み付ける智香子と、観察するように彼女を見返すファイルリー。
それを遠くから見る上級妖精は、智香子が異世界人ということに驚くとともに、自分の中で腑に落ちるものを感じ取った。
智香子に対して抱いていた違和感は、普通に会話が出来ているということだったのだ。
最上級以上の妖精であれば、種族問わずに会話する能力を備えているが、上級妖精以下の妖精はそうではない。
それにしても異世界人とは。
上級妖精が記憶にある異世界人に関する知識は、あまりに少なすぎる。
というのも、発見されている異世界人の数が少なすぎるから、なのだが。
そんなある意味希少な存在である異世界人である智香子だが、しかしだからと言ってファイルリーの中で何かが大きく変わることはない。
ファイルリーは一人納得したと頷き、人差し指を天に向けて立てた。
そこからぽっと火を一つ灯す。
『であれば無力無用の人間に用事はないので君を消してカロラスは連れて帰り風の上級妖精には再度教育を施すとしようねぇ人間。』
人差し指が智香子の方へ傾く。
無理だ、と思った。
ただカロラスに傷をつけないように手を広げ、どこに痛みが来ても少しでも耐えられるようにと全身に力を入れることしかできない。
ぎゅっと目を瞑り、来る衝撃に備える。
「…………。」
だが痛みどころか風の揺らぎ、炎の熱さえ感じない。
何が起きているのか恐る恐ると目を開ける智香子。
そこには、目の前にいたはずの炎の最上級妖精ファイルリーの姿はなかった。




