第1話:異世界到着
智香子は、とても心地よいところにいた。
フワフワと空を飛んでいる感覚と、暖かい何かに包まれている感覚があった。
(天国って、こういうところなんだ………。)
なんて思ってたのだ。
すると、ピチャン……ピチャン……という音が聞こえる。
なんだ?と疑問に思うが、体が上手く動かない。
(死んだのかな………?)
目も開かない。手足も動かない。でも水の音のようなものは今も続いている。
正直、
(気になる……っ!!)
天国なら、どんな世界か気になるし、そうじゃないなら病院か家ってことだろう?
もしかしたら、水漏れしているのかもしれない。止めなければ。
(だ、からって、簡単には動いてくれない……!)
あぁ、もどかしい。いつもは動くものが動かない、ということが。
だから智香子は気合を入れる。
(こん、のぉおおおおおおおお!!)
全身に力を入れて、そして、彼女は
「っ!!」
目を開いた。
「っ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………。」
息切れを整えるため、呼吸を繰り返す。
その間に、彼女は体を起こした。
ちょっと前までは全く動かなかった体は、今では自分の思う通りに動いてくれる。このことにひどく安心した。
そうしてあたりを見渡すと、そこは、見たこともない洞窟だった。
「どこ、ここ…………。」
呟くと、その声がふわんふわんと響く。
次に驚いたことは、自分が水に浸っていたということだ。
「っわぁ!」
慌てて立ち上がる。膝くらいまでしかない、泉のような場所だった。
ところどころがきらきらと光り、とても幻想的だ。
先ほど聞こえてきていた水音は、天井から落ちてくる雫だった。
自分の服にしみこんだ水を絞りだしながら、智香子は考える。
(誘拐……はないか。伊緒姉さんじゃあるまいし。迷子…そもそもあんな事故のあと自分の体がどうして動くのよ。)
ごつごつした岩に囲まれた洞窟。
光っているモノは、鉱物のようだ。
「自分から発光しているのね………。」
そんな鉱物が確かあった気がするが、思い出せない。
そこでふと、ある考えにたどり着く。
「……………異世界、とか?」
そうつぶやき、響くのを聞き。
「い、いやいやいや!有り得ないし!なによ異世界って!非現実的じゃない!」
慌てて否定する。
そして再度深呼吸。
「ふぅ………まず、いろいろ決めてしまうには情報が足りないわね。とりあえず、ここから出るための出口を見つけなきゃ。」
目的は見つかった。
智香子はウシッと気合を入れ、背後を振り返った。
次の瞬間、固まる。
その時ふと、兄のバカにするような顔が頭に浮かび、智香子は思う。
(目の前に、大きな、大きな、自分の身長よりも高いオオカミがいたら、誰だって、固まると、思う。)
その言葉はどこからかバカにしてきた兄に向けられた言葉だ。
言い訳ではない。決して。
しばらく見つめ合い、彼(注:オオカミ)がフシューッと息を吐きだしたところで。
智香子の恐怖は一気に跳ね上がのり、そこからの彼女の動きは素早かった。
体育2とは思えない速さで回れ右をし、過去にないくらいの全速力でその場から走り逃げたのだ。
死ぬ、絶対に死ぬ、そう思いながら。
脇目も足元も見ず、ただただ走る。
そして、
「!」
ようやく、外に出ることができたのだ。
日の光が眩しい。
慌てて日を隠すように影を作る。
すると、頭上を巨大な鳥が飛んで行った。
キェ――――という鳥の鳴き声を聞きながら、智香子は思ったのだ。
異世界とか、まじ、ないわ…………と。
そして彼女はその場に倒れた。
脱水症状と、筋肉痛、緊張状態からの急激な安心感により。
*
サクサクサクという、地面を踏みしめる音が聞こえる。
今度は柔らかい何かに包まれているというよりも、モフモフな何かの上に乗っている感覚だ。
その上に乗っていると、
(安心する…………。)
すると地面を踏みしめる音は消え、智香子は地面に降ろされた。
突然温もりが消えたことにより、自然と智香子は温もりの元へと手を伸ばす。
温もりの元は戸惑ったようにその場に立ち止まっているようだった。
(あぁ、困っている。)
申し訳ないと思いながらも、離したくない。
そばにいて欲しい。
温もりの元は言った。
「………幼き少女よ。我はこの場にとどまることはできぬ。だから手を離してくれぬか。」
それでもなお手を離さない智香子に、温もりの元は再度声をかける。
「……また、お主に会いに来る。次は、傍にいよう。だから、手を離せ。幼き少女よ。」
あぁ、それならいい。
ほっと安心した智香子は、手を離し、再び眠りに落ちた。
温もりの元はその姿を見て何かをつぶやいくと、智香子の周りに暖かい膜が張られる。
そして温もりの元は、風のようにどこかへと消えていった。
それからしばらくして、地面を踏む音がする。
音の主は眠っている智香子を見つけると、驚いたように息をのんだ。
「ねぇ、貴方。この子、保護の魔法がかけられているわ~。」
「あぁ。しかも、害のあるものが触れたらはじき返す仕組みになっている。こんな高度な魔法、一体だれが……。」
「それにしても可愛らしい子~……。ねぇ、家に連れて行きましょう!」
「う~~ん。そうだな。これほどの魔法を使う者ならば、居場所を突き止めるくらいワケないだろう。こんな場所に置いておく方が危険だ。」
そう言って声の主が智香子に触れると、智香子を覆っていた膜が消えた。
「ふむ。私達は害のない者として認められたようだな。さぁ、連れて行こう。」
「えぇ、連れて行きましょう!あの子たちも驚くわよ、きっと!」
明るい会話を続ける温かい腕に抱えられながら、智香子は夢を見ていた。
父と母、兄と義姉と一緒にご飯を食べている夢だ。
母が作った、大好きなハンバーグを食べている自分に、兄が「子供っぽいなぁ。」と言ってくる。
「子供じゃない!」と返すと、家族は笑いだす。
あぁ、幸せだ。当たり前の、幸せだ。
なのに、なぜだろう?なぜ、涙が出てくるのだろう?
涙を流してうずくまる智香子に、家族は悲し気に笑い、抱きしめてくれた。
『大丈夫よ、智香子。ずっと近くにいるから。』
でも智香子は首を振る。
無理だわ。だって、私は異世界に来たんだもの。
会うこと自体出来ないのに、近くにいることはできないわ。
それでも家族は智香子を抱きしめ、涙を拭ってくれる。
『大丈夫よ、大丈夫。大丈夫だから。』
何が大丈夫なのよ…………。
でも、智香子の心はいつの間にか穏やかになり、そして、家族はいなくなっていた。