第146話:聖女誕生の裏側⑤
「緊張しました…!」
胸を抑えるクラリッサを見て、ベネッタとカロラスは大げさだと笑う。
先程までクリストフとアリシスが、クラリッサへ挨拶に来ていたのだ。式での挨拶もそうだが、こうして個人的に祝福される方が緊張してしまう。自分の先程の行動を振り返り、何か粗相をしていないかと手を上下させていたクラリッサに、カロラスは「良かった」と呟いた。
「あんな大怪我したままじゃ辛いだろうなって思ってたから、元気になったみたいで良かった!っと、申し訳ありません。聖女様に対して無礼な口を」
「そっ、頭をお上げください!確かに聖女となりましたが…。短い間とはいえ、皆様は薄汚れた私を快く家に招き、治癒を施してくださいました。心優しき貴方がたに感謝こそすれ、罰することなどあり得ません。どうかこれ以降も、今まで通りにお話しいただけると嬉しいです」
歳の差もそれほどないから、というが、ベネッタはともかくカロラスは七つも歳が離れている。聖女という身分がある人物に対して、友人知人のように接するのは駄目だろうと思うのだが、本人からの要望を否定することも難しい。
「…なら、非公式の場のみ、砕けた話し方、する。…どう?」
「はい!願いを聞き入れていただき、誠にありがとうございます!」
以前は平民落ちした元貴族と王族。しかし今は、国を救った聖女と王族。国王と同等の地位を持つクラリッサの方が身分は上だと言うのに変わらない態度に、ベネッタもカロラスも、彼女は平等に人を癒し治す聖女に、相応しい人物であると思った。
「でも元国王と元王妃とは言え、もうただの隠居だろ。そんなに緊張するか?」
先程の会話を思い出しても、クリストフとアリシスは式典の堅苦しい口調ではなく、どちらかと言えば家の中のような砕けた話し方をしていた。
「こんなに可愛くて綺麗でなのに優しくて優秀な子が聖女になるの~?って私驚いたわ~!貴方に守ってもらえるカタールは将来安泰ね」
「無理は禁物だがな。あれほど優れた聖なる結界も近年まれにみる出来だと聞く。優れた聖女とお会いできたこと、嬉しく思う」
「うちの子たちも優秀なのよ~。あなたに似て、ね!」
「何を言うか。君に似たんだよ」
「やだ~!」
嫌だはこっちのセリフである。家でならばまだしも、人前、しかも初対面の聖女の前なのだから自重しろと、カロラスが止めなければいつまでイチャイチャしていたか分からない。
「縁には、本来であれば起こり得なかった運命が、引き寄せられることもあるわ~。…貴方のこれからが、荒れ狂う大波ではなく、太陽のように光輝くものになることを、心から祈ってるわ」
「っ…!ありがとう、ございます。私の人生は既に、光り輝く太陽との出会いによって照らされ、過去の大波が穏やかな大海のごとく、素晴らしいものになるかと思います」
息を詰めていたクラリッサの返答に、アリシスは「まぁ」と顔を綻ばせた。
「ならきっと大丈夫ね~!あっ、そうそう!うちの子たちとも仲良くしてくれると嬉しいわ~!」
「あぁ、せっかくの縁だ。何かあったら頼るといい」
国が心配だからと帰った二人に、クラリッサは返答した時以外終始、頬を染めてあたふたしていた。最後も「ひぃ、はいぃ!」と返事を返して震える手で握手をしただけである。カロラスからの指摘に、クラリッサは手を上下させる。
「で、ですが、お二方の功績を見れば当然の反応かと、思います…!お若い頃から、単騎魔物を狩り、母国を守っていたアリシス様。そして先代アドリオン国王が急逝され、齢十二にして国を治められていたクリストフ様。そんなお二人の功績、そして波乱万丈な恋物語は隣国であるこの国でも有名です。書籍として国民の手に渡っており、知らぬ者はほとんどおりません」
確かに二人は凄い。父と母だけではなく、先代の国王と王妃として、尊敬できる人物である。しかし若い頃に頑張った反動か、ゆっくりしたいと兄に王位を継ぎ、そそくさ隠居生活を決め込んでいる二人だ。家でイチャイチャしている様子を知っているだけに、手放しに頷くことはできなかった。
「母上が、この国の人間、ってことも、関係してそう」
アリシスは元はカタール出身。正確には、十数年前にカタールに統一された小国の出身である。カタールは小国を自分の国だと言い、小国は独立国だと言い。反抗するなら聖なる結界に入れないぞ、と脅されても自分たちで身を守っていたが、ただの小国がカタールに抵抗を続けるのは無理があると判断。強大な国に後ろ盾になってもらおうと、当時王女だったアリシスはアドリオンへ送られた。
両者学生であり、クリストフは既に国王の地位についていた。その相手に小国出身のアリシスは身分も力も不足していると判断。ならばごり押しで結婚にこぎつけろと母国から命令されたが、アリシスは断固としてクリストフとの政略結婚を受け入れなかった。大国の力なんかなくても、自分が国を守ると知識と力をつけようとしたのだ。
命令により、クリストフに話しかけなければならなかったアリシスと、自分に媚を売る一人だと鬱陶しく思っていたクリストフ。両者の関係は良くなかったが、学園の授業で急接近することになる。以降、互いが気になり、しかし今までの態度からどのように接して良いのか分からず。徐々に距離を縮めていく二人の甘酸っぱい恋模様に悶える子女は多い。
例にもれず話を思い出しては悶えるクラリッサに、物語の主人公である二人の子供、ベネッタとカロラスは目を合わせた。
「…ちょっと、違う…」
「…あれだろ、母さん監視役いても全然気にしなくて、何なら初対面「勘違いして私に近づかないで貰えます?」って吐き捨てて。父さんも「誰がわざわざお前みたいな見た目だけが取り柄の腹黒に近づくか」て言い捨てて…」
「学園の授業も、確か…」
「物語だと父さんが母さん助けたことになってるけど、実際助けたの母さんだし…。なんなら母さん、助けた時に「こんな魔物も倒せないなんて、大国の王様は随分と周りに恵まれてるのね~。あっ、良い意味です~」って煽って、もっと父さんと仲悪くなったって…」
都合の良いように書き換えられているのは分かるが、それにしても婉曲させ過ぎだ。変な夢を読者に見せて、真実を知った後に訴えられても責任はこちらではなく執筆した人間にある。そんな二人が今ではラブラブなのだから、人生どうなるか分からないものだ。
取り敢えずクラリッサの憧れはそのままにしておこうと、二人は口を噤んだ。
「しかし何と言っても、あの色かと思います」
思い出すのはクリストフの真っ黒な髪。
「勿論、大聖女コリン様は私の憧れです。イヴァナ様のように、コリン様のように、人々を癒せる聖女になりたい…。それと同時に、多くの命を救われた英雄、クリスタ様にも、憧憬の念を抱いております」
五百年前の英雄クリスタ。教会による暴挙を止めるだけではなく、他にも数多の偉業を成し遂げた。しかしその生は短く、二十歳にもならずに死んでしまったと記録に残されている。
「最後には人間と敵対している魔族でさえ救おうとされたクリスタ様は、私の憧れなんです」
魔族。人と似た姿を持ちながら、角といった人にはないものを持つ存在。人をだまし、食べ、命を奪う悪しき存在だと呼ぶ者もいる。しかし英雄クリスタが言い伝えた、「魔族も人と同じだ」という言葉により、必ずしも人間を害する存在ではないと思う者も一定数いる。
ただ、彼女が死んだ原因が少なからず魔族にもあるため、良く思われていないのが現状である。
「クリスタ様と同じ色を見ると、つい…」
「あぁ、だからチカ見た時も女神だなんだって言い出したのか」
「はい…。命を救われ、優しく接していただき、尚且つあの黒色。本物の女神様だと思ってしまいました」
実際、智香子はクラリッサにとって信仰の神であったのだが。
連れて行く気など更々なかったが、不快な思いをさせてしまい申し訳ないとクラリッサは頭を下げる。どちらかというと不快になったのは兄で、ベネッタ達は不安に思っただけだ。連れて行かないなら良いと、頭を上げてもらう。
「あ、国王陛下は…」
「あ~…兄さんかぁ。兄さんは、うーん…」
智香子が何者かによってどこかへ連れ去られてから、ダミアンの様子は、少し、可笑しかった。近くで見たクラリッサは心配なのだろう。事実、良い状況ではない。父と母が国に帰るのも、可笑しくなってしまった兄の代わりに、政務を行うためだ。
「大丈夫。チカがいれば、兄さんきっと、元に戻る」
「…そうですね。私も準備が整いましたら、チカコ様捜索に協力致します」
「長くかからないのが一番だけど、聖女様に協力してもらえるのは助かる」
大和は既に、智香子の捜索に向かっている。二日経っているが、音沙汰もないのはまだ見つかっていないのだろう。ベネッタとカロラスも腰を浮かし、智香子を探しに向かう。
部屋を出る直前で、クラリッサが二人を止める。
「お耳に入れておきたいことがございます。チカコ様の、ことなのです」
続くクラリッサの話に、二人は息を飲んだ。
部屋を出て、城の廊下を歩く。先程の話はどういうことかと両者は思わず首を傾げた。
「どういう、こと」
「分からねぇ。とにかく、チカを見つけないと」
カロラスの言葉に頷きながら、ベネッタはもう一つ疑問が浮かぶ。
父であるクリストフを見て、英雄クリスタと同じ色だからと動揺したクラリッサ。
彼女が会った黒色を持つ人間は、クリストフと智香子だけではない。
なぜ、兄を見た時には何も反応しなかったのか。
疑問を抱えたまま、二人は智香子を探しに向かった。
クラリッサが英雄クリスタに憧れるのは、名前が似てるからというのもあります。
以上で、聖女編終了です。次回から智香子出てきます。
引き続き、「転移小人の奮闘記」をよろしくお願いいたします!