第144話:聖女誕生の裏側③
すっかり存在を忘れられた一貴の耳に、扉を数回叩く音が入る。返事を返せば、兵と共に連れられたジェイミーが姿を現した。
「ジェミー様…」
「ライリー…」
何かを言いかけて、しかしジェイミーは口を閉じる。服は以前のように煌びやかなものではなくなっている。ただ体に何かしらの傷も見えず、元気はないが健康的な様子から食事も十分に与えられているようだった。セイディたちが強制労働に対し、ジェイミーは遠方の地へ留学に行くことになった。これまた罰としては軽いが、セイディたちに唆されたこと、また急に転生し記憶が混濁していたことなどを考慮して、国王が決定したことだった。留学という名目だが、生涯その地での生活を義務付けられている。学んだことをカタールに伝え、豊かにするのだ。
「…人を傷つけて、苦しめた僕が、家族の、国民の生活を豊かにする役目を任せてもらえたんだ。これ以上の幸せはないよ。…遠い場所で一人生きていくのは、凄く怖いけど…でも、僕は王族だから。今からでもやり直せるなら、皆のためにできることを精一杯頑張ろうって、そう思うんだ」
ジェイミーはグッと強く拳を握る。かつて、自分がクラリッサに対して婚約破棄をし、国外追放にしたときを思い出す。位置も、地位も、何もかもがひっくり返ってしまった。全てがあるべき場所、本来の正しい形に戻り、そこに自分がいないだけだと思うと、泣きたくなった。
(泣く資格なんて、あるわけない)
強く手を握り、ジェイミーはクラリッサを見る。
「ライリー…。君は、変わってしまったんだね…」
わずかに目を見開いたクラリッサは、満面の笑みを浮かべた。
「はい…!神が現れたことで、私は生まれ変わることができました…!フフッ。私、とても綺麗でしょう?神がお認め下さったのです!」
美しいスノーホワイトを持つ彼女には、以前にはなかった自信と輝きに満ち、聖女と呼ぶに相応しかった。眩しさが一層ジェイミーを苦しめる。叶うなら、彼女の輝きを引き出すのは自分でありたかった。
兵に連れられ、父である国王パトリックの後ろを追う。
最後にクラリッサと話が出来て良かったとジェイミーは思った。最も苦してしまった彼女の幸せそうな姿を目にしたことで、一層彼女のために、皆のために、遠い地でも頑張ろうと思った。
到着したのは国外へ続く街道でも、転移魔法陣のある部屋でもない。ジェイミーの記憶を探っても、立ち入ったことのない場所。兵を下がらせた国王が壁の一部を押すと、地下へ続く階段が現れた。隠し階段につい心が湧きたってしまうのを抑え、置いて行かれないように着いて行く。薄暗い階段は不気味で、底の見えなさにいつ終わるのだろうかと身震いしたところで、扉が現れる。先にいたのは見知った人たちだった。
「母上…。それに、兄上…」
兄である第一王子の横には弟もいるではないか。家族総出の事態にどうしたのかとジェイミーは困惑する。
「君を、家族を、他の国へ送り出すんだ。皆で見送るのが当然ってものじゃん?」
父の手が背に優しく触れ、今後の人生に恐怖を抱き冷えていた体に温もりが伝わり、耐えていた涙が溢れ出した。こんな優しい家族がいるのに、なぜ国を出なければならないのか。兄などジェイミーが地位を脅かしていたはずなのに、こうして見送りに参加してくれるほど優しいというのに。もっと、もっと、早くに彼らを信用して転生の話を打ち明けていたら、今とは全く別の、幸せな日常があったのだろうか。
「っ、ご、ごめんなさ、い…!迷惑をかけて、大変な思いをさせて…。なのに、見送ってくれて、ありがとう…!」
どれほど夢を描いても、叶うことはない。
「謝らないで良い。感謝の言葉を伝えるのはこちらの方。ジェイミー、君はこれから、計り知れない国益となるのだから」
肩に手を置き慰めてくれる優しい兄。優しい笑みでこちらを見る弟。悲しみに顔を伏せる母。元気づけてくれる父。
「ほら、皆が君を待ってる」
皆、という言葉に顔を上げたジェイミーは、その先にあった光景に目を見張った。
ジェイミーよりも幼い子供が数人。歳は十三だろうか。彼らはジェイミーと同じ服を着ていた。その手と足を縛られて、口を布でふさがれ、地面に横たわった状態で。
「………え」
涙を目に溜め、こちらに助けを求める子供たち。しかし暴れれば、すぐ近くにいた黒いローブを身に纏った者たちに鞭を打たれ、痛みに体は蹲る。理解できないジェイミーに、弟は笑う。
「良かったですね、兄さん。ギリギリだったけど間に合って」
「な、にが…」
「何がって、決まってるじゃないですか。今年の、み・つ・ぎ・も・の、ですよ」
貢物。彼ら子供たちが?
「兄さんも知ってると思いますけど、ぼくらの国は、貿易が盛んで、生活水準はまぁ普通。でもご飯凄い美味しいでしょ?その食べ物はほとんど、作物が育たないし資源も乏しいから、輸入に頼ってしまいます。仕方ありませんでしたが、対等ではなかったです。そんなとき、人材に困っているけれど、資源が豊潤な国と手を取りました。カタールは人を、向こうからは食料や作物を。お互いにwinwinの関係になります!」
「そ、それのどこに、僕や、あの子たちが必要なんだよ!」
「貿易国では豊かな資源を用いて高性能で高品質の製品を作っている。まだ誰も見たことのない素晴らしいものを作り出すには、この地にはない知識と技術が必要。そう、君たち転生者のね」
「国民も勿論だけど、一代に一人は王族も送る決まりです。でも父上の代は他が皆死んじゃって父上だけだったし、ぼくらの中にもいなかったから、二代続けて貢物ができないのはまずいよなぁって話をしてたところに兄さんが現れたんです!あっ、大丈夫ですよ安心してください!王族だからって贔屓されることはないみたいです。皆同じように、知識が無いって判断されたら、ただの道具みたいに扱われるらしいですよ。それこそ奴隷みたいに、死ぬまでずーっとです」
理解が追い付かず、ふらついたジェイミーを支えたのは国王パトリックである。
縋るように見上げた先で、父は優しく微笑んだ。
「僕言ったでしょ?君がここにいるのは、何かしらの意味があるからだーって。元の世界で当たり前にあったものをこの世界で形にして、僕らの生活を豊かにする。それが君の役目だよ~」
掴まれた肩で、父の手が震えている。震えているのが父ではなくジェイミー自身だったと知るのにそう時間はかからなかった。
「君も言ったよね?誰かの役に立ちたいってさ。ほんと良かったよね~!周りを巻き込んで傷つけて迷惑かけた君も、誰かなんて不確かな人じゃなく、確かなこの国の人のために、役に立てて、さっ!」
目の前にいるのは本当に同じ人間なのか。
「そん、そんな…。や、やめてよ!やめて!お願いだ!こんなの間違ってる!人間を貢物として他国に売って、それで国を豊かにって…そんなの奴隷と同じじゃんか!僕たちは家族だろ?それに彼らはまだ小さな子供だ!どうして売るんだよ!」
「そんなの、決まっているじゃないの。数名の命よりも、数千万の命の方がはるかに重いものだからよ。私たちにはこの国の者たちを豊かにする義務があるの。貴方たち数名の転生者を送り出すだけで手に入れられるのなら、これ以上ないお得なお話。そんなことも分からないなんて…。こんなにも馬鹿な子でなければ、まだ救いようもあったかもしれないのに」
ジェイミーを国益の道具にしか思っていない兄。馬鹿にした笑みでこちらを見る弟。呆れに顔を伏せる母。残酷な現実を突きつけてくる父。
腕を掴まれ、ジェイミーの体は子供たちの元へ引きづられる。抵抗しても意味はなく、ただ流れた涙が宙を舞うだけだ。
黒いローブを身に纏った者の手の中には、セイディが使った魔道具。光を放ち、その内に入ったものを聖なる結界の一部へと変換する装置だったはず。
「大丈夫だよ。本来それは、生物を定められた場所へと転移するための魔道具だから。なんで聖なる結界になる~なんて誤情報が広まったんだろうね?まぁどうでも良いけど、かこちゃんの体の一部が転移しちゃったってのは許せないんだよね~。体を治癒で癒されたら、転移しちゃった体ってどうなってんだろ?あぁ~かこちゃんの腕、食べたかったのになぁ~!」
惚けた顔で口にする父からは、心の底から人の腕を食べる行為を望んでいるのが分かった。こんなもの、同じ人間なわけがない。
やり直しの人生も、幸せな生活も、どれほど夢を描いても、絶対に、叶うことはない。崩れるジェイミーの視界に魔道具が起動した光が広がっていく。
「僕の許可なく勝手にさ、かこちゃんに手を出した時点で、君の運命は決まってたようなものだし。諦めな~」
父である国王が心酔し、かつての幼馴染であり婚約者が神と崇める存在。始めはただの子供だと思った。クラリッサが逃げないために連れて来た子供だった。それが間違いだったというのか。あの子どもさえいなければ、ジェイミーの人生はまだ救いようがあったのか。考えても時間を巻き戻しやり直すことなどできず、光がジェイミーを飲み込んでいく。
笑顔で手を振る父に、家族に、ジェイミーはただ絶望した。