第140話:命名「コンパクトサイズ」
「第一、プライバシーと言うもの考えなさいよ!」
止まらない説教を続ける智香子の背を、誰かが叩く。振り返ればベネッタとカロラスだ。
「もっとやれとは思うけど、」
「そろそろオレたちにも構ってくれよ」
ダミアンと一貴は慣れない正座に酷く苦しんでいた。ダミアンはともかく一貴もか?と思ったが、パトリック王の体で正座はしたことが無いのかもしれない。許してやるか、と息を吐いた智香子を双子は抱きしめる。しかしすぐに体を離されたかと思ったら、ぎゅっとほっぺを引っ張られた。
「説明してなかったアタシたちにも問題はある。でも、危険があるときは無闇に動くの、だめ」
「てか何回誘拐されたら気が済むんだよ!目的がチカじゃなかったとしても、されすぎだろ!次誘拐されたら、チカのことは今度から「コンパクトサイズ」って呼ぶからな!」
「ふぁんで?!」
誘拐しやすいサイズ感から来ているそうだが、智香子だって誘拐されたいわけでも、好きでこの身長でいるわけでもない。見下すなと叫びたいのに、引っ張られて上手く話せなかった。
「とにかく!少しは自衛も必要だから…ってあれ?チカ、なんか目の色薄くね?」
「?」
よくよく見て、光の角度で薄くなっていただけだった。カロラスは智香子から手を離すと、まだ正座で足がしびれて動けない兄の元へベネッタとともに向かう。王族としてやらなければならないことがあるようだ。
心配をかけたお詫びも含めて好きにさせていたが、ちょっと引っ張られ過ぎた。頬を抑える智香子に近づいてくる人影があった。智香子の横にクラリッサと大和が立つ。顔を上げたそこにいたのは、神父だった。
正装をまとい優しい顔をした彼は、智香子と顔を合わせるために膝を折ると、その頭をゆっくりと下げた。
「第三皇女殿下。この度は我が国の騒動に巻き込んでしまい、大変申し訳ありませんでした。先程、第二皇子殿下、第二皇女殿下より、貴方様を誘拐したことについてお話を聞き、今後、罪を償って参りますゆえ、どうか、どうか、罪は私めに…」
真っ先に逃げようとした重役たちとは違い、この神父は責任を負うことで他者を守ろうとしていた。素晴らしい心意気に、智香子顔を上げるように言う。
「貴女が罪を負う必要はないわ。負うべきはあそこにいる国王か、事件の発端である人間だけよ。それに私、別に誘拐されたんじゃないわ。クラリッサが一人じゃ何もできないから、仕方なく付いてきただけよ。私が決めた私の行動なのに、どうして誰かを罰さないといけないの?そんな可笑しいこと、言わないでもらってもいいかしら?」
ふんぞり返る智香子にクラリッサは笑みを零し、頷いた。
「そうですね、私は出来損ないなので、一人ではまともなことなど何もできません。チカコ様の素晴らしい判断で付いてきて頂けたお陰で、こうして無事でいることができています。本当にありがとうございます。流石私の神です。愛しています、チカコ様!」
「そこまで言えとは言ってないわ」
呆けていた神父は、脱力して手を合わせる。
「おぉ、なんと寛大なお方…!ありがとうございます…!ありがとうございます…!」
「私が自分で勝手にやったことに、謝罪も感謝も必要ないわ。何度も言わせないで頂戴」
一貴がクラリッサを呼ぶ。合流するまでに起こったことについて、確認をしたいらしい。智香子の元に残るべきか、行くべきか、悩むクラリッサに智香子は行って来なさいと背中を押す。
神父は小さい頃からこの教会で神に仕えてきた聖職者だ。重役たちとは違い、ただ神に仕え、聖女と共に国民の幸せを願ってきた男だ。聖女候補の頃から知っている彼なら、智香子に妙なことはしないだろうし、近くには大和もいる。すぐに戻ると智香子に告げて、クラリッサは一貴たちがいるところへと走った。
心配し過ぎだと思うが、横にいた大和から「今までのことを思い出してみよ」と言われては、何も言えない。視線が痛かったので、撫でて大和の気を反らす作戦を実行する。
「貴方、名前は?」
撫でながら智香子は、屈んだままの神父に訪ねた。起き上がるように言ったのだが、腰を曲げている方が良いらしい。それならせめて座ろうと、破壊されていない長椅子に腰かける。
「イールドと申します。貴方様は?」
「私は智香子よ。イールドさん、ね。なんだか貴方、ある人に似てるわ。砂漠の中で出会った人なんだけど、顔も名前も違うのに、なんでかしらね?」
神父はイールドで構いませんよと笑う。歳が離れた人物を呼び捨てにはできない。しかしやはりと言うか、様付けで呼んで来ようとするイールドに智香子は抵抗したが、「第三皇女殿下であれば、敬称を付けぬわけには参りませぬ」と、結局負けてしまった。
「その者は、貴方様にとって特別な者ですか?」
聞き心地の良い声。クラリッサもセイディも思ったが、彼らはなぜこうも声が良いのだろうか。聖書を読んだり、聖歌を歌ったりするからだろうか。思い返してみれば、お寺の和尚さんも良い声でお経を唱えている。
「特別…?では、ないわね。でも、優しくしてくれた良い人よ」
「そうですか…。それは、悲しいことでございますね」
思っても見なかった言葉に、智香子はイールドを伺い見る。下からでは身長差で、その顔は良く見えなかった。
「その者は貴方様の中で、ただの脇役と言うことでございましょう。しかし、脇役がいなければ、貴方様の人生が、華やかに彩られることはない。脇役なしでは、貴方様は、生きられない」
「そうね。そして私もまた、誰かの人生にとって、脇役になるのよね」
「いいえ」
ようやくこちらを見たイールド。優しい表情、優しい声。
「いいえ、それは違います。貴方様だけは、違うのでございます。貴方様だけは、脇役にはならないのでございます」
なのに何故か、智香子は逃げたくなった。
大和の唸り声に、神父イールドは「おぉ、申し訳ありません」と体を起こす。いつの間にか距離が近づいていたようだ。
「…どうして、私は脇役にならないの?」
「それはもちろん、チカコ様は第三皇女殿下ですから。王族の方々は脇役にはなりませぬよ」
ホッホッホと笑う姿はただの優しいお爺さんに見える。先程の威圧感は気のせいだったのだろうか。
「確かに、国一番の権力者を脇役にするのは、贅沢なことね」
話し合いが終わったのか、ベネッタとカロラスが手招きをした。長椅子から降りた智香子は、イールドに手を振り、彼らの元へ向かう。智香子の背中を見つめるイールドは、こちらを見てくる大和の視線に気づいた。
「おや、ビスウィト様。如何なさいましたか?」
「複数の匂いがする。きな臭い匂いだ。お主、一体何者だ」
「はて…。何者、とお答えしましょうか…。私は神に仕える、敬虔な信者の一人に過ぎませぬ故…」
困った顔で何とか大和の求める答えを探そうとするイールドに、ふんっと大和は鼻を鳴らす。
「チカコに手を出すことは許さぬ。肝に銘じておくことだ」
「それは、えぇ、勿論でございます。寛大なお方に無粋なことは致しませぬ」
頭を下げるイールドを置いて、大和は智香子の元へ向かった。
智香子は歩きながら、今回もドッと疲れたなと思う。ベッドが最高級に気持ちよく、お風呂もゆっくり浸かれたことで倒れることはないが、ほぼ徹夜したようなものだから眠い。
家族旅行として訪れる予定だったカタールに思わぬ形で来てしまった。可能ならゆっくり休んで観光したい。それか、一旦帰ってきちんと準備をした上で来たい。
クラリッサに話した、旅の話を思い出す。智香子は旅行が好きだった。色んな所に行き、色んな人と触れ合い、新鮮な視点を得られる。
眠い頭に浮かんだのは海だ。青く光る海。先程イールドと話して、砂漠に連れ去られた時のことを思い出したからだろうか。智香子はウィリアムのことを思い出した。彼の空よりも深い青は、底が見えない海のようだ。共に生還したというのに、挨拶も出来ないまま別れてしまった。他の生還者で他国に帰っていった彼らが、「一か月後」と叫んでいた。もうそろそろ一か月後か、過ぎているのではないだろうか。あの一か月って何だったんだ。
眠い頭で考えてはキリがない。一先ず寝たい胸を伝えようと、智香子は足を進める。心配したカロラスとベネッタがこちらに歩いてくるのが見えて、智香子も手を伸ばした。
香ったのは、嗅ぎ慣れない花の匂い。正面から包み込まれて、抱えられる。
「「チカ!」」
瞬間移動でも使ったのか、気づけば、智香子を抱えたままその人は祭壇があった瓦礫の上に立っていた。誰か分からない人の肩奥で、皆の顔が良く見える。
助けを求めることよりも、智香子は嗅ぎ慣れないはずの匂いに意識が向いていた。初めて嗅ぐはずの匂いなのに、なぜか懐かしいと感じる。
「…申し訳ありません」
ぎゅっと強く強く智香子を抱きしめたその人は、思わず手を差し伸べてしまう、泣きそうな顔をしていた。
そして次の瞬間、智香子は消えた。