第137話:血まみれの服と交渉
「ちょいちょい。なんか凄いことになってるけど、ダイジョブそ?」
軽い声が教会に響く。入って来たのは騎士を引き連れた、国王の姿をした一貴だった。
「かこちゃん元気ー?」
「元気に見えるならアンタの目は節穴よ」
にやにやと笑いながら入って来た一貴は、周囲を見渡して状況を確認しながら智香子の元までやって来た。そこでようやく見えた智香子の惨状に動きを止める。
クラリッサは立ち上がり、智香子を庇いたかったが、国王を危険な存在だとする態度はまずいと考え、左斜め前に立つだけに留める。
「…かこちゃーん。何?その服。所々汚れててさー、右腕のとことかえぐいことなってんじゃん。まるで、何かに腕丸ごと抉られたみたいに、さ」
魔道具により聖なる結界の一部にされたらしい智香子の右腕は、今はクラリッサの治癒によって元に戻っている。しかしクラリッサの治癒は体は治しても衣類までは直すことができない。抉られた部分だけではなく、右半分にもびっしりと血がついている。自分の状態を確認した智香子は、確かにこれは、ぱっと見でも何か大変なことが起きたと思うには十分だと納得した。
「見た目は酷いけど、クラリッサが綺麗に治してくれたから問題ないわ。大宮先輩の方こそ、足止めを食らっていたのでしょう?人の心配するなんて随分と余裕じゃないの」
直後、智香子は一貴に両腕を掴まれる。
「黄の王よ。我が宝に危害を加えるなら、ただでは済まさぬぞ」
「陛下!離れてください!」
クラリッサと大和の声も無視して、真剣な表情で見てくる一貴に智香子は息を飲む。あまり見たことがない表情だ。ふと、腕を掴む一貴の手が、震えていることに気づいた。
そこでようやく一貴が心配していたのだと理解する。この状態の智香子を見れば、死ぬほどの大けがを負ったのかもしれないと考えただろう。知り合いの死は怖いものだ。二度と会えないと思うと寂しくて悲しい。
智香子は異世界に転移してきただけだ。今こうして生きているのだから、死んだという認識はなかった。神隠しのように、異世界に移動してきただけだと考えていた。しかし一貴は言った。葬式があった、と。それはつまり、向こうの世界で智香子は死んだということだ。
自分が死んだと聞いたとき、ただそうだったのかと思った自分に、智香子は驚いた。
それなら今動いている智香子は何だと思うが、分からない。ただ分かるのは、両親にも兄姉にも友人たちにも、悲しい思いをさせてしまったということだ。
認めるのは癪だが、ご飯に行ったり出掛けたり、サークルの先輩以上の付き合いが一貴とはある。智香子の中で一貴は渋々友人だ。友人に二度も智香子の死を経験させてしまったことは申し訳ないなと思う。
「…大丈夫よ。この通りピンピンしてるわ。というか、勝手に私を心配しないでくれるかし、」
「っ~~この腕どこに行ったの?誰が取ったの?!僕欲しい!欲しい欲しい欲しい欲しい~!」
智香子の言葉を遮り、一貴は腕を掴んだまま智香子を前後に揺さぶる。智香子が「やめ、止めなさい!」と言うまで揺らされた。脳がまだ揺れる智香子が再度見た一貴は、先程の真剣な表情をどこへやったのか、食い入るような目で智香子の右腕を見ている。
「何で切断されたの?魔法?物理?燃えてても全然問題ないから、どこにあるのか教えてよ!」
「っ、聖なる結界の一部になったのよ!だからもうどこにも無いわよ!」
「そ、そんなぁ…!」
智香子の腕が手に入らないと知っただけで、この世の終わりみたいな顔をする一貴にクラリッサも大和もドン引きである。引いた様子の無い智香子に、一貴のこの発言に慣れているのだと見当をつけるが、嫌な慣れだ。
「…何してんのよ」
プチ、プチ、と智香子の身に着けた服、寝巻のボタンを外す一貴。しくしくと口で言っているだけで、涙は出ていない。
「腕が手に入らないなら、この服だけでも回収しなきゃって、」
「「気持ち悪い!」」
耐えられずに智香子とクラリッサが叫び、大和が智香子を背に乗せたのは同時だった。
「なんで?!」
「なぜとは?!普通に気持ち悪いですよ陛下!チカコ様に近寄らず、何なら息も吸わないでくださいすみません陛下!」
「君は相変わらず面白いね~」
祭壇から扉までの通路に降り立った大和と智香子は、立ち上がりこちらを見る一貴に警戒を強める。「えぇー、そんなに警戒しないでよぉ」と言われるが、先程の出来事があって警戒しないなど無理な話だ。
「何もしないって。今はまだ、ね」
「今…?まだ…?」
不穏な言葉を吐く一貴を睨み付ける智香子。歩いて近づいてきた一貴は、ただ笑うだけで本当に何もすることなく、智香子と大和の横を通り過ぎる。
彼が向かうのは、神父たちが解放していたセイディやジェイミーたちの元だ。
「父上…」
「へ、陛下…!」
顔をそむけるジェイミーとは反対に、セイディは頬を染めてキラキラした瞳で一貴を見つめる。二人の対極な態度を一切気にすることなく、一貴はジェイミーの前までやってきて屈んだ。
「父、上…?」
目の前にある父親の顔を不思議そうに見るジェイミーは、突然伸ばされた手に反応することはできなかった。
ジェイミーの首を掴んだ一貴の手は、そのままジェイミーを持ち上げる。成熟したカタール国王の体と、未成熟なジェイミーでは、身長も体格も全く違う。
「ぅ…、ぁっ、が…、ぁ、ちっ、ち、ぅえ…!」
ジェイミーがもがいても一貴は微動だにしない。セイディは突然の国王の行動に「え?」と状況が飲み込めていない声を発して、呆然と見るだけだ。
「大宮先輩!」
息が出来ずに顔から血の気が無くなるジェイミー。このままでは彼が死んでしまうと智香子は大和の背から降りて一貴の元へ走る。
「チカコ!」
大和の声に止まらず、智香子は一貴の服を強く引っ張った。
「ちょっと!なにやってんのよ!自分の子供に手をかけるなんてクソみたいなこと、絶対に許さないんだから!っ!放しなさい!馬鹿!」
手を離さない一貴。ジェイミーの動きが徐々に小さくなっていく。ジェイミーに伸びる一貴の腕に飛びかかりたいが、飛んでも身長が足りず届かない。だから智香子は正面から一貴に抱き着いた。
「っ、この服持って行っていいから!早く手を離しなさい!」
「はーい」
先程まで全く反応しなかったのに、突然物分かりが良くなった一貴は、簡単にジェイミーの首を絞めていた手を離す。落とされたジェイミーは咳き込んだ後、何度も何度も空気を吸いこんだ。駆け寄ろうとした智香子はジェイミーの元に行くよりも早く一貴に捕まえられる。
急に上がった目線にはダミアンたちに抱えられたことで慣れてきたが、目の前に現れたパトリック王の顔をした一貴には、智香子はまだ慣れていない。イケオジの顔をした一貴は優しく笑う。
「ねねかこちゃん、本当に?嘘でしたーも、冗談でしたーも、なしだよ?かこちゃんのその服、ちゃんとくれないと許さないよ?」
「はぁ…。約束は守るわ。それにこの服、元はここの服だもの」
「あ、そっかー。結局戻ってくるんなら、わざわざ交渉する必要なかったのに。流石かこちゃん。やるねぇ」
こんなボロボロの服をなぜ欲しがるのか分からないが、智香子は一貴に関しては、いや、理解できないことは、無理に分かる必要はないと思っている。
倒れ込むジェイミーには神父たちが駆け寄って治療を施していた。彼らの尽力のお陰で、ジェイミーの顔に血色感が戻っている。
ジェイミーは涙目で一貴を見た。
「どうして…」
ジェイミーからは一貴への恐怖と脅えが伝わる。
「そんなの決まってるじゃーん。かこちゃんを傷つけたからだよ。かこちゃんを傷つけた、かこちゃんを連れて行った、かこちゃんを危険な目に合わせた、かこちゃんを怖がらせた。上げたらキリがないけど、全部が問題なんだよ~」
「ぼ、僕が、傷つけたわけじゃ、」
「この中で一番力を持ってるのは君だよね?だったら君が責任者だよね?駄目だよ~責任者が責任放棄するとかさ。王族に生まれたなら、自分の行動一つ、発言一つが、誰かの人生を大きく揺るがす危険性があるって理解してないとさ。王族がどういう存在が分かってない~なんて、言い訳が出来ないくらい、君は王族の権利を使ってるじゃーん」
「そんなの使ってない!」
「え?何その冗談。笑えないんだけど~」
顔も声も笑っているのに、一貴の目は笑っていない。
「じゃ、君が食べた物は誰のお金かな?君が今着てる服は?君が豪華な暮らしが出来ているのはなんで?」
「そ、それは、王族が持ってるお金で、」
「不正解ふせいかーい!正解は、国民の皆から巻き上げてる、税金でーす」
ジェイミーが智香子たちと同じように異世界からの転生者ならば、税金について知らないはずはない。
「君の生活はね、生まれた時からこの国の民が汗水流して働いたお給料とか、日常生活とかから巻き上げられた税金によって、成り立っているものなんだよ。そもそもなんで僕らが彼ら国民の上に立ち、贅沢な暮らしをしているか分かる?」
視線を彷徨わせ、分からなかったのか首を振るジェイミー。
「僕らには、国を守り、支え、導いていく義務があるからだよ。国の顔となり、指導者となり、そしていざという時にはこの首を以って国民の皆を守るために。頂点に立つ僕らは、国民だけじゃなくて他国にも常に見られている。僕らが貧しい生活をしているだけで、この国は貧しいと判断される。僕らが諍いを始めれば、この国の情勢は不安定だと判断される。君が起こした今回の事件は、君の王族の力、権利を盛大に使い、聖女というこの国にとって重要な存在を雑に扱っただけじゃなくて、国外に追放した。…これが一体どれほどの損益になるか、理解してないなんて言わないよね?」
一貴は一週間前までただの大学生だったが、経営者として上に立ち、責任を背負って会社を運営していた経験が生かされているのだろう。どこからどう見ても、その姿も力強い発言も、立派な国王そのものであった。