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転移小人の奮闘記  作者: 三木 べじ子
第2章
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第134話:清廉な聖女②

 魔物の瞳に固まった智香子は、クラリッサの声にはっと空気を肺に入れる。


「セイディ…!ジェイミー様…!」


 破壊された壁や天井に巻き込まれた二人が、瓦礫の下敷きになっているのが見えた。うめき声や身動きが聞こえてまだ生きているようだ。しかし智香子には何もできない。今だって、魔物が地鳴りと思うほどの唸り声を上げただけで、体が震えて動けなくなる。


 当然だろうと心の中で叫ぶ。建物の天井程の大きさがある人に害をなす黒い生き物が、目の前に立っているのだ。あの巨大な足が一歩でも動けば、逃げることさえできずに、例え逃げることができても数歩で追いつかれて一瞬で死んでしまう。


 自分の命が目の前の生き物の前ではとても軽いものになったことが、怖い。


 智香子は震えが、自分だけではなく抱えるクラリッサも同じであると気づく。

 彼女は震えながらも、智香子を抱える腕に力を入れた。

 クラリッサは智香子よりも魔物の知識が豊富だ。知っているからこそ、簡単に倒せる相手ではないと分かっているから、より恐怖を感じる。そしてずっと教会の中で学んできただけで、実物を見たことなどないのだ。想像していた生き物がこうして目の前にいる。聖なる結界で退け、恐れていた生き物が。


 怖くて怖くてたまらなくて、震えが止まらない。でもクラリッサは智香子だけは守ろうと思った。自分の命をかけて、この恩人だけは守らなければならない。そのためなら、目の前の強大な魔物に相対し、退けるのも大丈夫だと、そう思いたかった。しかし体は意思とは反して震え、涙が止まらない。聖なる結界を使いたいのに、頭が真っ白で使い方が思い出せない。


 どうしようと、焦りばかりが胸を占める。手が震える。足が震える。体温が下がっていく。守りたい腕の中の存在の体温に、縋ってしまう。


 智香子がクラリッサの腕から降りて、思わずクラリッサの腕は宙をかく。


「クラリッサ」


 智香子はこちらを見ずに、魔物を見ている。名前を呼ばれたクラリッサは、智香子に伸ばしていた手を止めた。寒くて怖くて、智香子を抱えて逃げてしまいたい。しかし智香子がそれを許してくれないのは、たった一言、名前を呼ばれただけで分かってしまった。


 智香子はクラリッサを背に、この状況を何とか出来るのはクラリッサだけであり、そのためには時間が必要だと思った。こんな時、自分に特別な力があればと思わずにはいられない。超人的な力や魔法の力があれば、時間を稼ぐことができるかもしれないのに。

 ちらりと振り返り見たクラリッサは、顔を青ざめさせながらもなんとか聖なる結界を発動させようとしている。ぐっと目を閉じて、聖なる結界を展開させるイメージをしているのだろう。しかし智香子を掴む腕から、体が酷く強張っているのが伝わる。


 特別な力がなくても、魔物の注意を引き付けて逃げまわれるだけの身体能力さえあれば。天を自由に駆けまわる体があれば。智香子の頭に浮かんだのは、桃色の毛と紫の瞳を持つ獣。巨大な体で軽やかに、地上も天上も関係なく飛び回る彼を、智香子は羨ましいと思った。


「…大和…」


「ようやく我を呼んだな、チカコ」


 あまりにも望み過ぎて、始め幻聴だと思った。しかし声がした方向、魔物が壊した屋根の端に、風に揺れる桃色の毛並みが目に入った途端、幻聴ではないと理解した。


「大和!」


 歓喜の声を上げる智香子の前に、大和は高い位置から軽やかに降り立つ。立った数日離れただけなのに、長く離れ離れになっていたかのような感覚を覚える。

 目の前にやって来た獣に智香子は抱き着いた。柔らかな毛が頬を撫で、伝わる熱が冷えた体に心地良い。しかしその熱が通常よりも高い気がして智香子は体を離す。獣だから人間よりも通常体温は高いが、以前触れた時、これほど熱かっただろうか?


「名を呼ばれるまで様々なところを探し回っていたからな」


 汗をかいたと言われ、確かに少し湿りを感じる。


「聖なる結界に阻まれて侵入ができず。魔物が結界を破壊してすぐに駆けだしたが、なぜかお主の気配がどこにも見当たらなくてな。時間がかかってしまった」


 すまないと頭を下げる大和に智香子は大きく首を振る。


「名前を呼んだだけで迎えに来てくれたことが、十分すぎることよ。貴方は本当にすごいわね、大和!」


 カタールの地図を見たことがあるが、アドリオン程はないものの大きな国だ。その中から一人を見つけ出すのはほぼ不可能である。不可能の中から智香子を見つけ出し、来てくれた。名前を呼んだだけで見つけだせる、その方法はよく分からないが、智香子は素直に凄いことだと思った。そして探しに来てくれたことを嬉しいと思った。


「…できて当然のことを、お主は素晴らしいことだと、それほどまでに喜んでくれるのか」


「できて当然のことじゃないからよ!少なくとも私には、絶対にできないことだもの!本当に来てくれて嬉しいわ。ありがとう、大和」


「…うむ。どういたしまして、チカコ」


 大和の表情は分かりずらく、少し笑っているのが分かっただけだが、その尻尾は勢いよく揺れていた。

 感動の再会の中、魔物のうめき声が聞こえて姿勢を正す。いくら大和と合流しても問題が解決したわけではな。例え目の前の魔物を倒しても、他の場所には他の魔物がいて、傷ついている人たちがいる。


「我とてこれほどの強大な魔物、そう何体も相手するには時間がかかる。国中となれば尚更のこと。聖女よ。聖なる結界で魔物を一掃しなければ、間ぬ合わぬぞ」


 今、智香子達の前にいる魔物は大和の拘束魔法によって動きを封じているだけ。いつ魔法を破られても可笑しくはない。遠くで再び音が鳴り、次いで悲鳴が聞こえる。


 先程よりも顔を青くしたクラリッサに気づいて、智香子は大和の名前を呼んだ。大和は続く言葉を聞かなくても智香子の考えが分かったのか、頭を擦り付けて紫色の目で智香子を見た。


「…奴の増援がこちらに向かっている。恐らくだが、脅威になり得る聖女を狙っているのだろう。長くはもたぬ」


「ありがとう。お願い」


「承知した」


 軽く浮いた体が魔物へ向かって駆けていく。拘束の魔法を破った魔物の額が光り、光線が放たれる。防御魔法を展開して防ぎ、再び拘束しようとする。しかしダンッと強く踏まれたことで、床だけではなく壁や天井までヒビが入り壊れる。智香子は無事かと見れば、クラリッサが守っていた。瓦礫の下敷きになっているセイディとジェイミーを守りながら戦うのは困難だ。彼らを救助したいのだが魔物の警戒が強くて懐に入り込めない。大和の少しの思案を見逃さず、魔物はすかさず光線を放つ。


 魔物は大和に任せて、智香子はクラリッサの両手を自身の手で包み込む。といっても、智香子の手が小さいため、包み込むというよりも挟み込むという表現が正しいのだが。


「クラリッサ。クラリッサ」


 カタカタと震えるクラリッサの名前を数回呼んで、ようやく顔が上げられる。


「あ、ぁ、チカ、チカコ、さま…」


「クラリッサ。大丈夫よ。まずは息を吐きなさい」


 浅い呼吸を繰り返すクラリッサ。きっとクラリッサは今、突然背負わされた聖女という責任に押しつぶされているのだ。聖なる結界を張らなければならないこと、国民の命を守らなければならないこと。降ってわいた責任が、クラリッサを苦しめている。


 そしてクラリッサは今、責任から逃げずに立ち向かおうとしているのだ。全て自分がしなければならないと思っている。一つでも上手く行かなければ、国が滅んでしまう恐怖が今、彼女の肩にのしかかっている。


 大勢の大人がいるのに、なぜたった一人のまだ十八歳の少女に、そんな責任を負わせるのか。


「本っ当に、身勝手ね!」


「?!」


 クラリッサの手を挟んでいた智香子の手が、急にクラリッサの肩を叩く。パンパンと叩かれたクラリッサは何が何だか分からないと目を大きく開いた。

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