第132話:出来損ないの恐怖心④
2025/03/31ラスト一部書き加えました。
魔道具が向けられて、クラリッサを押さえつけていた騎士も、その周りにいた騎士たちも慌ててその場を離れる。皆巻き込まれるのを恐れた。クラリッサも動こうとするのに、体が思うように動かず逃げられない。
もう駄目だと目を閉じた。しかしいつまで待っても痛みは来ない。
代わりにドサッという音がして恐る恐る目を開けたクラリッサは、驚いた表情でこちらを見るセイディたちの視線をたどり、自分の横を見て呆然とした。
「チ、カコ、様…?」
クラリッサの横にうつぶせで倒れ込む智香子。その右腕が、肩から何かに抉られたように消えている。痛々しい傷も、流れる大量の血も、鼻につくような鉄の匂いも、全てがクラリッサに現実を突きつけた。
「い、いやぁあああああああああ!!!」
逃げ遅れた騎士たちの数名も魔道具に巻き込まれてどこかしら欠損、もしくは腹や心臓を抉られて絶命している。
智香子を仰向けにしたクラリッサは、まだ息をしている智香子に安堵することなどできなかった。出血により真っ青な顔、痛みに喘ぐ様は到底良かったなどと言える状況ではない。
しかし生きているならまだ助けることができるのも事実。高い治癒の力さえあれば、欠損も治すことができる。ほんの少しの正気を取り戻したクラリッサはしかし、自分にそんな力がないことを思い出して絶望した。絶望しながら、それでも何とか命をつなぎとめるためにと治癒の力を使おうとする。
「チカコ様…。チカコ様…」
自分の手が血に染まるのは全く気にならなかった。何とか血を止めたかった。かつて、治癒を使えた時のことを思い出そうとする。あの全身を温かいものが巡る感覚。魔力が少なくて魔法もあまり得意ではなかったが、魔法を使う時とはまた別の感覚。
「どうして…。どうして、使えないのです…!」
掌から溢れる治癒の光が現れることも、光に包まれた傷が癒えることもない。何も変わらない。血は抑えてもクラリッサの手から零れ落ちていく。流れていく血が、智香子の命が流れていくような感覚に陥る。
いつまでも治癒を使わないクラリッサに、セイディもジェイミーも眉を顰める。魔道具を誤って起動させてしまったが、セイディとしては別にクラリッサに当たっても問題はなかった。治癒の力を隠し持っているクラリッサであれば、例え魔道具により何かしらの損傷を負ったとしても自分で治せるだろうと思っていたからだ。結果としてクラリッサには当たらなかったが、当初の予定通り醜く邪魔な智香子を有効活用して尚且つ消すことができたからそちらの方が良いかと思った。しかしクラリッサが治癒の力の欠片も使わないことは予想外だった。大切な子供であれば、なんとしてでも治そうと治癒の力を見せると思ったのだが。
「なんでライリーは治さないんだ?なぁ、呪いは解いたんだろうな?!」
「とうの昔に解いてる!クラリッサを追放したと思ったら聖なる結界が弱まったから、もしかしてクラリッサに関係があるのかもと思って…」
「じゃぁなぜクラリッサ様は治癒の力を使わないのですか!」
「煩いわね!端でコソコソしてた癖に急にでしゃばって来ないでよ!」
「力が戻ったわけではない…?であれば、我々の計画が破綻してしまうではないか…!」
体は沸騰しそうなほど熱いのに、クラリッサの頭はやけに冴えていた。智香子の小さな息遣いも血の流れも逃さないようにと神経が研ぎ澄まされているのが分かる。セイディたちの会話が聞こえるほど研ぎ澄まされているからか、自分の呼吸や心臓の音がうるさくて邪魔だった。
この国に来ると思い出す。呪いをかけられた時のことを。国外への追放を言い渡された時のことを。殺人未遂だと断罪された時のことを。婚約破棄された時のことを。出来損ないだと、見下される日々を。
出来損ないと言われた小さな力であろうと、持っていれば少しでも助けられるかもしれないのに。少しでも癒すことができるかもしれないのに。
「私は、目の前にいる瀕死の恩人でさえ、助けることができないのですか…!」
悔しく、悲しく、腹立たしい。感情の高ぶりに耐えられず涙が溢れて、横たわる智香子に落ちていく。
治癒の力を持つ者なのに誰も救えないとは、なんと、出来損ないだろうか。
無くなった智香子の腕の傷口を強く握っていたからか、智香子がうめき声を上げる。はっと慌てて緩めたが、強い力がクラリッサの腕を掴んだ。何かを伝えようとする智香子にクラリッサはその小さな体を持ち上げた。しかし何かを話すわけでもなく、残った左腕に懸命に力を入れて更に体を起こそうとするではないか。
「だ、駄目です!無茶ですよ!そのような体で動いては、命に関わります!」
クラリッサの静止の声も聞かず、智香子は脂汗を額に滲ませて立ち上がる。立ち上がった智香子は、クラリッサに背を向けて聖堂内の祭壇を見た。片腕をなくしても、そこから血をボタボタと落としても、フラフラでも、挑むような強い光を持つ黒い瞳に見られた者は皆、動けなくなる。
智香子の背中しか見えていないクラリッサは瞳は見えていないものの、他と同様に動けなくなる。
子供のような見た目の、大人のような言葉や思考。かと思えば幼く笑う人。
あべこべなこの人は、出会ってからクラリッサを喜ばせ腹立たせ悲しくさせかき回しては、ずっと守ってくれている。
(私は今、この小さな背中に隠れている…)
———隠れて、守られているのだ
それのなんと、頼もしく心強いことか。
フラフラな背中に縋りつくことさえ恐れ多くてできない。光が当たっていないというのに、クラリッサの目には智香子が、智香子だけが光って見えた。彼女だけが、唯一の救いの光のように。思わず手を組んで賛美を歌いたくなるほど。
———あぁ、神々しい
クラリッサは眩しさに目を細めながら、ようやく理解した。自分に欠けていたものに、自分が求めていたものに。ここにいたのだ。幸せが胸に溢れて、涙が止まらない。
クラリッサは視界に智香子しか映していなかったから、だから気づかなかった。自分の内側から、白く眩い光が溢れていることに。ずっと治らずにまるでクラリッサを出来損ないと責める、彼女の体に強く刻まれた傷たちが消えていく。痛々しい片目も綺麗に治り、頭の傷も、痣も、しみも、全て綺麗に治って、刈った髪も伸びて綺麗なスノーホワイトが腰で靡く。
光に気づいた智香子が振り返るが、損傷と出血が酷過ぎた。立っているのもやっとの状態だったのだ。後ろに倒れ込む智香子を、クラリッサは恭しく両手で受け止める。
うっすらと開いた目で智香子が見たクラリッサは、どこからどう見ても、美しく清廉な聖女そのものだった。
聖女は優しく笑って智香子の頬に、壊れ物に触れるようにそっと触れる。
「大丈夫です」
綺麗な透き通る声に、智香子は安心して目を閉じる。
「命あるものは全て、生と死を繰り返す。ですが、私は、貴方様の死を受け入れません。その寿命以外では。全て、私が治してみせます」
シミもニキビも肌の汚れもなくなった白魚の如き聖女の手が、智香子のなくなった右腕部分に伸ばされる。通常の治療魔法は不足分を治癒力や魔力によって補う。もし欠損部分が近くに、たとて粉々に粉砕されていたとしてもあればより治療は簡単になる。それらをくっ付けてしまえば良いだけだ。しかし智香子の欠けた右腕はどこにもない。魔道具が生命エネルギーを聖なる結界へと変換したのであれば、智香子の体は今、聖なる結界の一部になっているということだ。回収するのは難しいだろう。
クラリッサの以前の治癒力では、右腕の欠損など治せない。そもそも欠損も、準聖女でさえ治せない、聖女ほどの力がなければ治せないものだ。今までのこれほどの治療をしたことなどないのに、クラリッサはなぜか自分にはできるという自信があった。
どこからか、声が聞こえる。
———しっかり腹に力入れろ。大事なのは想像だ。全てが元通りに、血も形も全てが元あった通りになるように、イメージをしろ。てめぇにしか治せねぇと覚悟を持て。腹ぁ決まったら、唱えろ———
「『治癒』」
クラリッサの手から光が智香子の腕に伝わり、光が腕を作っていく。
世界中の人々を癒すために与えられた名前は、「治癒者」。
同様に与えられた力は、「治癒」。
力の発動条件は、至ってシンプルで、ただ治したいと、癒したいと思うだけ。
光に包まれた智香子の右腕が見る見るうちに元の形へと戻っていく。目の前の奇跡に誰もが目を離せない。
「ん…」
智香子が目を開ける。痛みや苦しみも何もない。光に包まれたクラリッサは、ほっと息を吐いてそのスノーホワイトの目元を柔らかく笑みへと変える。ぼんやりとする頭で、智香子はぽつりと呟いた。
「…きれい…」
腕に抱えた智香子の声は当然クラリッサに聞こえていた。言葉が聞こえたクラリッサは嬉しさに、零れんばかりの笑みを浮かべたのだった。