第127話:扉を開けるときは要確認②
翌日。太陽の光を前に智香子はつぶやいた。
「花、咲かせ過ぎたわ…」
完全なる二日酔いである。頭痛が痛いという滅裂なことを考える程度にはきつい。部屋で朝食の準備を進めるクラリッサは眉を下げて困り顔だ。
ワインが飲みやすかったわけではない。ただ話をしていたら喉が渇いて、水がなかったから一先ずワインを飲んでいたのだ。時間が経つにつれてワインの飲みにくさが感じなくなってきて、一貴もどんどんグラスに注ぐものだから飲んでしまって、目が覚めたらベッドの上だった。吐かなかっただけまだマシなのだろうか。
以前レッドフィールド家で一口お酒を飲んで潰れたので、ちょびちょび飲んでいたのだがなぜこうなった。赤よりも白の方が飲みやすかったのが問題かもしれない。
「もう次は飲まない…!」
「また飲みそうなこと言ってますね…。ほら、早くご飯食べましょう」
頭の痛みに耐え、フラつく足を何とか動かして席に着く。良い匂いが肺を満たした。クラリッサとともに両手を合わせる。
「「いただきます」」
朝食は卵焼き、魚の塩焼き、副菜、みそ汁、パン。みそ汁を飲み、パンを千切って口に放り込む。これが米なら最高だが、智香子はみそ汁とパンの組み合わせをあまり気にしないタイプだった。徐々にお酒による気持ち悪さが落ち着いてくる。水を飲めばスッキリだ。
「ん?」
なんだろうか、この違和感は。何かが可笑しいと考えて、すぐに分かった。
「箸だ!えっ、みそ汁?!魚の塩焼き…は別に可笑しくはないわね。いやクラリッサ!貴方今、いただきますって…」
目の前に広がる日本の食卓。部屋は西洋風な高級部屋と、食事は綺麗に盛り付けられているが家庭的なもの。目に映るものの差が激しい。
「はい。食事前の挨拶です。食材を作ってくださった方、食事を作ってくださった方、関りのある全てのものに感謝を込めて、目の前の命をお受けする。そういった意味が込められています。そういえば、チカコ様もご存じなのですね。アドリオンでも同じように挨拶をされていたとは知りませんでした」
「いやこれ、元の世界の、しかも私の国限定の挨拶よ」
アドリオンでは誰も知らない。レッドフィールド家は、智香子が言っているのを聞き、手を合わせているのを見て真似しているが、カタールでは「いただきます」が全国民にとって当たり前のことのようだ。
どうしてこれほどに日本とよく似ているのか。
「それはね、この国には転生者が多いからなんだよー」
「不法侵入!」
いつの間に入って来ていたのか。叫ぶ智香子に「ここ僕の城だよ~?」と笑って、一貴はさらっと同じ席に着いた。一貴の分の食事はないと言ったが、すぐに彼の分まで運ばれてくる。本当にここで一緒に食べる気らしい。
「日本からの転生者が多いから、日本の文化が濃く出ちゃったんだろうね」
基本同じ食事だが、智香子の皿にはない料理が一貴の皿にはあった。一口食べて頷くと、一貴は一口サイズに切ったそれを智香子の口元へ運ぶ。食べてみれば美味しく、笑みを浮かべる智香子に一貴は「これ商品化決定ー」と呟く。
「商品化?」
どういうことかと思った時、いつの間にそこに立っていたのか、執事服を身に纏った男性がメモを取っている。
「国王陛下は、我が国における商品の最終確認を行っているのですよ。陛下の確認が終わり、良しとされれば無事に商品として店頭に並ぶことが許されるのです」
クラリッサの説明に智香子は国王の仕事にそんなことも含まれているのか、と驚く。全ての商品が対象ではないらしいが、貿易の国としての信用のため、国王が多くを確認しているようだ。通常の書類業務に合わせて試食や試用まで任されるとなると大変じゃないのかと思うが、一貴はそうでもないよと軽く言う。
「まぁ最初は時間かかったけど、慣れればそんなだったし。貿易の中心っていうブランドもあるしさ、国のためを考えるなら、やっぱ僕が直々に確認した方が良いし。なにより商品も、国王が認めた味って箔が付くでしょー?」
大学時代も独自の企業を立ち上げ、学業と並立して事業を行っていた一貴だ。経営が性に合っているのかもしれない。智香子は生き甲斐のある方が人生豊かになると考えているので、良いことだと思う。
「でも、これは違うでしょ」
最終確認と言われる料理や食品を智香子の口に入れ、智香子の反応が良かったら商品化、悪ければ商品化は見送り。これでは智香子の好みのものばかりではないか。
「僕も美味しいなって思ったものをかこちゃんに食べさせてるから問題はなーし」
でしょ、と首を傾げても可愛くない。確かにほとんど美味しい物ばかりを食べさせられているので、一貴がちゃんと判断しているのか。いやでもそれならなぜ、たまに美味しくないものを食べさせてくるのか。
「かこちゃんの美味しくないって顔が見たくて…」
「頬染めて言ってんじゃないわよ」
お腹が十分に満たされて、一息ついた智香子たちだったが、休みはすぐに終わる。立ち上がった一貴に抱えられた。どこかへ行くのか。
「勿論、タダでご飯食べて、タダで泊まれるなんて、そんな都合の良い話、あるわけないよねぇ?」
言っていることはまともなのに、一貴が言うと嫌な予感がする。大学時代の記憶から、一貴の発言で碌な目に合ったことが無いからだろう。逃げようとしたが、生憎と一貴の腕の中だ。
「働かざる者食うべからずってね~!」
ニヤリと笑った一貴に一体どんなことをさせられるのか。身構えていた智香子とクラリッサだったが、連れていかれたのは物置だ。少し埃っぽい部屋を見渡す。地下牢とか拷問部屋とかに連れていかれると思ったが、なんだか拍子抜けだ。
「はっ!もしかして、この物置に何か物騒な仕掛けが…?!」
「そんなことしませーん。全く、僕のイメージどうなってるのー?」
「どうなってるの、って…。そりゃまぁ、狂った変態かしら」
人の頬を食べたり拉致したり危険なことに巻き込んだり。
智香子の言葉に「悲しい」とウソ泣きを始めた一貴を放って、物置を物色する。見れば以外と良い物たちが置かれているではないか。
「これは王家が保管していた品々でね、年代物とか混じってて結構良い値段するんだよね」
「私たちに整理でもさせたいわけ?」
聞けば明るい声で「ピンポーン」と指を突きつけられる。指された指でほっぺをぷにぷにされ、へし折りたくなるのを何とか我慢した。横でクラリッサから視線を感じるが、智香子は無視をした。
「僕今ちょっとお金が必要でさ。他にもいくつか部屋があるから、整理をお願いしたいんだー。ほら、埃とか被ってるじゃない?こういうの綺麗にしたりとか、なんか壊れてるのあったら脇にまとめておくとか。そんな感じでいいからさ~」
この中から貴重な品を見つけ出せ、とかであれば難しいと思ったが、整理整頓や美化であれば智香子達にでもできる。そうして智香子とクラリッサは物置の整理をする代わりに、宿泊と食事を保証されることになった。
埃っぽい部屋で箱の中から骨董品を取り出す。破損しているかどうかを中心に確認し、汚れが付いているものは後でまとめて綺麗にする。智香子が今一番不思議なのは、なぜかこの場に一貴がいることだ。
「さっき「国王の仕事あるから、後はよろしくね」とか言ってたじゃないの。なんでいるのよ」
「かこちゃんともっと一緒にいたくてさ!」
言葉通り、ぴったりとくっつかれては作業ができない。このまま作業を続けたいならちゃんと仕事をしなさいと言えば、シュンとした顔で美化・整理に取り掛かってくれた。小さな少女に叱られる壮年の国王という図に、クラリッサは慣れつつあった。
整頓を続ける智香子は、ふと箱の底に布にくるまれた物を見つける。他の物が箱に入っている中、それだけが布に包まれていた。持ってみた感じ、ワイングラスのような形をしている。
「何?」
智香子の動きが止まり、一貴とクラリッサが近くに来る。受け取った一貴が布を開いていく。布にくるまれていたのは、錆びてしまった杯。金で出来ていたのか、少し錆びていないところが光を反射して光った。
「これは、売れるかな?」
錆びを落とせば売れるかもしれないが、それにしてもほとんどが錆に包まれた酷い状態だった。とりあえず一旦洗ってみようと、廃棄ではなく修理のものがまとめて置いてある場所に分ける。
智香子はまた整理に戻ろうとした。
そこで、声がした。どこからか聞こえた声が、頭の中で響いている。視線が自然と錆びだらけの杯へと吸い寄せられる。
『手を伸ばせ』
『望め』
『その身に溶かせ』
『其方のモノ』
『手に入れれば全てが思うままに』
そ うだ。これは わたし のもの。
てに いれなければ。わたし が てに しなければ。
あれ この こ え どこか で
智香子が伸ばした手が、近くに置かれていた品に触れて倒れる。
大きな音が鳴って、智香子は意識を戻した。
「チカコ様お怪我は!」
音に駆けつけたクラリッサと一貴。まだ少しぼんやりしていた智香子は、目の前に割れた骨董品が倒れているのを見て、頭が覚醒する。
「やっちゃったわ!」
「あー。まぁ、元々欠けてて修理して、売れたら良いかなぁってやつだったから。欠けた時点で価値は本来より下がってたし、そんな気にしなくてもいいよー」
「いや、でも…!」
「そんなに気になるなら、かこちゃんに体で払ってもらおっかなぁ」
「気色悪い!汚らわしい!見ないでください陛下申し訳ありません!」
「僕を蔑みたいのか謝罪したいのか分かんない子だね~おもしろー」
智香子が何か言う前に、クラリッサが智香子を抱えて一貴の目から隠してしまう。笑う一貴に智香子を離さないクラリッサ。抱えられた智香子はとりあえずクラリッサに降ろすように頼むが、またもや「地面は危険がいっぱいなんです!」という言葉によって拒絶される。
割れた骨董品で切ったのか、智香子の指先に血が滲んでいるのに気づいた一貴とクラリッサが、早く手当をしようと動き出す。大した傷じゃないからと智香子は遠慮するが、埃塗れの部屋の中、古い品にどんな菌が潜んでいるかも分からないと言われ、渋々手当を受けるために部屋を出る。
だから誰も気づかなかった。
先程の錆まみれの杯が、その場からなくなっていたことに。