第125話:あべこべなカタール国王③
一通り話し終えたカタール王は喉が渇いたと呼び鈴を鳴らし、お茶の準備を指示する。
「まぁそんな感じで、始めは険悪だった僕とかこちゃんは、やがて仲を深めて無事に結ばれましたとさ。ちゃんちゃん!」
「何が無事に、よ。何も結ばれてないし、そもそも嫌ってたのアンタだけじゃないの」
「えっ、それって、かこちゃんは僕のこと、好きだったってこと…?やだぁ~」
「勘違いが甚だしい!」
クラリッサが驚きなのは、智香子が一貴の感情を知っていると言うことだ。一貴の腕から逃げるのをあきらめた智香子は、一貴から口元へ差し出された菓子を始め拒絶していたが、グリグリと押し付けられるので渋々食べる。智香子の口に合ったのだろう、頬が緩んでいる。
「てゆうかその話、何回目よ。私もう聞き飽きたんだけど」
また菓子を無理やり口に入れられる。
「嫌っているという話を、チカコ様「さん!」はいすみません!に、よくされていたのですか…?」
「うん。だって僕とかこちゃんの物語の、大事な大事な始まりだよ?皆に広めなきゃ~」
「意味わからないわ」とふてくされては、また新しいお菓子を口に突っ込まれる。随分と慣れた手つきだとクラリッサが言えば、大学の時もこうしてよく食べさせていたらしい。
「無理やりよ」
学食で食事を取ろうとしていたところを急に拉致されて、一貴おススメだというお店に連れていかれてメニューを智香子自身で選ぶことなく料理が運ばれてくる。それが智香子の口にバッチリ合っているのが問題なのだ。
昔からこの大宮一貴という男は、人の好みを瞬時に理解することが出来る才能により、智香子への餌付けを行っていた。
「かこちゃんも美味しいって喜んでたじゃーん。何の問題もないでしょ」
「学食で既にお昼買ってるのに強制的に他の店の料理食べさせてくるのが問題だって言ってんのよ。てかそれ以前に拉致止めなさいよ!事前に言えばご飯くらい一緒に食べるわよ」
「だってさ~、その時にならないと食べたいものって分からないし」
国王の私室の扉がノックされる。召使が台車に紅茶を乗せて入って来た。智香子は王宮の紅茶を飲んだことがなく、どのような味なのかが気になってワクワクする。レッドフィールド家は確かに王族だが、自給自足の生活で紅茶も自家製の物であった。ふと、たまに綺麗な筒に入った紅茶を飲むことがあるなと思い出す。上品な香りと味がするあの紅茶は、もしかして、と考えて思考を停止させた。自分が気づかない間に王家御用達の超高級茶葉による紅茶を飲んでいた、なんてことに気づいてしまったら、次から気軽に飲めなくなってしまう。
机に置かれたカップはよく磨かれていて、一目で高級なものだと分かる。注がれる紅茶の良い匂いが部屋に充満していく。
「では、私が毒見を」
クラリッサがカップを持ち上げるのを一貴は止めた。
「良いよ良いよ~。かわいい子にそんな危ないことさせられないしさ」
毒見は必要だとクラリッサが止めるのを構わず、一貴は紅茶を一口含むと嚥下した。智香子はそういえば今の一貴が王様であることを思い出し、大丈夫なのかな?と不安げな顔で隣のカタール王を見る。一貴はしばらくカップに入った紅茶の表面を揺らして見て、「うん」と優しく笑いながら頷いた。
「毒だね」
ドサッと言う音に次いで、扉の方から苦し気なうめき声が聞こえる。見れば先程の召使が黒い服に身を包んだ人に抑えつけられていた。
「処分は任せるね~」
「御意」
短いやり取りの後、召使ごと姿を消す。何が起こったのかと智香子が一貴を見れば、イケオジの顔をした一貴はにやりと笑った。
「あれ、忍者」
「忍者!」
王族が代々所持する、裏の者。影に紛れて王族の望むままに任務を追行する彼らは、時には手を染めることだって厭わない。王のために命も捧げる者たちだ。リアル忍者の登場に目を輝かせる智香子と、「いいでしょー」とどや顔をする一貴。
そんなものが存在していることは知らなかったクラリッサだが、それよりも問題は毒だとカタール王に駆け寄る。
「…あれ?毒の症状が、何もない…?」
魔法も治癒も使えないクラリッサだが、この国の子女は教養として民間療法も習う。いついかなる時にも誰かを治癒できるように。しかし毒の症状である、体温、心拍数、呼吸などの異常も、意識の低下や混濁も見られない。遅効性の毒なのだろうか。
「可愛い女の子に触ってもらえるなんて嬉しーね~」と軽口を叩きながら、一貴はクラリッサに大丈夫だと告げる。
「僕に毒は効かないよ。小さい頃から色んな毒、少しずつ摂取して体に慣れさせてるから、さっ」
王族が毒耐性を付けるために、そのような取り組みをしていることは知っていた。しかし無効になるわけではない。他の者よりも効きにくいだけだ。しかし今一貴は、効かないと言い切った。
「これは、キョクチトウ…っぽい毒だね。あともう一種類…ジキタリスっぽい毒もかなぁ」
しかも毒の名前を言い当てて見せるとは。クラリッサが聞いたことのない毒の名前は、彼らの元の世界の植物だろうか。
驚くクラリッサとは反対に、智香子はほっと息を吐いた。
「その体じゃ駄目なのかもしれないって思ったけど、大丈夫そうね。体も舌もそこは変わらないみたいで、安心したわ」
智香子は知っていた。この大宮一貴という人物が、毒に対して強い耐性を持っていることを。小さい頃より他の人間よりも味覚が発達していた一貴は、食事に関しては人一倍敏感だった。彼のおススメは絶対に当たりだと太鼓判を押されるほどだ。しかし、味覚が発達していて、食事に敏感であるが故に、どんなものでも一度は口に入れて、その味を知りたいという欲が強かった。
毒を食べたのは、記憶がほぼない三歳のときらしい。泡を吹いて倒れて、緊急搬送された一貴はその二年後、また毒の花を食べて倒れた。その時思ったらしい。面白い、と。美味しくないけど面白い。生きる意味のない一貴の数少ない興味が、毒に向いてしまった。
そこから毒への研究が始まり、死なない量の毒を摂取しては吐いて、摂取しては吐いて、たまに倒れてを繰り返していった。海外に行った時もそれは続き、一貴は多くの毒への耐性を付けて、やがて毒が効かない体へと変わっていったのだ。
「タバコ吸っても気持ちよくならなくなった時には絶望したよね~。もうこれは麻薬を吸うしかないなってあの時は思ったよー」
「何軽くやばいこと言ってんのよ。てかタバコなんか吸ってたの?」
高頻度で持ち上げられて拉致されたり餌付けされていた智香子だが、たばこの匂いを感じたことなど一度もない。記憶が抜けているだけだろうか、と思い出そうとする。
「いや、かこちゃんがいた時は吸ってないよー。だっていやじゃん?せっかくのかこちゃんの肺がさ、僕のせいで黒くなっちゃうの。そんなことするくらいなら、ブクブクに太らせた方が僕的には好みかなー。タバコはね、かこちゃんがいなくなってから、吸い始めたんだ~」
智香子がいなくなってから、というと、智香子がこの世界に転移してきてから。
「僕ね、かこちゃんが死んじゃったって聞いて、それなら遺体貰おうって思ってさ、お葬式出たんだけど、かこちゃんの体がどこにもなくてびっくりしちゃったよ~。この世界に転移してたんなら納得納得~」
かこちゃん、といつものように呼ばれるから、智香子もいつものように「何よ」と返した。いつの間にか一貴と智香子の距離は詰められて、今はイケオジになった一貴の顔は智香子の目の前だ。
「次死んじゃう時はさ、ちゃんと死体残して死んでね。じゃないと君のこと、食べられないじゃん」
死体を、智香子を食べる、という一貴の発言に、クラリッサは息を飲む。それを可笑しいとも思っていない一貴に、クラリッサは恐怖した。
この人は、カタール王の姿をしたこの人物は、一体誰だ。
智香子は一貴のおでこを遠慮なく「近い」と叩いた。
「何度も言ってるけど、絶対に、お断りよ!」
「大丈夫だって~。死体食べても食べた本人は死なないからさぁ」
「くどい!あれこれ言ってはアンタ、私のほっぺ何回も食べたじゃない!それで我慢しなさい!」
「あんなの前菜にもならないよ~」
言い合いをまた始めた二人に、クラリッサが手を上下させてあわあわとする。
私室の扉がまたノックされて現れたのは侍従だ。どうやら国王に用事があるらしく、智香子達は部屋を出ることにする。一貴は自分の客人だからと、貴賓室を用意してくれた。案内の人も現れて、智香子とクラリッサは部屋を出ることにする。
出る直前、智香子はふと気になったことがあった。年代と、異世界人の年齢の齟齬。智香子と高藤充希という人物は同じ時代を生きていながら、異世界に来たときの時代が合わなかった。一貴にも聞いてみたいと思い、大宮先輩と呼べば、一貴は何?と智香子に目線を合わせるためにしゃがんでくれる。
以前も十分に背が高かったが、今はより大きくなっているようだ。
「大宮先輩はいつ頃こちらの世界に来たの?」
智香子のお葬式には出たということは、智香子と同時に死んだわけではない。
「えっと、つい最近だよ。ほんの一週間前かな?死んで、気づいたらこの体だった」
死んだ時期と同じ時期に異世界へと渡るのだろうか。だがそれなら、高藤充希はどうなる。智香子は、元の体のまま異世界に来ているが、一貴は元の体とは違う別の人間に憑依した形だ。ここの違いも何かあるのかもしれない。もっと話がしたいところだが、今は難しい。また今度時間を取って貰おうと考えて、智香子は部屋を出ようとしたところを、一貴に止められた。
「かこちゃんは事故死だったよね?なんで死体が残らなかったの?」
「私、その時の衝撃か、死んだ時の記憶があやふやなのよ…。てゆうか死んだ本人に死体が残らなかった原因を聞いてんじゃないわよ。知るわけないでしょうが」
本当に思い出せない。また不安になる心を何とか抑える。
「大宮先輩はなぜ死んだの?」
「自殺だよー」
ぱち、と一貴と智香子の目が合う。ニコッと笑った一貴は智香子に両手を伸ばした。
「タバコにお酒にギャンブルに。心を動かすために色んなことに手を伸ばしても、だんだん伸ばす気さえなくなっていったんだぁ」
智香子の顔を包み込んだその手は大きくて、智香子の視界にはカタール王の姿をした一貴だけが映る。
「生きる意味が、なくなっちゃった。だから、死んだ」
視界が開けたと思ったら、智香子はクラリッサの腕に抱えられていた。鋭く一貴を睨むクラリッサに、一貴は特に怒りもせずにこやかに笑う。
「あ、今はもう大丈夫だよ!かこちゃんもいるし~」
「…行きましょう、チカコ様」
「う、うん」
クラリッサに抱えられたまま、智香子たちは案内役の後をついて貴賓室へと廊下を進む。国王の私室が閉まるまで、一貴は智香子を見ていた。
「僕言ったじゃん。君がいる間は、死なないよ、ってさ」