第122話:記憶の整合性②
美しく着飾ったセイディと、生々しい傷跡やシミ、短い髪、ボロボロではないが豪華とは言えない服を身に纏ったクラリッサを比較すれば、自然と大きな差が生じる。
「こうして見ると、クラリッサ。貴方、本当に醜くなったわねぇ!」
醜いと言われたクラリッサは俯いた。周囲からの囁き、嘲笑。
「なんと醜い」
「見るに堪えん」
「汚らわしい」
「近くに居るあの子供はなんだ?」
「あのように手酷く扱っては可哀そうではないか」
セイディの声が響く。皆が彼女に注目した。
「皆様、本日はお集まりいただき、心より感謝申し上げます。今日この場を借りて、私セイディは、かつて殺人未遂を侵しましたクラリッサを許し、彼女の決意を受けて、ともにこの国に生涯忠誠を誓うことを決意いたしました」
良く通るその声は人の心にもよく響く。聖女らしいセイディのふるまいに涙ぐむ者さえいた。
「嫉妬のあまり自分を殺そうとした悪女クラリッサを助けようとするとは」
「聖女セイディ様はただ第二王子であるジェイミー様とお話ししていただけだと言うのに。己は構ってもらえないからと浅ましくも嫉妬し、醜い行動へと身を落とした」
「そんな悪女を助けようとは。まさに聖女!彼女こそ、この国の聖女にふさわしい!」
「許すだけではなく、己もともに国への献身に身を捧げようと言うのか…」
「素晴らしい」
「素晴らしい」
「私は特別なことはなにも…。これはクラリッサの意思。私は彼女の意思を尊重したまでです。そう、彼女の、隷属契約を結ぶという決意を」
馴染みのない言葉。何となくの意味は分かるが、俯いたままのクラリッサは智香子に教えてくれた。
隷属契約。対象者同士を強く結びつける契約。使用者は、主人となる者に生涯逆らえなくなり、主人が望むことを望むままに行動することが強要される。拒否も拒絶も許されない、強力な契約。
「そんなの、奴隷と同じじゃないの…!」
「クラリッサは、かつて私を手にかけようとしたことを心から後悔しているのです。しかし人の心は分からない。私がジェイミー様と婚約した今、またいつ自分が嫉妬に身を焦がし、私を傷つけるか分からない。だから、隷属契約を結びたいと、自分から、進んで、申し出てくれました。誰かに生涯傅かなければならない苦行を、自ら決断した彼女の意思を、どうして拒絶できましょうか!私は彼女の決意を受け入れました。そして私も、彼女に誓ったのです。聖女として、ともに国に尽くすことを」
聖女という絶対的な存在。聖女の言葉は王族の言葉と同等の価値を持つ。あちこちから上げられる拍手、感動の声。聖女の優しさに、集まっていた人々はこの人が本物の聖女だと納得する。
「演説はもう聞き飽きたわ。つい最近にも、同じような感じのを聞いたところなのよ。世のため人のためと言いながら、実際考えているのは自分のことだけ」
立ち上がってもまだ、座り込むクラリッサより上ほどの背丈しかない智香子。ここはティムニヒッカとは違う。あそこには大小さまざまな妖精たちで溢れていた。今は皆智香子よりも大きい。まるで、巨人の集団に見下ろされている気分だ。
自分の声を周囲に振りまき、注目を集めながら、智香子は逃げ道を探す。セイディの声よりも響かないが、智香子の声もよく通る。
「空っぽの言葉は随分と軽いでしょう?よく飛んで、高いところにある貴方たちの頭にもよく届きやすいわね。でも少し低いところにある私には全く届かないの。いい加減、身の詰まった話をしてくれないかしら。退屈過ぎて寝ちゃいそうだわ」
聖女の言葉を遮ったことで、智香子に向けられるのは罵詈雑言。その時、クラリッサは始めて顔を上げた。
「何を言っているの?私は本当に、心からクラリッサを心配していたし、クラリッサと一緒にこの国をずっと守っていこうってしてるのよ?」
「心からクラリッサを心配していた?見え透いた嘘ついてんじゃないわよ。心から心配していた人間が、再開直後にクラリッサを責め立てるようなこと言うわけないじゃない。クラリッサと、あの礼儀知らず…ジェイミーの関係に嫉妬したのは、貴方の方じゃないの?」
智香子の言葉に会場がざわつく。聖女であるセイディが本当にクラリッサを責めるようなことを口にしたのか。嫉妬に狂ったのはクラリッサではなくセイディなのか。
セイディはどのような反応をするのか見ていた智香子。てっきり、声を荒げ智香子の言葉を否定するか、言い訳をするかのどちらかだと思っていた。しかしセイディは、静かだった。智香子の言葉を聞いても特に何も思わなかったようだ。
ぐるりと周囲を見渡す中で、部屋の隅にかかったカーテンの後ろに、隠れた扉を見つける。そこの周りは人も少ない。入って来た扉の前には兵士が立っている。逃げるなら、その扉からしかない。
縛られた状態でどこまでできるか分からないが、クラリッサをこのまま放っておくことは出来ない。しかしクラリッサが一緒に走ってくれるかどうか。
後ろ手でクラリッサの肩を掴む。
「クラリッサ、走れる?」
「チカコ様?」
何をするつもりなのか分からないが、クラリッサは智香子を信じることにする。
タイミングを見計らう智香子は突然床に押し付けられた。セイディが智香子の体を地に抑えつけたのだ。
「止めて下さい!セイディ!」
「面白いし子供だし、クラリッサが抜け出そうとしないための足かせになればと思って生かしてたけど、やっぱり邪魔ね。それに、態度もなってないわ」
痛みに呻きながらも、体を上から抑えつけられ呼吸が上手くできない智香子は何とか息を吸う。
「み、くだす、な…!私は、こども、じゃ、ない、わ!」
「子供ほどそう言うわ」
セイディの後ろに控えていた兵士が、セイディに代わり智香子を押さえつける。智香子を助けようと動こうとしたクラリッサもその場に留められる。
「止めて下さい!セイディ、止めて!っ、チカコ様は、アドリオンの王家に連なる高貴なお方です!手を出せばアドリオンが黙ってはおりません!」
「何言ってるの?このみすぼらしい子供が王族なわけないじゃない。アドリオンの王族はみーんなとっても見目麗しいと聞いたわ。こんな醜いわけないもの」
「あ、なた、随分と見た目にこだわるわね」
けほ、と咳を一つ。セイディに抑えつけられるよりもましだが、兵士の力も中々に強い。
智香子はセイディが嫉妬に身を焦がし、一連の事件を起こしたのではないかと検討を付けた。中でも恋愛感情というものは一言では説明できない不明確な感情だ。燃えるなら恋愛事だろうと思ったが、セイディの様子からクラリッサとジェイミーの関係に嫉妬したわけではなさそうだ。他にどんな理由が考えられるのか。
「あなた、クラリッサの美しさに、しっと、したの…?」
醜いことを、やけに主張するセイディ。この会場でも、彼女は皆の前でクラリッサを醜いと罵った。聖女の印象を考えるならそういった言葉は悪手だ。智香子の見た目もみすぼらしい醜いと見下す。クラリッサにかけられた呪いは、知人にかけられたと言っていた。セイディも知り合いであり、呪いをかけたのが彼女なら、動機も十分にある。
顔を赤くした聖女に智香子はにやりと笑って見せる。
「光に照らされて、醜さがより浮き出たのは、あなたの方みたいね」
怒りに荒々しく踏み出したセイディは、自分が来ていた裾の長い白い服の裾を踏んずけて転ぶ。聖女効果の演出を狙って、正装をしたのが間違いだった。
転んだ聖女を助けるために多くの人が彼女に群がる。智香子とクラリッサを抑えていた兵士たちも聖女に気を取られた。その隙に二人はカーテン裏の部屋へと走り出した。
「捕まえて!」
セイディの声が聞こえる。後ろからの足音も。だが彼らの服も追いかけるのには向かない、重そうな正装だった。兵士たちの鎧も同様だ。
逃げられる!と思った智香子達だったが、扉の奥から何やら声がする。
「え、ちょ、僕無理だよ?そんなことできないよ~」
「無理などと仰らないでください。大丈夫です、認めるの一言だけでよろしいのですから」
「えぇー。だって前もさ、その通りにしたらなんか女の子が1人国外に追放になっちゃったじゃん?僕そういうのに責任とか取りたくないんだよー。ほら、おじいさんが許可出せば良いじゃん。ね?」
「いや、私にはその権限がなく…」
「えぇー。それでその権限持つだけの人間に、無理やり押し付けようって?それは酷くない?権限を強要するならさ、それ相応の対価ってもんが必要なんじゃないの?あ!それか、君が国王になるとか!名案じゃーん!」
「いや!それは無理が」
「なんでよ?僕が言えばなんでも叶うんでしょ?」
「いや…」
「僕が言うことに全部否定入れてくるじゃん。そのくせに自分の言うことは聞けって?」
「うぐ…」
「あはは、図星ー。えー、それはないわ~」
軽い男のやり取りに、智香子は少し前の記憶が呼び起こされる。
大学二年の春。サークルで、部長の席を押し付けられた時のことだ。何を言っても言い返される。ああいえばこういう。最終的に自分が折れるしかない状況を作られる。
『あはは、図星ー?えーこの程度で言葉に詰まるとか、かこちゃん雑魚いね~かーわいーいね~』
「見下すな~~~~!!!」
「突然如何しましたかチカコ様?!」
思い出し、つい立ち止まって叫んだ智香子と釣られて止まったクラリッサ。後ろから来た人々に押されて、皆で倒れてしまう。バタバタと大きな音が響いている中、智香子達が逃げようとしていた扉が開かれた。
「ちょいちょい。すっごい大きな音したけど何があったの?ダイジョブそ?」
智香子達の前に現れたのは、高身長で端正な顔立ちに髭を蓄え、豪華な服と冠を被った、ダンディなおじ様。とてもこの顔から、先程聞こえていた軽い話し方が出てくるとは思わない。後ろの方に別の誰かがいるのか?と思っていると、ダンディなおじ様は「え?」と声を上げた。
「あれ、かこちゃん?なんでここいるの?えなにこれやっぱりどっきりか何かなん?」
おおよそダンディなおじ様の渋い声からは考えられない話し方。だが智香子は覚えがある。この話し方。そして、智香子のことを「かこちゃん」と呼ぶのは、彼くらいだった。
「も、もしかして、大宮先輩…?」
元の世界の大学で、一つ上の学年の先輩。海外に留学していて年齢はもう少し上だった。まさか、と思う。だって見た目も年齢も、明らかに違う。世界だって違うのだ。しかし智香子にはなぜか確信めいたものがあった。
ダンディなおじ様は小首をかしげる。その見た目に似合わないそぶりは、かつての先輩のくせだ。
「正解せいか~い!大宮一貴、24歳!かこちゃんが大大大好きな先輩でーす!」
ニコニコの笑顔で大げさな身振りを付けて言うおじ様に、智香子は思わず「好きじゃないって言ってんでしょ!」と大学の先輩に向かっていつも言うように、叫んでいた。