第119話:初めての喧嘩
混乱したクラリッサは何も返事ができなかった。
「まぁ、かつての婚約者が、今は親友の婚約者に代わってるのって驚いて声も出ないわよね」
クラリッサの姉は最後まで顔を伏せていたし、ジェイミーは「すまない」としか言わない。
高らかに笑いながら、セイディたちは部屋を出ていった。日を改めてまた来るから、その時までにさっきの返事を聞かせろと言い残して。
抱えられていた智香子は兵士から解放され、地べたに座り込み俯くクラリッサに駆け寄る。大丈夫かと聞くと弱弱しいながら返事は帰ってきて安心する。
「それにしても聖女って結婚して良いの?私の元の世界では、なんか聖職者は結婚するのは駄目だった気がするんだけど」
「…女性の重要な役割は、結婚をして子を残すことですから。聖女だろうとその役目は変わりません。聖女だからこそ、よりその高い治癒の力を次の世代に継ぐために子孫繁栄に尽力することが重要視されています」
聞けば答えるが、智香子の顔を見ない。やんわりとした拒絶の意図が見えて、智香子は首を傾げる。
「…何よ。言いたいことがあるなら、黙ってないで言いなさいよ。鬱陶しいわね」
「…別に、何もありません…」
「さっきまでとあからさまに違う態度取っておいて何もないわけないでしょ!」
さっさと言いなさい!と智香子は遠慮することなくクラリッサの体を動かそうとするが、頑として動かないクラリッサ。智香子が荒く呼吸を繰り返すほど粘っても、丸まって座ったままだ。そんな態度を取られれば、智香子も意地になる。脇に伸ばされた手は、遠慮なくクラリッサをくすぐった。驚いたものの、始めはなんとか耐えていたクラリッサは、最終的には笑い転げることになる。
「よ、ようやく、顔を見せたわね…」
「な、なんて、卑怯な手を…」
お互いに体力を使い、ゼイゼイと息を吐いた。
クラリッサはぐっと何かを耐えるように顔を歪めて、「どうしてそうまでして、話を聞きたいのですか」と手を握り締める。
「一緒にいるのに気まずい雰囲気でいるのが嫌だからよ」
「なっ、それはご自身の都合ではありませんか!私の気持ちも考えてください!」
「考えてどうにかなるっていうの?それでこの状況をどうにかできるの?」
「もっと優しく仰っていただければ、私だってこれほど意固地にはなりません!」
「過ぎた話を持ち出すんじゃないわよ!優しく言って話を聞くのも無理やり話を聞くのも、話を聞くってことに関しては同じことよ!」
「同じではありません!話をする私の気持ちが違います!私は今、多くのことが突然起きて戸惑ってて、悲しいのです…。そんな私に配慮してください!」
「自分から配慮してくれなんて言うやつはいないわよ!」
「配慮して頂けないから自己申告しているんです!」
更に言い返そうとした智香子は、クラリッサの驚いた表情に言葉を止める。
「…私、誰かと言い合いしたの、初めてです…。これほどに強い口調でお話ししたのも、自分の意見を通そうと自棄になったのも…」
「あら、そしたら私、貴方と初めて喧嘩した人間ってことになるのかしら。なんとも光栄なことだわ」
嫌味のような言葉だが、智香子の明るい笑顔を見ればそうではないことは分かる。クラリッサはなんだか泣きたくなって、智香子に抱き着いた。
「…もっと早く、自分の言葉をぶつけられていたら…。…言いたいことをちゃんと口に出来ていれば、何か変わったのでしょうか…」
「知らないわ。言いたいことを言っても、それが正しく相手に伝わるかも分からない。そもそも相手に伝わるかもわからない。過ぎたことをどれだけ言っても仕方ないことよ。大事なのは前よりも後じゃないのかしら?」
「…こういう時は優しく肯定するものではないのですか…」
「それなら、自分の意見を持たず空っぽな言葉で肯定しかできない人間か、こちらが望んだ通りの答えを出してくれる機械にでも泣きつきなさい。生憎と私は中身の無い意見というものに毛ほども興味がないのよ」
突き放すようなことを言うのに、クラリッサの頭を撫でる手は優しい。どちらが本当の智香子など、気にしたところで答えはでないだろう。口が悪く優しい。このあべこべな人間が、智香子という人なのだ。
それで?と促され、クラリッサは自分の行動の幼さに智香子の胸に顔を埋める。早く答えろとペチペチ叩かれ、観念したと口を渋々開く。
「…………チカコ様、思い上がりも大概にしろって、仰ったではありませんか…」
思い出すのはついさきほどの会話。あれか、と智香子は項垂れる。
「くだらない…。そんなことで拗ねてるんじゃないわよ…」
「そ、そんなことなんて…!私、存在を否定されたことはありますけど、あんな風に怒られたことは今までになかったのですよ?!味方だと思っていた方から突然否定されれば、誰だって傷つくでしょう?!」
「大げさすぎなのよ!アンタは!言ったでしょ、どっちの味方とかないって。私は、私の意見を言っただけ。アンタが私の意見を聞いても、それでも自分の責任だって言うなら、私は別にそれを否定する気はないわ。アンタの好きにしなさい。まぁ私も納得しない限り、自分の意見を曲げる気はないけどね」
クラリッサは智香子と言う人物のことを理解できたと思っていた。しかしそれは不十分だと今思い知る。
「…客観と、主観…。…チカコ様は、私の敵というわけではないのですね…」
「始めからそう言ってるでしょ。違う意見言ってるからって誰でも敵だと思うのはバカのすることよ」
なぜ理解できたと思っていたのか。冷静に考えても、智香子とクラリッサが出会ってまだ二日。短すぎるこの期間で、一体何を理解できる。命の恩人だから図々しくも心を寄せて、勝手に理想の智香子を作り出していた。現実の智香子は理想よりもずっと素晴らしいというのに。
恥ずかしくなってまた智香子の胸に顔を埋める。
心配する智香子に、クラリッサは顔を埋めたまま答えた。
「いえ、その…思っていたよりも、チカコ様が大人だと、思って…」
「遠回しに私を子供だと思っていたって白状するんじゃないわよ」
部屋の前に控えていた兵士が智香子の「見下すな~~~~!!!」という声に慌てて中に入ってくるまで、あと少しである。
「クラリッサ、アンタさっきからまた「様」になってるわよ」
「…もう「様」ではだめですか?」
「だめ」
「……私の話、ちゃんと聞いておられますか、お二方」