第118話:礼儀知らずな子供③
女性の重要な役割は、結婚をして子を残すことである。
カタールに生まれた子女は結婚適齢期である十三歳までは親元で教育を受ける。基本的には母親が教師になるが、親戚の未婚女性や、または未亡人が教師になることもある。学問的な教育のほかに、刺繍や芸事について学ぶ。
結婚適齢期になった子女は皆、デビュタントを終えてから、一度教会にて治癒の力を調べる。そこで治癒の力を規定値よりも持っている者は、聖女試験への権利を得る。
この”十三の峻別”の後、権利を得た少女は五年の修行を積む。聖女に必要な薬学と医術。そして、治癒の力の使い方を学ぶ。他の子息子女たちが学園で学ぶ中、聖女候補は教会でひたすら学ぶ。
治癒の力は、発現こそするが、その者が本当に持っている能力の覚醒には、時間がかかることが分かっている。だから”十三の峻別”から五年という期間が設けられているのだ。
五年後、聖女試験が実施され、最終選考で聖女に選ばれれば、代替わり。途中で試験に落ちたり、最終で選ばれなければ、準聖女として聖女の補佐を行ったり、地方や各領地へ派遣されたりする。
カタールの女性の多くは、治癒の力を持って生まれる。初代聖女の血が受け継がれてきたからだ。しかしその力は血を経るごとに薄まる。だから、聖女試験で選ばれた聖女は、先代聖女から力を受け継ぐ。なるべく薄まらないように、多くの人を助けられるように。
クラリッサは始め、誰よりも多い治癒の力を持っていた。力を受け継がなくても、聖女に匹敵するほどの治癒の力。初代聖女コリン以来の治癒力に、人々は沸いた。初代聖女の再来だ、と。
初代聖女の子孫でありながらここ数代、聖女を輩出できていなかったコリンズ家は喜んだ。
「お前は我が家の誇りだ!よくやった、クラリッサ!」
「お前のお陰で私たちはまた、返り咲けるのよ!ありがとう、クラリッサ!」
クラリッサが聖女になるのは決まっていたも同然。十三歳にして聖女に匹敵する力を持っていたのだ。ここから更に五年経てば、どれほどの力になるのかと、皆が歴代最高の聖女の誕生を心待ちにした。
しかしクラリッサの治癒の力は、年々減っていく。”十三の峻別”から三年経った頃には規定値ぎりぎりの治癒の力にまで落ちていた。
父と母が縋りつく。それは黒くて、顔なんて見えない。でも匂いで父と母だと分かるのだ。
大丈夫だよな?と声がする。お前は期待を裏切らないわよね?とすすり泣きが聞こえる。クラリッサはただ、謝ることしかできない。ごめんなさい、お父様、お母さま。
ごめんなさい。
「クラリッサ」
「チカ、コ、様…?」
小さいぬくもりがクラリッサの頬を包む。目を開けたクラリッサはベッドの上に寝かされていた。同じようにベッドに乗り上げた智香子が、クラリッサから流れる涙を拭う。
「様じゃなくてさん、よ。何度言えば分かるのかしら」
「あ、す、すみません…」
言葉はきついのに、まだ流れるクラリッサの涙を拭うその手はとても優しい。ほんわりと心が温かくなる。
「…チカコ、さん。私には、姉がいるんです」
勘当された今となっては姉とは呼べない、姉だった人。
「姉は、治癒の力を持っておりませんでした。…治癒の力を持っていないこと自体は、この国では別に珍しいことではありません。問題だったのは、初代聖女の傍系であるコリンズ家の人間が、治癒の力を持っていないということでした」
学問も作法もなにもかも優秀で、貴族でありながら身分に問わない優しさも持つ人だった。一族からの期待を一身に背負う姿に、クラリッサは憧れた。姉のような素晴らしい人になりたい、と。彼女が聖女になれば、準聖女として多くの人を助けたい、と。
治癒の力を持っていない姉は、一族だけではなく両親からも見放された。
それでも、治癒の力を持っているかもしれないと五年待った。しかし姉はやはり治癒の力を発現することすらなく、その年にクラリッサが巨大な治癒の力を持つことが発見された。
「治癒の力を持っていないお前をこの家に置くことは出来ない」
「なんと恥さらしだろうか。お前のようなものを生んで、責められるのは私なのよ」
まだ結婚適齢範囲内の十八歳であったが、治癒の力を持っていない姉の嫁ぎ先は難航した。コリンズ家の血筋なら、生まれる子どもは大きな治癒の力を持っているかもしれないと、年の離れた下級貴族の元へ嫁ぐことになった。
「私は、日々冷遇されるお姉さまに、何もできませんでした。私が何か行動を起こせていれば、お姉さまがあんなに辛い思いをなさることもなかったかもしれないのに」
部屋の扉が開かれる。現れたのは、白い装束に身を包んだ、金髪の美少女。
「その通りよ」
形の良い唇に弧を描き、美少女は部屋に入ってくる。
「貴方がどうにかしていれば、貴方のお姉さまは辛い思いもせず、嫌な年上の男に嫁ぐ必要もなかった。貴方のせい。貴方が悪い。悪いことをしたから、貴方には罰が当たったのよ」
「そんなわけないでしょ。第一、話聞いてる限り、その時クラリッサ十三歳じゃない。たかが十三歳の子供に、何ができるっていうのよ。親に反抗するのさえ怖いのに」
「は…?何?この薄汚いのは。一体どこから入り込んだの?」
「あら、何も説明を受けてないのね。まぁ貴方、見るからに頭悪そうだもの。きっと私たちをここに連れてきたジェイミーとか言う礼儀知らずな子供は、貴方に説明する気さえ起きなかったのね」
智香子の言葉に、また美少女の口から「は?」とどすの聞いた声が聞こえる。
「チカコ様「さん!」はい!すみません!チカコ、さん。あまり、そう言ったことは仰らない方が…」
「出会い頭に人の事を、誤った独自の見解で完全否定してくるような頭の悪い人間に遠慮も配慮もする必要性を感じないわ。それにクラリッサ!貴方もよ」
突然自分に矢印が向けれられ、クラリッサは驚く。
「貴方の責任なわけないでしょ。それなのに全部自分の責任だみたいなこと言って。思い上がりも大概にしなさい!」
「どっちの味方よ」
「別にどっちの味方とかないわ。私は今、自分が思ったことを口にしたまでよ」
何か悪い?と言う智香子。美少女はアハハ!と大きく声を出して笑う。
「何これ、面白いんだけど。あぁ、ただね、私のは独自の誤った見解じゃないわ」
入って、と促されてドアの向こうから姿を見せたのは、クラリッサとよく似た雰囲気の人物だ。彼女をもっと大人びさせた姿と言える。ただクラリッサとは違い、その髪や瞳は黄色みがかっている。
「お姉さま…どうして…?」
「私のはね、貴方の大事なお姉さまから直接聞いたことだから、本当の事よ。お姉さま、話してくれたわぁ。実家でのことから今の生活まで色々。苦労なさったみたい。それもこれもぜーんぶ、貴方のせいだって言ってたわよ、クラリッサ!」
信じられないとクラリッサは首を振る。しかし彼女の姉を見ても、姉はただ下を俯いていて、顔は見えない。
「セイディ!何をやっているんだ!」
声を荒げ、後ろに兵を控えさせて部屋に入ってきたのはジェイミーだ。彼は一直線に金髪の美少女、セイディの所へとむかう。
「一人で部屋を出るなとあれほど言っただろう」
「ジェイミー様…!申し訳ありません、でも私、クラリッサが帰って来たって知って、怖くて怖くて、いてもたってもいられなくて…!」
「怖かったんなら部屋でおとなしくしていればいいだけの話じゃない。何言ってるのかしら」
「ジェイミー様…?これは、一体どういうことですか…?」
セイディはジェイミーの腕に自身の腕を絡める。ジェイミーはそれを振りほどこうとはしない。二人の様子や距離間は、まるで恋人同士のようだ。にやりとセイディの顔が歪む。
「あれ、言ってなかったかしら?殺人未遂を侵した貴方と、婚約破棄せざるを得なかったお可哀そうなジェイミー様は、自分の婚約者が侵した罪を自分も負うと仰ったの。でもそんなのあんまりじゃない?実際に罪を犯したのは別の人間なんだから。だからね、私が抗議したの。国を思うなら、必要なのは後悔するだけじゃなくて次に活かすことだって。本当にこの国が大切なら、私と一緒にこの国を守っていきましょうって。運よく私は次の聖女に神から選ばれていたし、小さい頃からジェイミー様とは面識があったわ。それならクラリッサの代わりに婚約者にって、決まったのよ」
「っ、そ、んな…!」
ジェイミーを見れば、彼は顔を伏せて「…すまない、ライリー」と、ただ一言口にした。
智香子はそこでようやく、セイディという名前を思い出す。
「あぁ、セイディって偽聖女ね」
どこかで聞いた覚えのある名前だと思っていたのだ。ぽかんとする面々。ジェイミーとセイディの婚約に衝撃を受けていたクラリッサだったが、慌てて手を上下させた。
「チ、チカコ様「さん!」はいすみません!偽ではありません!本物です!」
「でもカロラス達が偽物って言ってたわよ?それにさっき、そこのジェイミーとか言うのも、セイディは結界を張れないから、クラリッサが本物の聖女だって言ってたじゃないの。てかクラリッサ、アンタ何回私に敬称注意されれば気が済むのかしら。もしかしてそれわざとなの?」
「違います!決してわざとではありません…!」
突然知らない人間から偽聖女と言われて呆然としていたセイディ。智香子とクラリッサのやり取りに意識を戻す。
「聞いてるんなら話は早いわ。ねぇ、クラリッサ、私言ったわよね?」
セイディのその笑み。声。数日前の記憶が呼び起こされる。まだ治らない傷が、痛みだす。痛みは治まったはずなのに。
「二度とこの地を踏まないなら、助けてあげるって」
クラリッサは血の気が引いていくのが分かった。やめて、とベッドからずり落ちるのも気にせず、セイディにしがみつく。
「あの子たちは、あの子たちには、手を出さないで下さい!」
「いやよ。だって貴方、約束破ったじゃない。私に守ることを強要する資格なんて、貴方にはないでしょ?」
セイディは絶望に涙するクラリッサを笑う。
「貴方のお姉さまも、貴方が守りたかった子供たちも、みーんな貴方のせいで、苦しめられる。傷ついていく。貴方がいなければ、こんなことにはならなかった。貴方が優れていれば、皆守れたのに。貴方が出来損ないなばかりに、皆が不幸になっていくわね。どう?自分のせいで、他人の人生どん底に落とす気分は」
「ちょっと!」と駆けだした智香子を、ジェイミーの兵士が軽々捕まえてしまう。暴れても大人と子供ほどある力の差には意味がない。
「そんな貴方に、最後の機会をあげるわ」
「最後の…?」
「えぇ。ちゃんと出来るなら、貴方のお姉さまも、守りたかった子供たちも、国民も、皆助けてあげる。みんなよ。どう?破格の機会だと思わない?」
「…私は、何をすればいいのですか…?」
慈愛の笑みを浮かべるセイディ。白い服も相まって、見る人には聖女に見えるだろう。
「私の影武者として一生を過ごすの。それだけで、皆助かる。皆、幸せになれるの」
しかし智香子には彼女笑みが、悪魔の微笑みに見えた。
「すっごく良いアイデアでしょ。そう思うでしょ、クラリッサ」