第112話:決められた聖女②
キッチンから更に体を前に出して智香子とカロラスが「「殺人未遂?!」」と叫ぶ。
カロラスが急にギュッと智香子に抱き着いてきた。
まだカロラスは11歳。
幼い子供に聞かせるのは怖い話だったかと、智香子はカロラスの頭を撫でる。
実際、カロラスは智香子より人の死というものに慣れている。机で行われる王族の教育だけではなく、実際の戦場を見たことがあるからだ。
しかし智香子は戦争が近く身の回りに無く、人が死ぬことに慣れていない。だから安心させるために抱き着いたのだが、まぁ勘違いされても良いか、と頷く。
対してダミアンは冷静だった。
「なるほど、謀られたのか」
聖女は目を伏せる。それは肯定と同じ。
「騙され裏切られ、今まで信用していた人間から掌返しを食らい、殺人者の汚名を着せられ、国外追放、ってところか。合ってるかな?」
「…彼らは、彼らも、何を信じて良い、のかが、分からなかったんだと、思い、ます。彼らも、騙された人間の、一人で、あると、思います。…陛下のお言葉を、否定してしまい、申し訳、ありません」
「あ、ちょっ、止めてくれないか。頭を上げて。俺が人に理不尽な謝罪を要求するような人間だってチカコに勘違いされちゃうから頭上げて!」
クラリッサが頭を深く下げる。ダミアンが必死にそれを止める。キッチンからは智香子と智香子に抱き着いたカロラスがそれを見る。
お風呂の準備が終わったベネッタは部屋の様子を見て「なにこれ」と呟いた。
クラリッサの風呂を手伝うため、智香子とベネッタも一緒に風呂に向かう。
カロラスとダミアンは料理を任されることになった。
女性陣を見送り、キッチンにやってくる兄はなぜかニコニコと笑っている。
それはもう不気味なほどに。
「……どうした?兄さん」
恐る恐る訪ねれば、兄は一層笑みを深めた。
「…俺が触れるのは駄目なのに、なんでカロラスは触っても良いの?それもこれ見よがしに抱き着いたりしてさ。俺への当てつけかな?」
兄の智香子への感情の芽吹き。それを忘れたわけではないが、思ってしまう。
前よりもっともっとめんどくさくなった、と。
全然冷静じゃないじゃん、と。
(チカ~!ベル~!早く戻ってきて~!)
「あまつさえ頭まで撫でられて…。子供だからってなんでも許されると思ってるのかな?」
今出て行ったばかりの女性陣への助けを心の中で叫んだ。
カロラスの声が届くのは、ベネッタだけである。
「ラス…。無念…」
風呂場・脱衣所の説明を簡単にする智香子にはベネッタの声は聞こえなかったようで、クラリッサに引き続き洗剤の位置や衣類の置き場所などを教えていく。
「洗濯は一日に一度手洗いするわ。貴方の薄汚れた服も私たちの服と一緒に洗うけど、文句言うんじゃないわよ」
説明はこんなものか、と一息ついた智香子は風呂に入る準備を始める。
首を傾げるクラリッサ。
「素性の分からない人間にお風呂を一人で使わせるわけないでしょ。監視よ、監視」
「アタシも」
しかし素早く脱いだ智香子とベネッタは、脱ぐのに手間取っていたクラリッサの服を丁寧に脱がせていく。
クラリッサが掌を合わせて何か言いたげにしていることに気づく。
なんだと問えば彼女は両手を握り締め、意を決して口を開いた。
「あ、あの!貴方様、は、女神様でしょう、か?」
「…は?めが」
「チカコが女神?!何言ってん」
「いやーーーー!!!何やってんのよ馬鹿!」
突如走って来たダミアンが扉を大きく開ける。
怒った様子の彼だったが、智香子はそれ以上に脱ぎかけのクラリッサを隠し守らなければとその身を盾にする。
「「チカも下がって!」」
声が重なったかと思えばベネッタとカロラスだった。
ベネッタは素早く智香子とクラリッサの前に飛び出る。
「『気絶しろ』」
ダミアンが最後に見たのは、睨み付けてくる妹の顔であった。
気絶したダミアンを、カロラスが足を持ってリビングへと連れていく。
もちろん顔面を下にして引きずる形だ。
扉の鍵を閉めていなかったことに迂闊だったと舌打ちをしたくなるベネッタだったが抑える。
素早く扉を鍵まで閉めて、智香子の肩を強く握る。
「チカ。兄上に、気を付けて。本当に、気を付けて」
智香子は自分の貧相な体のどこに魅力があるのか分からないので、ベネッタが何を気を付けろと言っているのかが分からなかった。
智香子もベネッタもバスタオルを体に巻いていたから体を見られたわけではない。
将来有望なベネッタは、すでにスタイルが良いし、クラリッサも傷等が多々見られるが、スラリと背の高いモデルのような体形をしている。
「私よりもベネッタやクラリッサの方が気を付けないとでしょ」
何言ってんのよ。と呟く智香子に、ベネッタはため息を吐く。
クラリッサは目を白黒させていた。
お風呂に三人で入る。
傷に染みるかと尋ねられて、クラリッサは怪我をしている自分の補助のために二人が入ってくれたことに気づいた。
「えっと、少し…」
傷を見た感じ、少しどころではないように思える。
試しにお湯をちょっとかけてみれば、傷に染みてクラリッサは痛みに顔をしかめた。
「痛いときはちゃんと痛いって言いなさい。貴方の体を一番分かるのは貴方なんだから、嘘つかれるとこっちの対応に手間がかかるのよ」
強い口調で言われ、クラリッサは肩を落とす。
智香子は元の世界の傷パットや防水布、無いならせめて絆創膏があればと思わずにはいられない。
流すのは難しそうなので、湿った布で体を拭いていく。
すぐに汚れる布をベネッタと二人がかりで、取り換え、洗浄し、拭い、を繰り返していく。
粗方の汚れを拭き取った後、ベネッタが湧かしてくれたお風呂に入りたかったが、怪我人にお風呂はまだ早いので三人は浴室から出た。
「そういえば、さっきはついクラリッサって読んじゃったけど、大丈夫だったかしら?」
体を拭きながら、まだ智香子の口調に落ち込んでいたクラリッサは慌てて「はい!」と返事をした。
「ぜひ、ぜひ、クラリッサ、と、お呼びいただけれ、ば…。貴方様の、こと、は、なんとお呼びしたら、よろしい、で、しょうか?」
「智香子よ」
「チカコ、様…」
「様って…。私貴族でもなんでもないから、呼び捨てで良いわよ。あと敬語もいらないわ」
しかしクラリッサはとんでもない!と首を振る。
この世界の人間は人の名前にすぐ様を付ける…と呆れつつ、「チカコさん」に収めた。
敬語に関しては「癖なので」と言うのでそのままだ。
「あの、先程は、どうして、浴室の説明をして、くださった、のですか?」
「怪我が治るまでこの家にいるでしょ?あれがどこ、これがどこって一々聞かれたらこっちが迷惑だから、予め説明したに過ぎないわ」
「あ、ありがとう、ございま、す…!」
脱衣所から出た智香子たちが最初に目にしたのは、縄で体を縛られた状態で天井につるされたダミアンだ。
ベネッタが「『起きろ』」と言うと、ダミアンの意識が戻る。
ドア付近で寝ていた大和が体を起こして風呂上がりの智香子に寄り添う。
なんだか守るような大和にどうしたのだろうと智香子は思いながら、ダミアンの様子をカロラスに聞こうとしてキッチンを向いた。
「あ、もう上がったんだ」
早かったな、と言いながらこちらに来るカロラスの手には、鋭く光る包丁が。
「え、カロラス、それで何をするの…?」
「何言ってんだよ、チカ。決まってるだろ。兄さんを処理すんだよ」
「ラス、アタシも手伝う」
「我も手を貸そう」
ケラケラと笑うダミアンと、彼の命を狙う三人。そして所在なさげに手を上下させるクラリッサがいる中、智香子の「だめー!!!!」という声が家中に響いた。