第106話:正義のフワフワ③
神殿の上で、隣に大和を連れて、風に吹かれる智香子。
子どもほどの身長であるのに、今その背に守られているのだとカロラスは自然に思う。
別に、貴族たちの言葉に思うことがないと言えば、嘘になる。
上の兄姉は知らないが、カロラスはまだ貴族たちの言葉に傷つけられることもある。
だが、それは日常だった。
王族が心が視えているからと隠そうとする者もいれば、隠さない者もいる。
陰で隠れて画策する者もいるし、ただ姿を見ただけで脅える者もいる。
信頼を預けること、してもらうこと、それがとても難しいことだとすぐに知った。
沢山の言葉のナイフは、耳からも目からも入ってきて、時折息さえできない痛みに苛まれる。
だが人間は慣れてしまう生き物のようで、刺されまくって強くなったのか、ナイフはそうそう自分の心を痛めなくなっていった。
時折、柔らかいところを目掛けて抉られたり、思い出しては苦しんだりすることもあったけれど、王家に生まれたならば、この能力を得たからには、宿命なのだと受け入れた。
悪いことばかりでもない。
隠れて出かけた街で、地方で、心の底から楽しそうに暮らす民を見れる。
王族に感謝してくれる民がいるのも知っている。
だから気にしても仕方ないこと。
良いことも悪いことも、当然起きる。
受け入れてしまえば簡単なんだ。
でも智香子は受け入れない。
受け入れないし、許さないし、がっつり怒る。
「ほんと、なんなんだよ。くそ。」
目から零れ落ちてこようとするものを服の袖で無理やり拭う。
すると隣の兄と姉の姿が目に入って、カロラスは思わず引いた。
「っ…。」
「チカコ~!チカコ~!」
ベネッタはボロボロと静かに声を殺して泣き、兄に至っては智香子の名前だけを呼びながら泣く。
割合的に兄の泣き方がそういう特殊な生き物に見えて引いている。
(兄姉のガチ泣きって笑えてくるものなんだな。)
滅多に見られない珍しい場面というのもあるが、涙が引っ込んでしまった。
小さく、ベネッタがカロラスの名前を呼んだ。
「ぅ、チカ、チカが、アタシのこと、ただの、こどもって、…道具じゃないって、大事な、だい、じな、家族って、ぅぇ、チカ~!チカ~!」
「落ち着け、ベル!兄さんと同じ、そういう生き物になっちゃってるから!」
姉の背を撫でる。これではどちらが年上か分からないではないか。
背を撫でながら、カロラスはやっぱり笑ってしまう。
チカコ~!と叫ぶ兄の背を叩く。
衝撃の連続に動けずにいたが、いい加減自分たちも動かなければならない。
いつまでも智香子一人に重荷を背負わせてはいけない。
「あのー…。少し質問良いだろうか?」
貴族の一人が前に出る。なんだ?と思う人々。
智香子は「どうぞ」と答えた。
「家族、と言うことは、君は王家と共に暮らしているのだろうか?」
「そうよ。」
「…ずっと?」
「?えぇ。(こちらの世界に来てから)基本はずっと一緒に生活しているわ。」
神殿前にいる貴族だけではなく、魔法道具により映像・音声が届いている国立広場でも動揺が広がっている。
「どういうことだ?5人目の話など聞いたことはないぞ。」
「養子か?」
「あの黒髪、隠し子ではないか?」
「見た目は10歳そこら…。年齢的にも可笑しいところはなさそうだ。」
「なぜこのタイミングでの公開なの?隠していたなら、もっと大々的に報道すべきでは?」
「いや、先程行ったことがある場所が一つの街と一つの領地…恐らく避暑地か何かだろう。その二か所だけだと言っていた。長距離の移動が困難であり、隠し子というのと合わせてみると、」
「公務ができないほどの虚弱体質!」
「なるほど。公務が十分になされている今、体の弱い末の子を無理に公に出すよりも、存在を隠し、ゆっくり生きられるようにしていたのだな。」
「そのような身の上でありながら、家族が侮辱されたことに耐えられず、今まで隠していたその身を公に晒してでも、家族を庇った、と。くっ、なんと素晴らしいお方だ…!」
皆の思考が「虚弱体質ながら家族想いな少女」にまとまりつつあることを智香子は知らない。
「…さぞ、ご苦労なさったのですね…。」
「苦労?私が経験したのは世間一般的な苦労(受験)くらいよ。家族は十分な教育と暖かな家庭を与えてくれていたし。大した苦労は…うん、ないわね。」
「虚弱体質ながら苦労を苦労と思わず、ただ生きられている今に感謝し、周囲を大切にする家族思いな少女」へと印象が更新されていく。
先程智香子が言い放った「ボケナス」という言葉は彼らの記憶にはもうない。
涙ぐむ者まで現れる。
「ぐすっ…。君は、いや、貴方様は、大変素晴らしいお方だ。その身一つで生きねばならぬ使命を背負いながらも、感謝を忘れない…!感動した!そんなに小さな体で、なんと偉大な御方だろうか!」
「は?」
「「「あ」」」
隠された王女の登場に皆が涙を流す中、響いた声は低く。
なんだと顔を上げた先には、可愛らしい少女などどこにもいない。
「小さい…?アンタ…、小さいって…、何、上からもの言ってんのよ!自分たちの身長が高いからって、可愛いという意味を含んでいるからって、小さいことを誉め言葉と捉えているバカのなんと多いことかしら!あのね、小さいことを気にしている人だってこの世の中たっくさんいるの!誉め言葉として使ったのに何で怒ってるの?じゃないわよ!こっちは嫌だっつってんの!」
ぽかんとした人々の顔が馬鹿にしてきたかつての同級生に似ていて、智香子は堪らず叫んだ。
「見下すな~~~~!!」
魔法がかかっていたことで、智香子の声は国立広場を超えて少し離れた領地にまで響く。
驚く人々。
「は、あれ、えっと、貴方様は、第三皇女、で、」
「はぁ?!第三皇女?!何言ってんのよ!ほんと脳みそ腐ってるのかしら!いや目が腐ってんのね!私のどこがベネッタよりも年下に見えて、んむぐぅ!!」
慌てて後ろからダミアンたちが智香子の口を防ぐ。
王族の登場に、教会の人間以外の人々は跪く。
反抗する智香子を腕の中に捕らえたまま、ダミアンはにこやかに人々の姿勢を崩させた。
「皆に紹介するのが遅くなった。こちら、第三皇女のチカだ。体が弱く療養をしていたが、最近調子が良く、こうして皆に紹介で来たこと、嬉しく思う。まだ様子見をせねばならぬ身ゆえ、そう表に顔を出すことは叶わぬが、これからは兄弟5人で手を取り合い、この国を最良へと導いていこう。」
あがる歓声。
しかし、智香子の言葉や、王族が彼女を抑え込んでいるのを見た人々は思った。
第三皇女殿下は確かに虚弱体質で家族思いだが、口が悪く、手が付けられないほどじゃじゃ馬なんだ、と。
智香子が勝手に付けられた「虚弱体質ながら苦労を苦労と思わず、ただ生きられている今に感謝し、周囲を大切にする家族思いな少女」という印象は、本人の知らないところで人々の中から勝手に崩れ落ちていった。
大和に智香子へかけた聴力上昇と風魔法を解かせ、ダミアンは智香子を抱えたまま神殿の上から降りる。
ベネッタやカロラス、大和も後に続く。悲鳴をあげたのは智香子一人だけだ。
地面に降り立った時、教会の信徒たちが神殿の入り口前に立ち塞がる。
何の真似だ、なんて聞かなくても分かる。彼らは中で未だ光る”世界”を調査しようとしているのだ。
「私の国で好き勝手出来るとでも?」
「えぇ。だって貴方方は、民を守らねばならぬでしょう?」
後ろで聞こえる悲鳴。
意識が戻っていたはずの平民や貴族たちが、不可解な動きで周囲のものや人間を襲っている。
その隙を狙って逃げようとする貴族もいる。
王族であるなら、見逃すことは出来ないだろう?司祭は「では、失礼」と笑って神殿へと入っていく。
智香子はダミアンに抱えられたまま考える。
教会が神殿の中にまだいる世界を調べたら何が起こるのかはさっぱり分からないが、ダミアンたちが止めようとしているのなら何かしら不味いことが起こるのだろう。
(だったら、私が囮になって敵の目を引き付けて、その隙にダミアンたちを中に入れて司祭を止めてもらうのが一番良い!)
だが智香子が何か言う前に、皆は走り出した。
ダミアンに抱えられている智香子は為す術もなくただ運ばれる。
智香子達とは反対の、周囲を襲う人々や逃げようとする貴族たちの方へと走るベネッタとカロラス。
「こっち、任せて!」
「そっちは任せたからな!」
神殿の入り口前で、信徒たちが魔法を展開する。
一歩前に進み出た大和が魔法により彼らを退けた。
「我もすぐに追う。」
「ちょ、貴方たち!」
走るダミアンは智香子を抱えたまま、信徒たちからの攻撃を次々に躱していく。
邪魔になるだろうから下ろして欲しいと伝えるも、彼は聞き入れてくれない。
「チカコ。君が囮になるのを、俺は認めないよ。」
「!」
否定されれば、というかダミアンが離してくれないと、智香子にはどうすることもできない。
大人しく腕の中で極力邪魔にならないよう努める。
神殿の中へ入れば、顔の見えない司祭が世界へと手を伸ばしていた。