第101話:ぶつけられた言葉②
緊急議会でベネッタが戻らず、不審に思ったガトーの調べで貴族街の神殿にベネッタが連れ去られたことを知る。
ダミアンがまずいことになったと思いながら神殿へ向かえば、神殿の前には貴族と平民の信者が集まっていた。
「…何の真似だ。」
「陛下。貴方様をここから先にお通しすることは出来ません!」
叫んだ貴族が前にかざしたのは見たこともない魔道具。
それが光るのと同時に、平民が飛びかかってきた。
「精神操作の魔道具か…!」
ダミアンにとって攻撃してくる平民を無傷で捕らえることなど簡単なことだ。
しかし、貴族の「動けばそいつらを殺しますよ」の言葉に手を止める。
下卑た笑みに眉を顰めていた時、影が頭上をよぎった。
それがなんなのか理解した直後、ダミアンは迷うことなく周りにいた人間を魔法で吹っ飛ばす。
ダミアンの魔法の速さについてこれなかった貴族は気絶し、平民は皆無事だ。
神殿の扉を開けたとき。
目に入ったのは光る世界でも、飲み込まれそうなベネッタでもない。
手を伸ばして救いを求める人間を掴もうとする、智香子の背中だった。
世界に飲み込まれた二人を見て、ダミアンの思考は闇に落ちる。
しかし「チカコに嫌われる」のだけは嫌だったから、それだけは嫌だったから、ダミアンは動いた。
王族しか入れぬ棺の間。
心安らぐこの部屋で、ダミアンの思考はただ一人を反芻する。
あのぬくもりを。あの声を。あの目を。あの匂いを。
小さくて、力強い、生命力に溢れた人間を。
ただ溺れていたい。彼女がいない?そんなことはない。彼女はここにいる。ここに、そばにいる。今も笑っている。笑って、話して、怒って、また笑って。楽しい。楽しい時間だ。幸せで、なによりも手放し難くて。このまま浸っていたい。彼女にだけ、包まれていたい。
パシンッ
頬に何かが当たる。
痛みだと気づくのに時間がかかった。
真っ暗だった視界が、包まれた頬により上を向かされて、光を強制的に取り込まされる。
「この、バカ!バーカ!大馬鹿!こんなに、苦労させて、ほんと、帰ったら、ただじゃおかないんだからね!ちょっと!いつまで寝てるつもり?!目は開いてんのに起きてんのか起きてないのか分かんない顔して。さっさと目を覚ましなさい!バカ寝坊助!!」
なぜ、黒いのに、こんなに眩しいのだろうか。
なぜ、小さいのに、こんなに力強いのだろうか。
息切れをしながら、傷だらけになりながら、それでも彼女の瞳は、真っすぐダミアンの赤い目を見ていた。
ダミアンはゆっくりと手を伸ばして、智香子の頬に触れる。
拒否はされない。その心は、恐怖も、嫌悪も、感じていない。
ただただダミアンの身を案じ、カロラスやベネッタ、他の人間の無事を心配している。
(あぁ、嫌だな。腹が立つ。)
彼女の意識が余所に向かうのに、腹が立つ。今、彼女の目の前にいるのはダミアンただ一人だと言うのに。他の人間のことを考えるのか。
今までに抱えたことのない感情。熱。腹の中でグルグルと回るそれを何とか抑えては、抑える必要性を自分に問いかける。
なぜ抑える必要がある?
全て吐き出してしまえば良い。
「ダミアン?」
抑えるのは、このぬくもりを守るためだ。
知らないから、恐怖も嫌悪も感じない智香子。
知ったらどうなるかなんて、分かり切っていることなのに、つい期待してしまうんだ。
「チカコ。チカコ。チカコ。チカコ。」
「そう何度も名前を呼ばなくても聞こえてるわ。」
「チカコ。ねぇ、チカコ。」
彼女の両頬を自分の手で包んで。彼女の視界に自分しか映らないようにして。彼女の名前を何度も呼ぶ。
そうすれば、彼女の中から余計なものはどんどんなくなっていって、僅かばかりになった。
彼女の中を完全に自分だけに出来ないことに苛立ちながら、大部分を占めていることに優越感を感じる。
顔の近さに赤面した智香子が見えて、自分の顔の良さに感謝した。
哀し気で、甘い声で、ダミアンは智香子に囁く。
「俺のそばにいて。ずっと、ずーっと。俺のそばに。ただ、それだけでいい。そばにいてくれるだけで、それだけでいい。」
返事をせず、ただ真っすぐに見つめてくる彼女に、ダミアンは不安になる。
「そばにいてくれないの?だめなの?なんで?どうして?俺に何か問題があったの?俺のせいなの?駄目な所は直すよ。チカコの好きな俺になるよ。どんなことでも、どんな願いでも、チカコのためなら叶えるよ。この国だって、なんならこの世界だって、全て、君にあげるから。チカコに全部、あげるから。そばにいて。そばにいるって、言って」
下がって、暗くなっていく視界。
でも智香子はそれを許さなかった。再び持ち上げられた先で、智香子は静かに言う。
「……そばにいるわ。」
「…ずっと?」
「えぇ。ずっと。」
「ずっと、俺のそばにいてくれる?」
「えぇ。貴方の、ダミアンのそばにいる。」
それで、貴方を救えるなら。
心の中で呟いた智香子の言葉を視て、ダミアンは歓喜した。
小さい小さい彼女の体を自分の腕の中に閉じ込める。
智香子は命を見放せない。誰かが死ぬことを、許せない。
それがダミアンだけでなくても構わない。
智香子がそばにいてくれるなら、他の誰かを気にすることなんて大したことじゃない。
(いつか、俺だけのことを考えて欲しいなぁ。君の心に俺だけしかいない、なんて。どれほど最高なんだろう。)
腕の中のぬくもりに感じ入る。
今ならかつての恋人たちの言葉が理解できるとダミアンは思った。
確かにダミアンの愛情は、言葉は全てうわべだけで、中身の伴わないものだった。
自分だけを見てくれない、自分だけを愛してくれないことに、腹立たしく思ってしまう。
「チカコ。君さえいてくれれば、それだけで俺は幸せだ。」
心からの本心を囁けば、彼女はどんな風に反応してくれるのか。
顔を赤らめるか。それとも笑ってくれるか。
腕の力を緩めて智香子を見る。
こちらを見る智香子は、頬を染めるでも笑みを浮かべるでもない。
眉を顰めて首を傾げた彼女は、心と全く同じ言葉をダミアンに吐く。
「は?何言ってんの?」
「え。」
固まるダミアン。
閉じていた扉が開き、中へ入ろうとしながら様子を見守っていたカロラスは思わず頭を抱えた。