第99話:地下への魔法陣
王宮を我が物顔で歩き回る、黒い布に覆われた者たち。教会の信徒たちだ。
貴族たちとの違いは、国に所属しているか教会に所属しているかである。
(もうこんな所まで入り込んできたか)
影からこっそり見ていたカロラスは焦る。
状況は思っていたよりも悪い。
集まりながら、あの場所に近づいていく教会。
役に立たない兄。
無事か定かではない姉と智香子。
更に問題はもう1つ。
教会信徒たちの、心が視えないのだ。
以前から妨害系の魔道具は存在していたが、起動した時目に見えて分かるものや、物自体が大きいものしかなかったはず。
小型化と不可視化。その二点に成功したのか。
それならば厄介だと思う。
世界に広められれば、この目への対抗策と成り得る。
「まだ見つからないのか」
「またとない機会だぞ」
「絶対に見つけ出せ」
今はまだ見つかっていないのなら、優先事項は兄の回復だ。
兄の元へ向かおうするカロラスはフワフワの何かにぶつかる。
教会信徒からの新手の攻撃か、と魔力を手に込めた時、後ろから抱きしめられた。
そのぬくもりとサイズ感には覚えがある。
振り返って自分と変わらない背丈の人物をカロラスは力一杯抱きしめた。
「チカ…!!」
「一人で怖かっただろうに、よく無事でいてくれたわ。すごいことよ、カロラス。」
智香子はカロラスの頭を優しくなでた。
思わず目に涙が溜まる。
しかし強めの温かい風が吹き、見れば先程のフワフワの正体――ビスウィトがこちらを見ていた。
近い距離からの鼻息に、カロラスの心臓が跳ねる。
「感動の再会に水を差すのは無粋よ、大和。」
「再会も何も、先程離れたばかりだろうに。大げさだ。」
なぜビスウィトと普通に話しているのか。いや、それ以上に気になることがある。
「なまえ…?」
「?あぁ、名前ね。大和っていうの。大和、こちらカロラス。私の大事な家族よ。」
不十分な説明でも、心を視ればなぜ名前を付けるに至ったか分かったが、これどう見ても違反ギリギリの契約してないか?
ビスウィトを見ればなぜか勝ち誇った顔をされる。
まるで済んだことはどうしようもあるまい?とでも言いたげだ。
上位者の心は開いてもらわなければ視えないのが腹立たしい。
「事前の確認もなしに名前を付けてしまって、悪いと思っているわ。もし家で飼うことが難しいようであれば、私が責任を持って一人で育てる覚悟は出来ているから、遠慮しないで頂戴ね。」
「難しければ我と二人で暮らそう。」
「あら、私は今居候の身よ。収入が何もないから、まずは職探しから始めなきゃいけないわ。」
「餌は我が狩りをすれば問題はあるまい。」
問題はそれだけじゃないわよ、と智香子。
双方の考えていることが合っていないと分かっているのにビスウィトは指摘せず。
慌てて二人の間に入る。
「待て待て!話を進めんな!まずチカ!多分ペットを飼うことに関しては問題はないから安心しろ。それとビスウィト!」
「今はヤマトだ。」
「…ヤマト。勝手にチカを連れて行ったら許さないからな。」
「…ふむ、善処しよう。」
智香子が望まぬことは本意ではないのだろう。しかし智香子が少しでも望めば簡単に連れ出す。
その意図が読み取れた。
加えて名前だ。しかも契約を伴った名付け。
「貴方ビスウィトだったの?!」
「今気づいたのか。本当に面白い。」
この短い間に、もっと気に入られている。
後々のことを考えた時、詰め寄られるのはカロラスだ。
面倒だと思わずにはいられない。
(いざってときはチカに助けてもらおう。)
ペット問題は父と母に丸投げすることにして、カロラスは現状を話す。
大和の背中で未だベネッタは眠っている。
「教会か、懐かしい。500年前の惨事を思い出す。」
大和が一体何歳なのか気になる智香子。
「大まかには分かったわ。でもその部屋ってのは何なの?」
智香子とカロラスの体が引っ張られ、大和の柔らかい毛に埋もれる。
文句を言う智香子に「静かに」と支持を出した。
慌ただしい足音。
「まだ見つからないのか。」
「司祭様!」
司祭?と壁から少し顔を出した智香子が見えたのは、黒い服に包まれた者たち。
その中にいる、ひと際背の高い者。
後ろ姿ではあるが他の信徒とは異彩を放っている。
「…チカ?」
「え、あ…」
気づけば大和の毛を強く握っていた。
慌てて謝る。大和は別に痛くなかったので気にするなと伝えた。
再度司祭を見る。
すごい嫌悪感を抱くわけでも、恐怖を感じるわけでもない。
(でも、なにか、いやだ)
司祭がこちらを振り返る。
慌てて隠れる。
「……司祭様…?」
「………いや、何でもない。地下へ通ずると思われる隠し通路を後宮にて見つけた。皆そちらへ向かえ。」
教会の信徒たちも、司祭も、どこかへと消える。
体に力の入っていた智香子とカロラスの二人は息を吐いた。
急にこちらを振り向かれて、バレたかと思った。
「でも時間の問題だ。急いで行こう。」
向かったのは行き止まり。前も横も上も壁。
カロラスが道を間違えたのかと思ったが、床のタイルの一つに彼が手を触れると、幾何学模様が浮き上がった。緑の光が辺りを包む。
次に目を開いたときには、そこは薄暗い通路へと変わっていた。
「何も説明せずにごめんな、チカ。あれはここ地下通路に通じる転送魔法陣だ。」
「全くよ。事前説明はちゃんとするものよ。」
「血縁者の魔力を流し込むと発動する術式か。限定するのに複雑な陣を描かねばならぬはずだが、一体誰が考えた。」
「ずいぶん前からあるから、オレも知らないんだ。」
後ろは壁。道は一本のみ。
奥の方に進むほど、どこからか入り込んだ光が道を照らす。
到着したのは大きく白い扉の前だ。
智香子が触れてもピクリともしない重さ。
「ここはオレたちだけが知る場所。国家機密、絶対禁域。呼び方なんかどうでもいい。踏み荒らされぬように守れと、ただそれだけを伝えられてきた。」
カロラスが魔力を流していく。
白い扉に魔力が伝わっていくのを現すように、模様が浮き出てくる。
綺麗な模様が扉全体に張り巡らされると、扉が自然に開いた。
「ここは、創生神が眠る場所と言われているんだ。」
「創生神が…?」
扉が開き始めた直後、智香子たちが来た道からバタバタと音がする。
現れたのは教会の信徒たちだ。
黒ずくめの彼らは笑ってこちらを見ていた。
信徒たちの後ろから歩いてくるのは、先程の司教だ。口元しか見えない司教は、いびつな笑みを浮かべた。
「お初にお目にかかります、第二皇子殿下。」
「お前…なぜ、ここに…!まさか、謀ったな…!」
「謀るだなんて、とんでもない。我らは貴方様の後を付けただけでございます。」
後宮に向かったと思っていたのに、してやられたとカロラスは下唇を噛む。
中途半端に開けられた扉の先に、彼らを入れてしまうのは駄目だ。
しかしなぜかあの転移魔法陣を使われた。であれば、この扉も開けてしまえる可能性がある。
カロラスは智香子を扉の奥へと突き飛ばす。
「カロラス?!」
「チカごめん!でも出来るとするならチカだけなんだ!」
扉に両手を付き、すぐさま閉じるように魔力を流していく。
司教や信徒たちが邪魔をしようと魔法を放ってくるが、大和が同威力の攻撃魔法で相殺。
「ふむ。チカコの元へ駆け付けたいが、まずはこやつらの排除が先か。」
閉じていく扉。
智香子は自分が戻っても役に立たないことは分かっているが、動かずにはいられない。
そんな彼女を止めるのはカロラスだ。
「カロラス!私は、」
「チカ。その先に兄さんがいる。ここまでは辿り着けた。きっと敵の侵入も防ぐ。でも兄さんは今、心が空っぽだ。チカが、埋めてくれ。チカにしかできない。チカしか満たせない。どうか兄さんを、助けてくれ。」
カロラスの顔が閉まっていく扉により狭まっていく。
大和の後ろ姿ももう見えない。
「…何もできない自分に腹が立って、迷惑をかけるのは逆に駄目なことよね。えぇ、弟に迷惑かけるようなそんなどうしようもない無責任野郎に成り下がったダミアンは、私がケツ引っ叩いてでも連れ戻す。分かったわ、カロラス。任せなさい。」
「ありがとう、チカ。」
扉が閉まる。
カロラスはきっと大丈夫だと扉を背に敵を見る。
扉の先を目指す彼らにとって、カロラスも大和も邪魔でしかない。
強い殺気が飛んでくる中、大和は笑う。
「あの性格は元からか。」
「初めて会った時からあんな感じだ。」
それは面白いな。呟く大和の声から、羨ましそうな気を感じる。
「しかしお主も大概面白い人間だ。」
オレのどこが?と首を傾げてしまう。
兄姉に比べれば、面白い要素なんか見当たらないが。
「この状況でその目が出来る幼子は少ない。」
「あぁ、それは、最近覚悟を決められたから、だと思う。まだまだだけど。チカのおかげだ!」
「やはり我の決断は間違いではなかった。」
カロラスと大和は向けられる悪意も魔法も全てを蹴散らしていった。
閉じた扉を前に、智香子は息を吸って吐く。
勢いよく振り返れば、先程まではちゃんと見えてなかった部屋の中がよく見えた。
天井や壁は白のセメント。地面は白だが、質感が違う。
古さを感じられるヒビや汚れが見られるが、それさえこの場の厳かな雰囲気を作っていた。
おおよそ50メートル先。
数段の階段の上に一つだけ建てられた椅子の上に座る人物を智香子はよく知っている。
「ダミアン!アンタ、一体いつからそんな落ちぶれたのかしら!情けないことこの上ないわね!」
力なく項垂れて座る彼の、光りが消えたその赤い目は智香子を映していない。
50メートル走のタイム10秒台だったな、と悲しい過去を思い出しつつ、ダミアンに向かって走り出す。
「ダミアン!聞いてるの?!アンタのその耳、私が思っていた以上に使えない不良品だったのかしら?!」
ぐる、とダミアンの目が智香子を映した。
意識が戻ったか!と思ったが、表情を見るからに戻ったようには見えない。
するとどうだろう。
ダミアンの片手がゆっくりと持ち上げられ、走る智香子に向けられる。
なんだ?と首を傾げる智香子は、光り出したダミアンの掌に嫌な予感がした。
「っ、まずい!!!」
不格好ながら慌てて横に飛ぶ。
着地も上手くいかないが、智香子が立っていたところを見れば、炎が上がっているではないか。
「ひぇ…」
この地面燃えるの?とかなんでまだ炎消えないの?とか疑問は尽きないが、何よりも驚きなのは、ダミアンに攻撃されたということだ。
「こんの馬鹿…。私と敵の区別も付かないようね…!良いわ、そっちがその気なら、何が何でもアンタを正気に戻してやるんだから!」
未だ正気に戻らないダミアンに向かって、智香子は走り出した。