勇者こたつみかん
俺は口元を埋めし布団から顔を上げると、開口一番こう言った。
「しばれるなぁ……」
それもそのはず、ここはアールダイル大陸一極寒の地ノーティス。
そのさらに北端にある街の安宿『ゆきだるま亭』の、隙間から寒風が吹き込むようなボロ臭い一室なのだ。
そんな部屋で今、俺たちは身を寄せ合って全滅の危機と戦っている。
「ええ、ホント、寒いわよね」
「ああ、もはや確かめるべくもないくらいだ」
俺の声に追従して声を出したのは、賢者と武闘家だった。両者とも声が震えている。きっと室内の気温は零下を下回っているに違いない。
聞くところによると、皮下脂肪のアドバンテージがあるため、女は男よりも寒さに強いらしい。だが一応は女である賢者を見た限り、そんなこともなさそうだ。さっきから両腕で自分を掻き抱いてブルブル震えている。うむ、寒そうである。
一方で武闘家は、さっきから盛んに呼吸を行いながら、外気に触れる表面積を少なくしようと布団に深く潜り込んでいる。顔色は青を通り越して白に近づいている。こっちはこっちでHPがヤバい。
「戦士さん、本当に大丈夫ですかね……?」
凍えそうな窓の外を見てぽつりとそう呟くのは僧侶だ。元来寒がりの彼女はローブを重ね着してきたのが功を奏したのか、今まで見てきた連中の中ではまだ余裕がありそうである。
『女の子に冷えは大敵なんです! だっておしっこ近くなっちゃいますから!』
まだこの世に魔王がのさばっていた時代、魔王軍のアジト、氷の塔攻略の際に厚着の僧侶が大声で叫んだ失言は俺の記憶に深く刻まれている。
その後すぐに僧侶は失言に気づき、真っ赤になって顔を覆い、しゃがんで動けなくなったのでとても興奮した。そんな思ひ出。
「ねえ勇者、本当に様子を見に行かなくて大丈夫かしら?」
当時の余韻に浸っていると、賢者のそんな一言が俺を記憶の底から引きずり上げた。なんて酷薄な現実。
俺はわかっているだろとかぶりを振る。
「アイツはじゃんけんに負けた。俺たちは勝った。だから外に出た」
「ええ、それはわかってるわ。だけど帰りがちょっと遅すぎじゃないかしら」
「ガスボンベの種類が多くて迷ってるのかもしれない。あいつ賢さ低かったろ」
「家庭用のなんて一種類しか売ってないでしょ。迷いようがないわ」
そう言って賢者はふうっと吐息をこぼす。
まるで「私は戦士のことを心から心配しているのに、勇者ったらなんて薄情なのかしらん」とこちらに当てつけるように。
だがそれは罠だ。周到に見せかけて、孔明ほどでもない。
「そんなに心配ならお前が見に行ったらどうだ。俺は止めないよ」
すると賢者は呆れた表情で肩を竦め――実際には布団から腕を出す寒さに肩を竦めようとしただけで済まし――またしても溜息をこぼした。
「たった数年経ただけで、随分と人情がなくなったんじゃない? ねえ勇者、あなた昔なら絶対そんなこと言わなかったわよ?」
「しらねーよ。つか、その手は食わないっつーの。戦士のことが心配なら、心配した当人が見に行くのが筋だろうが。俺に昔の勇者像を求めんな」
「猪突猛進だったあなたの回復が間に合わなくなったとき、真っ先に手を貸したのは誰かお忘れ? その恩義に報いるつもりもないっていうの」
「はっ、忘れたね」
「あっきれた」
「こっちのセリフだね」
ぺっと唾棄するように言う。
賢者の物言いに含みがあることは自明だった。
恐らくコイツは、俺が戦士の後を追ってこたつを出た瞬間、すかさず空いたスペースを奪うつもりだ。
賢者の位置は俺の領土の左隣。対抗馬は俺の右隣の僧侶だが、接戦となれば武術の心得がある賢者が勝つ。
腕力だけなら、俺の向かいの武闘家がこの中で最強だろう。だが奴は普段から修行と称してサラダチキンばかり食って筋トレしていることが災いし、低脂肪で低体温症間近。体力的に自分の領土を守るのが手一杯だろう。
それに、リスクを冒してこの遠い領土に手を出そうとするとは思えない。手を出したとて、守り切れないのが目に見えている。
「……ケンカはよくない」
戦争平定の声を上げたのが武闘家だったのは、不思議なことじゃない。
最大瞬発力はともかく、今の奴には持久力に不安がある。
ここは素直に従うことにしておこう――その気持ちは、賢者も同じだったらしい。
「そうね、悪かったわ」
「俺も」
体力を無駄にしたくないのは俺たちも同じ。
持久戦になれば、誰が漁夫の利を得るかは明々白々だからだ。
そんな勝利を約束された彼女は、何事もなかったように言い放つ。
「それにしても、行きがけに見たコンビニって結構近くにあった気がしますけどね? まさか本当に買う物で迷っちゃってるんでしょうか?」
「そんなわけ、ないだろう。きっと、このもうふぶきのなかで、まえもうしろも、わからなくなってるんだ」
「俗に言うホワイトアウトってやつね。空から降る雪だけじゃなく、地表から風で舞い上がる雪片によっても、視界が覆われるって現象」
「さすが賢者、物知りだな」
「それほどでも……あるけど……」
見え見えのお世辞のつもりだったが、頬を赤らめて賢者ははにかむ。
たまにわかりやすい嘘を見抜けないのは前会ったときと変わらないな。
そしてさりげにヤバくなる武闘家。もはやひらがな喋りである。
「それにしても、だれなんだ。こんなさむいばしょに、あつまろうって、いったやつは。いくらなんでも、げんどってものが、あるだろう」
「そうですよねー……ちょっと空気が読めてないですよね。魔王を倒してから初めてみんな集まるって記念事なのに、それがこんなとことか」
「うぅ……ごめんなさい」
謝罪してうな垂れる賢者だが、実はこれには理由があった。
「仕方ないだろ。誰かさんが株で資金溶かしちゃって近場でしか集まれないって言うんだから」
「っ!! ちが……それは違くてっっ!!」
「ほーん、だったら誰が『集まるなら、元手のかからない私の地元にしてくれませんか』って案内状に書いたんだよ。こんな寒いとこだなんて聞いてなかったぞ」
「そ……それは……私だけど……」
俺がガンガン突っ込むと、賢者はだんだん縮こまってゆく。
ついでだ、この隙に足を使って領土を広げたれ。
俯いたきりの賢者の告白は、少し意外なものだった。
「じ、実はね……魔王倒したあとで地元に帰ったら、昔の仲間と再会しちゃって……」
「昔の仲間? 賢者さん、私たちとは別のつながりがあったんです?」
「あー、そういや僧侶はパーティ加入が遅くて知らなかったな。そうなんだよ。こいつって元遊び人なんだ」
「……むかしは、けんじゃになれるまで、おれたちが、かばいながらたたかった」
そういや確か、当時は恥ずかしいから僧侶には言わないでほしいって言われてたんだよな。僧侶、賢者に懐いてたからなー。
尊敬してるとか目をキラキラさせながら公言してたし。
まさか学問に精を出さず、ほうぼうを遊び歩いて賢者になったなんて思わなかっただろう。
「そっ、それは知りませんでした。意外というか、ビックリです。そ、それで……昔のお仲間と出会って、どうなったんでしょうかっ?」
賢者は少し話しにくそうに続けた。
「最初の方はね、街で見かけたりしてもこっちの方から避けてたの。だって今の私って、賢者でしょ? 目立つし、人の尊敬を集める存在じゃない。そんな私が、今さら昔ワルやってた仲間とつるむってのは、世間体に障るしね」
「薄情だな」
「ちょっと、話の腰を折らないでってば! でね……そんな風に日々を過ごしてたら、ある日昔の仲間のひとりに、大通りの前で泣かれちゃって……」
姐さん!! どうしちゃったんすか! そんな学者みたいなナリして!!
そんなの姐さんらしくないっすよ!
チームで最速張ってた姐さんはどこいったんすか!!
「チーム? なんのチームなんです?」
「賢者は昔、王都で走り屋をやってたんだよ。馬に乗って、外壁周辺をぐるーって回ってたんだ」
「ぎょしゃとか、かなり、めいわくしてた。れでぃーす、という、やつ、だな」
読点多くなってきたな。武闘家は大丈夫だろうか。
「さすがの私も、かつての仲間に泣かれて何も思わないほどの冷血女じゃない。だから、とりあえず大通りで泣いてる彼を立たせて、近くの酒場まで連れて行ったの。そしたら彼、今は更生してホストクラブを経営してるって言っててね。サービスするから今度来てくれって名刺を渡されて」
「まさか……行ったのか?」
「ええ、そしてハマっちゃったの」
その一言で、俺には話のオチが大体見えた。
昔の仲間の情にほだされた、今は更生した高学歴女。
かつて魔王討伐のため世俗を離れ、男関係はパーティの連中以外からっきし。
そんな金だけはある女が華やかなりしホストの世界に足を踏み入れたらどうなるか――。
「気づけば、街のひとつくらい買えるくらいあった預金残高はガンガンと減っていって、まったくのゼロになっていた。それでもホスト通いがやめられず、借金に借金を重ねてね。伝説の武具もとっくのとうに売っちゃったし、カッコいいホストのお兄さんに貢ぐために、キャバ嬢とかもやったりしてね。でも、とうとうツケがたまって――店を追い出されちゃった……」
「「「…………」」」
重い……重すぎる!!
正直、今でもホスト通いが続いてるくらいだと思っていた俺は、この絵に描いたような賢者の没落っぷりにドン引きしていた。
世界は救えても自分を救えない賢者って、もはや愚者じゃないの?
全員が黙して何も言えないでいると、賢者は焦ったように声を出す。
「ちょっ、ちょっと! あなたたち何かコメントしなさいよ! こっちは勇気出して言ったのよ! バカに……バカにしなさいよぉっ! 愚かな女だって、ビッチだって貶しなさいよぉっっ!!」
あーあー、とうとう布団に顔を埋めて泣き出してやんの。
俺はどうする? とばかりに武闘家を見ると、白面の者はふるふると首を左右に振った。
「くにに、かえるんだな。おまえにも、かぞくが、いるだろう」
「ここが私の故郷よぉっ!!!」
賢者は叫んだ。うーんごもっともです。
◇◇◇
「戦士さん、遅いですねー」
賢者の告白から十五分が経ち、次に口火を切ったのは僧侶だった。
話題は行方不明の戦士について。まあそれしかないだろ。
「ししししかし、ほほほんとうにおそいな、まままじでいきだおれてなんて、いいないだろうな」
武闘家のひらがなはどもり芸に進化していた。戦士よりお前が大丈夫か?
「るーるるるー……るーるるるー……」
そして賢者は呆然自失。北の国から狐を召喚しようとしている。
俺はそっといざこざに乗じて奪っていたこたつ領土を返還した。だが傷つきたる賢者に取りに来る気配はなし。
なんつーかスケルトンだってもっと生命力に溢れているだろこれ。
「そそそういえば、せせせんしって、けけっこうなぞだよな」
もはや話題は戦士しかないと判断したか、白面の者が俺に振ってきた。この重苦しい空気、耐え難し。乗らせてもらう。
「だなー。俺と武闘家は結構つるんで色んなトコ行ったけど、アイツだけずっと付いてこなかったよなー」
これはちょっと含みを持たせた男同士の会話。
つまり男性冒険者のシモ事情のお話だ。
男である以上、冒険者だって溜まるものは溜まる。勇者の俺だってまた然り。かといって闇雲にパーティメンバーに手を出すのはマズい。あっという間にパークラ状態に陥るだろう。こうなるともう解散せざるを得ない。
そんなわけで俺たちはアレな店に出向いて処理をしてもらうわけだが、ここで俺の職業が邪魔をした。
どうも、世間様が抱く勇者のイメージというのは清廉潔白すぎるらしい。
だもんで、俺がそういう店に出向くと、受付で門前払いを食らう。
いや、門前払いならまだいい。店のマスターはそもそも来店したこと自体をジョークととらえる傾向があった。
一度など、素面なのに「フッフッフ、どうも勇者様は酔っておられるご様子」などと水を差しだされたこともある。
これは由々しき事態だった。まさか、俺はずっと剣を握る手にお世話にならなければいけないってか?
囚われのお姫様を助けて宿屋に泊まるまで我慢しろってか?
ふざけんなそりゃあ楽しむわ! 何日我慢しなきゃならんと思ってる!!!
そこで俺は武闘家とつるんで一計を案じることにした。
サタデーナイトフィーバーの舞台となるのは、王都近くのとあるダンジョン。
まず、ここに棲息する男を惑わすとされるモンスターをゲットする。
序盤ではそれなり以上の敵だ。パーティに女とかいないとやられるかも。
だが一度王都を離れ、各地で伝説を打ち立て、魔王を余裕でブッ殺せるレベルの当時の俺にとっては、赤子の手を捻る方がまだ難しい。
計画実行に先立ち、俺たちはまず王都のアイテムショップでポーションを買い占める。
でもって、それを持ってダンジョンに訪れ、三分くらいでモンスターをあらかたジェノサイド。
残った男を惑わすモンスターことサキュバスに、俺たちの精気を交互に吸わせるのだ。
死にかけたら残った奴がポーションで回復させ、満足するまで精気を放出した俺たちは、サクっと残ったサキュバスを倒して宿に帰る。
そのお肌はきっとツヤツヤであった。
そんな楽しい男同士の憩いに、何故だか戦士の奴は一度も来たことがない。
ゆえに謎だった。
ひょっとして生えてないとか、ソッチの気があるのとか、ソッチの気があるのとか、ソッチの気があるのとかで、気が気ではなかった。
昼間の戦士はおおらかで実にイイヤツであり、これがまたソッチ系の疑いに拍車をかけた。
よって俺と武闘家は、決して奴と二人きりにならぬよう約定を結んだのだった。
そんなこんなを思い返していると、凹んだはずの賢者が変なことを言い出した。
「……謎って言うのもおかしいと思うわ。彼、結構いい子じゃない」
「いいいいいいいいやつなのは、おおおれもしってる」
「俺もだ。賢者つまりよぉ、そーゆーんじゃねーんだ。男の心のハナシよコレ」
俺が男のやんごとなき事情をぼかすと、賢者はもっとおかしなことを言う。
「心……? それって恋慕の情とかも入るのかしら?」
恋慕の、情?
それってまさか、恋ってやつか?
「これはみんなには内緒にって言われてたんだけど、もう時効よね。実は戦士はね、私たちが魔王討伐の旅に出ていたとき、彼言うところの『許されざる恋』に落ちていたのよ」
許されざる恋……?
まさかあの図体ばかりデカい戦士が、そんな乙女チックな表現を使うとは。
ってちょっと待て! 何故そこでキュウっと閉まる俺のケツの筋肉!!
「そ、その相手ってのは……?」
「さあ、そればかりは何度訊いても応えてくれなかったわ。何でも『自分がその人を好きになることは、その人の心を思えば絶対にしちゃいけないことだ』とか言ってたわね」
「うーん、思い人にも思い人がいたパターンとかですかね?」
「さあ? あるいは、思い人には既に決められた相手がいたのかもね」
ビクビクン! 何故だ! 何故そこで震える俺のケツの筋肉……!!
いや違う。そんなはずはない。俺に落ち度はなかったはず。穴はまだ綺麗なはず……でも、戦闘不能に陥っていたタイミングなら、あるいは。
俺が当時の記憶を洗いざらいにしていると、武闘家が凍てつく口を開く。
「そそそそそういえば、いいいいいちど、せせせせせんしがさきゅばすに、みみりょうされてるの、みみたな。あああいつ、くくくるしんでた」
「そうなんですか? でもサキュバスって、男の人に都合がいい淫靡な夢を見せるモンスターじゃないんですか?」
「普通はそうよ。でも、その人に思い人がいた場合、やっぱりその思い人が出てくるんじゃないかしら? ……気の多いあんたらにはわからないでしょうけど」
「どーゆー意味だよ。けどま、そういうこともあるか……」
俺は思う。確かに金髪巨乳のエルフのおねーちゃんよりも、自分の好きな相手が夢に出てきた方が嬉しいときもある。
だったら、もし夢に好きな人が出てきて苦しむとすれば、それは自分が思い人を決して愛してはいけないっていう強い感情があるから?
うーんよーわからんな。つか、こういう乙女チックな話題はハッキリ言って苦手科目すぎるぞ。
「……ちょっと話は変わるけど、訊いていいかしら?」
珍しく俺が頭を働かせているタイミングだというのに、賢者がそんなこと言った。
こいつ、昔から空気読まないよな。
「あー、何?」
「私の現状は話したから置くとして、ちょっと疑問に思ったことがあるの。ねえ勇者、あなたどうしてここにいるの?」
「どうしてって……そりゃあ、呼ばれたからここに来たに決まってるだろ?」
「そういうことを言っているんじゃないの。どうしてこんなところでこうやっていられるのかって、そういう話をしているの」
俺は何言ってるんだこいつ? という顔で賢者を見るが、あくまで賢者は真剣だった。
その顔に、疼くものがある――。
「じゃあ言葉を変えましょう。勇者、あなたは私たちとともに魔王を倒し、この世界を救った。そしてあなたは魔王に囚わていた姫君と結ばれ、一国の王となったはず。そんなあなたが、どうしてこんな辺鄙な場所でこたつに入っていられるのかって、そういうことを私は訊きたいの」
途端に、ガンと頭を殴られたような衝撃。
こっ、こいつ見抜いてやがる!!
「そそそそそういえば、そそそそそうだ。おおおおうたるもの、せせせいむにはげみ、こここここんなところにくるよゆうはないはず。よよよよよつぎだって、くくくにに、もももとめられるのが、ふふふつうだよな」
「そうよ。それが普通。王たるもの、王たるに相応しい振る舞いが求められる。それがどうしてこんなところでのんべんだらりとしているのかってこと。まさかここに至って、今さら隠すなんて言わないわよね?」
賢者の語勢は厳しい。
一国の命が掛かっているのだから当然だ。
ホスト狂いになっても、借金地獄に陥っても、賢者は賢者。
戦いを終えた今だって、平和を愛する心に、嘘偽りはありはしないってことか。
俺はゆっくりと険しい顔の賢者から視線を外し、僧侶を見る。
僧侶は、自らの領土から両手を引き上げ、神に祈るように俺に祈る。
その眼には美しき乙女の涙。
俺のことを信じるその心に、俺もまた頷きを返し――
「……僧侶と不倫しました」
「このバカたれっっっ!!!!」
賢者本気のグーパンが飛んでくるのは、そう言い切るのとほぼ同時でした。
◇◇◇
「い、痛ひ……」
そして今。
俺の領土はかつての三分の一まで減らされ、俺の半身は外に出ている。
でもって、元々俺の領土があった場所には、賢者が悠然と居座っていた。
賢者は僧侶と真剣な表情で会話を交わしていたが、ようやく事情聴取を終えたらしい。
ややあって、俺へと向き直った。
「話は僧侶から聞かせてもらいました。つまりこういうことね? 王となったあなたは姫君が求める規律正しさと、自らの政務に窮屈さを感じ、冒険者時代の自由に憧れを抱くようになった。そんな折、僧侶からあなたに、あなたの側室に入りたいという実質的なラブレターが届いた。でも厳格な姫はそれを許さず、あなたは僧侶と隠れて逢瀬を重ねる。それがバレて離婚の憂き目にあったと」
「ふぁい……ちがいありまふぇん……」
俺は壊れたサルの人形のように頷き、僧侶を見る。
僧侶は未だ目に涙を溜めて俺のことを見ていた。
賢者に対しずっと「私がっ! 私が悪いんですっ! 私の方から誘ったんですっ!」と自分のせいを主張したかわいいやつである。
……一応、俺は彼女のこと心底愛していますハイ。
「まったく、考えれば私もおかしいと思うべきだったわ。僧侶にこの集まりの手紙を送った際、『勇者も呼びませんか?』って返事が返ってきたときに気づくべきだった。そうよね、冒険者時代の名残で昔のあんたのアドレスは知ってたけれど、あんた今王様だもんね。普通に考えておかしいことこの上ない。一介の元冒険者風情が王様呼び出すとか失礼にもほどがある」
「お、おっしゃる通りでございまふ……」
俺は平身低頭し、賢者を見る。
幸いなるかな、その表情からはだんだんと怒りが抜けてきていた。
「……でも、あんたとこの子が身体だけの関係じゃないってわかって、ちょっとだけ安心した。籍ももうすぐ入れるそうだし、このことに関しては素直に祝福してあげる。大体、姫を救った冒険者に姫と国を預けるってお達し、前々からおかしいって思ってたもの。冒険者と一国の姫じゃ価値観が違いすぎる。それこそ水と油よ。お互いに深刻に不幸になる前でまだよかったんじゃない?」
そのあと、私みたいにね――と唇が動いたのを俺は見逃さなかった。
お、重い……!!
あまりのプレッシャーに賢者から視線を外した俺は、それを目撃した。
そう、先程からずっと無言だった武闘家の変わり果てた姿である。
「ぶ、武闘家あああああああああああああああああああああっっ!?」
「えっ? ちょっ? 本当に凍死しかけてるじゃないっ!? 魔法、火属性魔法……ああっ! さっきまでの寒さでMP使い果たしちゃってた!!」
「わっ、私も松明とかこの部屋来て最初に使い果たしちゃいました!! ちょっ! だめぇっ!! こんなところで死んじゃうのはだめえぇっっ!!」
もはやこたつの領土とか関係ない!!
俺たちは一斉にこたつを飛び出し、武闘家がいる側へと回った。
そしてへんじがなく、ただのしかばねのようになった彼の体脂肪の少ない肉体を、こたつ深くに沈めてゆく。
だが彼の息は回復しない。身体の冷たさもちっとも変っていないように思える。
このままでは……このままでは本当に……!!
そのときだった、閉ざされていたドア開き、その隙間から寒風とともに一人の男が……いや漢が部屋の中に飛び込んできた!!
彼の行動は突風よりまだ早い! そして彼が通るあと、埃が舞い上がり、それとともに何かが上空から落ちてくる。
俺の顔にも一枚かかった。これは……下着!?
「てか男物のパンツじゃねえかっ!!!」
俺は一瞬後、その正体に気づいて思い切りじべたにそれを叩きつける。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
羆か何かかと見紛う漢は止まらない。
奴は障害物もあるはずなのに、部屋の中を一直線に駆け抜け、武闘家に寄り添う二人を掻き分けると、こたつの中から武闘家を引き抜いた。
そして奴が着ている衣類を暴力的な力で引きむしり始める!!
そして次の瞬間――。
「シャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワッ!!!」
漢は全裸となった武闘家の身体を掻き抱くと、猛烈な勢いで自らの身体と擦り合わせ始めた!!
「きゃああああああああっ!!」
「け、ケダモノっ!!」
あまりにアレな光景に、女子二人はその目元を両手で覆う。
だが指の隙間からその光景をバッチリ見ているのはどうなんだ?
ともかく、激しく、甲斐甲斐しい羆……じゃなくて漢の介護の甲斐あってか、あれほどまでに白面だった武闘家の顔に血色が戻り、奴らの身体から立ち上る湯気が、体温の回復を俺たちにまで知らせた。
そしてとうとう、武闘家の意識が回復した。
「あれ、俺……どうして全裸……?」
「武闘家っ!! 武闘家っっ!!! よかった、死ななくてよかったっ!!」
「せん……し……?」
羆、いや戦士は意識を取り戻した武闘家を腕に抱いて、なおも男泣きに泣いていた。
その声はもはや獣系モンスターの遠吠えである。
「すまねえっ!! すまねぇっ!!! こんなことするつもりじゃなかった! この思いはずっと胸に抱いておくべきだった!! だけど死にかけてる君を見ていたら、どうしても身体が止まらなかった! 止められなかったんだっっ!!」
むしろそのとき、俺の方が武闘家に謝りたかった。
コイツ止められないでマジすまんと。
だがそのあと、少々意外なことが起きる。
「かまわ……ないさ……むしろ、謝るのは……俺の方だ……」
「ぶ、武闘家?」
「ずっとだ、ずっと……俺は、勇者とともに夜の街に出かけてた……そして、サキュバスを狩り……お前との、ふしだらな夢を……なのにお前は……ずっと苦しんで……」
あーなるほど、あんとき金アホほどもってたのに普通のアレな店いかなかったのはそういう魂胆があったのねーなるほどですねー。
「武闘家っ!」
「ひとりだけ……だった……ずっとお前のことがわからなくて……不安で……だけど……これでやっと、俺たち……」
「ああっ! そうだ! そうともさ!! あの冒険の日々! 魔王との戦い! あのとき一緒にいられなかった分、これから一緒にいられるともさ!! 武闘家! 俺たちとうとう通じ合ったんだっっ!!」
「そう……だな……」
頷き合い、ひしと抱き合う二人。
ハイハイ、映画ならここでエンドロールなんじゃないすかね。
この茶番はまだしばらくかかりそうだなと勇者くんは思いました。
◇◇◇
「……帰りましょう」
もはや眼前のややグロテスクになりかけた光景を一顧だにすることなく振り返り、賢者は俺たちにそう促す。
何というか、感慨深かった。
すごく冷たい賢者の口調が、よもやここまで頼もしく思える日がこようとは。
もちろん俺の側にも異論はない。
隣に立つ僧侶といえば、まだ指の隙間から例のくんずほぐれつを見て「はわー……」などと言ってポーっと頬を赤らめておられますが、夫となる身として、これから妻になろう女性に変な趣味が付くのはいただけませんしね。
俺は彼女の肩を押し、帰りの支度を整える。
吹雪の中をしばらく歩き、俺は例の宿屋を振り返る。
――それは苦しく、厳しい戦いだった。
魔王軍との戦いは苛烈を極め、仲間は幾度となく倒れた。そして同じ数だけ立ち上がってきた。
戦いの中で培われた絆があった。信頼があった。
あれほど強大だった魔王と戦って勝てたのは、きっとそれらがあったからに他ならない。
栄誉の勝ちを拾うか、惨めな負けに落ちるかの分水嶺は、きっとわずかなものだろう。
そしてそのわずかの差で、俺たちは魔王に勝ったはずだった。
だけどそこまでの信頼を築いてなお、知り得ぬものがある。
そんなものがあることを、俺たちは今日知った。
人と人との関わりに底はなく、人を知ることにもまた底はないのだ。
完結はない、ということだ。その真実はつまり――今俺の手の中にある。
戦士がコンビニで買ってきた、その橙色の柑橘類が如実に示しているような気がした。
つれぇわ…