2−3: 揺りかご3
一週間後、文学部教授の主催でネット放送が行なわれた。その文学部教授、あの工学部教授、そしてもう一人は文学部教授と同じ大学の政策学部教授によるネットを介しての鼎談だった。画面は四分割され、一比較は黒いままだった。
「正直に言えば、」
政策学部教授が言った。
「工学部教授が以前から、なんでこの問題に噛みついているのかが理解できないのですよ。資源とエネルギーの問題がある。それに対して国内、また国家間で対策を取った。そして、それは功を奏している。法制化についても問題はない。いったいなにを問題にしようとしているのかが、そもそもわかららないのです」
それに文学部教授が応えた。
「昨年の九月の番組をご覧になりましたか?」
「えぇ、もちろん」
「その中で、移住や、生活様式の変化を余儀なくされたかたがたが紹介されていましたが、それも覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ…… えぇ、もちろん覚えています」
「それにも問題はないとお考えですか?」
「充分な補償がなされ、充分な理解があってのことでしょう。生活様式の変化は、その前提の上で、自ら受け入れたものですよ?」
「それについては、これをご覧ください」
文学部教授はカメラから視線を逸らし、片手でそこにいる誰かに指示を出した。黒かった四つめの区画にビデオが再生された。
「これは、昨年九月の番組放送から、知人からもらったものです」
「充分な補償がなされ、充分な理解? それはそう言うだろうな」
ビデオの中の人物が言っていた。
「それらなしに、そこで暮らしていた人を追い出した、それや生活様式の変化を強いた。そんなこと、誰が言うと思う?」
「補償を受けとっているのだから、そんなことを今さら言われてもというところですね」
政策学部教授が割り込んだ。
「誰も言えないだろう? そこで暮らしていた人だって同じだ。補償を受け取って納得しただろうと言われれば、どう答えられる? 補償が充分でないとしても、そうだな、一人あたり一円や二円だったとしても、受け取ったんだ。受け取っただろう? そう言われたらどう答えられる?」
「一円や二円なんて馬鹿げた言いかただ。国家間の条約で補償の金額は決められているのだから」
政策学部教授がまた割り込む。
「外の人間は、補償額は法律で決められていると言うだろうな。それに、監査もあるとも。で、各国政府や監査がそのとおりに行動していると、誰が見極める?」
「監査があるだろう、監査が。監査に不正があるなどあってはならないし、あるはずがない。そういう人選のはずだ」
政策学部教授がさらに割り込んだ。
「役人も監査の連中も、金だよ。そうでない人がいたとしても、『一杯おごったよな』の一言でだんまりだ。半端な、なんて言うんだ? 半端な職務意識からか? それでだんまりだよ」
「馬鹿らしい。そういう奴がいたとしても、一握りにすらならないだろう」
「そんな連中はすくないって言うだろうな。本当にそうか? 結局欲だよな。もっと欲しいっていう積極的な欲もあれば、現状の水準を下げたくないって消極的な欲もある。あぁ、もちろんそうじゃないヒトもいた。そういうヒトたちはさっさと入れ替えさ」
「馬鹿話にもほどがある。入れ替え? どういう理由でだというんだ」
「そういうヒトたちを排除するのには便利な方便がある。そういうヒトたちはだいたい噛み付くからな。そうなれば職務の遂行を妨害とかなんとかな。しかも地球環境を云々てなご大層な名分が背景にあるからな。それで都合がいい奴が揃うってわけだ」
「馬鹿らしい。馬鹿らしいの一言だ。よくある話だ。補償についてゴネてる連中っていうだけだ。決ったことを適切に遂行する。それにゴネてる連中が言ってることだ」
「俺がこっちで見たのは、そういうことだ。資料は添付してある。じゃぁまた、そのうち会おう」
そこでビデオは終った。
「誰ともわからん奴がゴネ得を狙った連中の側に立って、自分も一緒にゴネ得を狙っているだけだ」
政策学部教授が、そう吐き捨てた。
「いえ、そうは言えませんね。彼自身、元監査でした。彼からの愚痴、まぁメールでですが、それも私は受け取っています」
「規律に従えない奴が愚痴を言った。それだけでしょう。考慮する必要もありませんね」
「いや、それはどうだろう?」
工学部教授がやっと口を開いた。
「私のところにも、別のヒトからだが、そういうメールは来ていますよ」
「それなら、規律に従えない人間が紛れ込んでいたっていうだけでしょう?」
「その言いかたは違うようですね。言うなら、規律を必要としないヒトだ。規律があるなら、何が罪かは規律によって決まる。この件だけじゃない。咎人を生み出すのは規律だ。ならば規律の抜け穴だったり、規律に触れていることが露見しなければ、その人は咎人にはならない。それが規律というものの一面だ」
「規律は、守らなけばならない。常識でしょう」
「さて、」
文学部教授が言った。
「本来なら私が言うはずのことを言われてしまったようだ。昨年九月の番組が本当にそのとおりなのか、そしてあなたが言う規律は機能しているのか。言うなら、規律はそれが存在する限り、機能しないと言える。規律を必要としないヒトは、おそらくは極めて少数でしょうから」
「だとしてもだ。概ね適正に規律は適用されているはずだ。特定の民族からの苦情などは出ていないでしょう? それがその証拠だ」
「苦情を言えて、その上でその苦情が公開されるなら、そうでしょう」
「だとしても、」
政策学部教授はそこで言葉を区切った。
「政策の効果は出ている。仮に調査が必要なのだとしたら、調査しましょう。ですが、効果は出ている。それは先週の番組でも検証されていたでしょう?」
「それもやはり問題です」
文学部教授が応えた。
「結果が良ければ、ですか? それに、もし工学部教授のおっしゃるとおりなら、そもそもの政策に問題がある。そうですね、先生」
それに工学部教授が応えた。
「あぁ、それについてすこし補足しておきましょう。先週、赤道近くと両極近くで、気温と水温の差が開いてきていると言いました。それは今の段階での話です。温度に差があれば結局対流は回復するでしょう」
「ご自身の間違いを認めるわけですね?」
政策学部教授が割り込んだ。
「では、回復したときの状況はどうなっているのか」
工学部教授は応えずに続けた。
「全体的に寒冷化しつつでの回復です」
「そこで質問なのですが、太陽の活動や、大火山の噴火による小氷期に匹敵するほどの寒冷化が訪ずれるのでしょうか?」
文学部教授が訊ねた。
「この政策だけでは、そこまではいかないでしょう。それらは太陽からのエネルギーの減少ですし。あるいは、太陽からのエネルギーをより多く反射することによります。9に対しての2%では済まないほどに。しかも、それらの結果、海が凍りはじめれば正のフィードバックによってなおさら寒冷化が進みます」
「それは、ちょっと意外な答えですが。それでは、そこまでの心配は必要ないのでしょうか?」
「小氷期ほどにはならないとしても、気候は大きく変わるでしょう。エネルギーをかすめ取っているのですから」
「再生可能エネルギーは、安全ではないということでしょうか」
「えぇ。化石燃料を燃やすのと同じ、あるいは今の規模であればそれ以上の注意が必要でしょう」
「そんな馬鹿な話はない。再生可能エネルギーは安全だ。原理上、そのはずだ」
政策学部教授が言った。
「それは、環境が維持されていることが前提での話ですね」
工学部教授が応えた。
「ですが、環境が変わる。どう変わるか、変わったあとにどうなるか。それはわからないことです。こう言ってはなんだが。人間が再生するわけではない。太陽に依存している。それを無視して再生可能という言葉を使うのはおこがましいのではないですか?」
「では、どのような対応が考えられるのでしょうか?」
文学部教授が訊ねた。
「いくつかの形は考えられますが。地球は人間を生み出した時点で一定の役割は終えたと考えていいだろうと思います。あとは、地球を消費して人類圏を広げる。その方向しかないと思います」
「地球を使い捨てに?」
「えぇ」
「馬鹿げてる!」
政策学部教授が声を挙げた。
「人類が生きていけるのは事実上地球しかない。私だって知っていますよ。他の太陽系まで4光年でしょう。どうやって行くと言うんですか」
「まず、そこは太陽系ではなく恒星系ですね。ともかくは太陽系の資源とエネルギーを活用して生き延びる。その間に、方法を考える。取れる方法はそれだけですね。形はともかく、地球は使い捨てにする。そうでなければ、必要なエネルギーの桁を下げる。どちらかを選ばなければならないでしょう」
「命の揺りかごたる地球を使い捨てにだって? 正気じゃない!」
「そこが問題です。地球は揺りかごなのか、それとも牢獄なのか。あるいは、揺りかごだと言うなら、いつまで赤ん坊でいるつもりですか?」
「比喩も通じないとは……」
政策学部教授は首を振った。
「そろそろ枠なので、」
文学部教授が言った。
「議論の中心となることがらが見えて来たかもしれません。地球は揺りかごなのか、それとも牢獄なのか。極端な比喩のように思えますが、おそらくはそういうことなのでしょう」
そしてネット放送が終った。