Monochrome color─あなたに次はある?─
風に乗る匂いが青く、時折陽の光を反射した「何か」が煌めく。吹き込む風の心地良さから、今は春だろうかと、菜花はぼんやりと思った。
しかしその風も、窓を通り菜花の頬を撫でる頃には、部屋の消毒液のツンとした匂いを帯びていた。
「──ご機嫌ナナメ、って顔してるわよ?新入りさん?」
そう言い微笑みながら何か、カルテのような、帳簿のようなものにペンを走らせる女性がくすりと笑う。
菜花は受ける風をぷんと跳ね返すように頬を膨らませ、僅かに怒気を孕んだ声色で返事をした。
「菜花です。笹森菜花。……だってぇ、えーっと、あの男の人…」
そうぶつくさとくさる菜花に、菜花が言葉を交わす白金の髪の女性が笑顔でそれをなだめる。
「──まだ名前教えてなかったわね。私はアシナ。アシナ=グリーベル。ここの主任医官よ。さっきの強面は蒼矢。私達の長で、この異能艦隊『ユルグル』の艦長よ。……まぁ、あんな見た目だけど、見た目程怖く無いから心配しないで?」
その言葉に菜花はアシナと名乗った女性の好々爺としたような語り口に声を荒らげて反論した。
「どこが!?あの人『逃げたら殺す』なんて言うんですよ!?本当に殺すんじゃないですか!?逃げなくても!逃げなくても!!」
「──そうねぇ、逃げなきゃいいじゃない?」
「ていうか!ここ何なんですか!?私もうなにも分からないのにもう何回死にそうになってると思ってるんです!?」
「あらあら、こんな所でそんなコト言えちゃうくらいには大物なのね?安心したわ?」
そう言ってアシナは走らせていたペンを止めて菜花に向き直る。その瞳の、反射するようなアメジストの瞳に、菜花は見蕩れた。細められた瞳が光を発する様は、何とも言えない美しさだ。
「勘違いされたら困るわね。私達とあなたとは、利害関係があるの。あなたの持つ知識、叡智、見聞──欲しいモノは山ほどあるの。その見返りとして、私達はあなたを他の何からだって守り抜く。大事な『渡り鳥』、……誰にも渡したりなんてしない。」
そう言う口元は笑んではいたが、瞳に強いものを感じた。先程窓の外で煌めいた何かが幾つか窓から入り込み、菜花とアシナの間で爆ぜて消えた。
菜花は目を閉じ、深呼吸を二度。大きく吸って、吐き出した。
──落ち着いて。大丈夫。この人達は、大丈夫──
そう言い聞かせ、ゆっくりと状況を整理しようという所まで気持ちを動かす。
「──守ってくれると言うなら、教えてください。ここは、どこで、私は、どうなったのかを。……私も、逃げません…から……」
その言葉を聞いたアシナの瞳に、柔らかな光が差し込むのを見て、菜花は短い息を吐いた。アシナも語調を和らげて説明を始めた。机の上の小さな丸い光る石を手にして。
「──この世界は『ラクシュール』…と言っても、それは私達『先住民』の呼び名。あなたの様に外から来た人から
の呼び方は多岐を極めるわ。『楽園』『絶望』『死地』。──いつからかしら。ヒトが世界に居ると、ヒトが理解を始めた頃から、この世界にはたくさんのものがやってきた。二本足で立つ獣、勝手に頁の進む物語、七色の風、──そしてあなたみたいな『渡り鳥』。」
そう言うとアシナは弄んでいた石を手から離した。石はバランスを保てずに転がり、床に落ちて止まった。
「あなたのようなこの世界の住人でないものを、私達先住民は『渡り鳥』と呼ぶ。彼らは私達に沢山の知恵を下された。技術も、力も、──そう、『何もかも』。──そうして私達を弄んだ。その、結果。こうよ。」
アシナは立ち上がり、先程落ちて転がった石を拾い上げた。石は石英で、落とした衝撃で微細な皸が幾つもあった。
「『渡り鳥』の出現は、最初こそ喜ばしいものとして、ラクシュールの民に歓迎された。…でも中にはそれを『害悪』と見なして排除しようとする人々が現れた。──そうよね。知識は身を守るし、時にはその高慢さから持つ者を傷つける。何が良くて悪いかなんて、結果が出ないと分からないもの。──でもそれを善しとしなかったのが、ずーっと昔のこの国の王。彼の采配は素晴らしいもの。渡り鳥を守り、得る情報をより抜き精査する。──守り抜かれ、この世界は磨かれた宝石になった。──筈だった。」
そうして拾い上げた石英を菜花の手に落とす。すると石の皸は広まり、菜花の掌で二つに割れた。それを見てか、アシナは手を広げ肩を竦めた。
「……遅かったのよ。世界はもう皸だらけ。ほんの少しの傾きで転がり落ちて割れてしまう脆い石。そんな世界に生きなくてはいけなくなった先住民達、残された渡り鳥達。しかも彼らは止めどもなくこの世界にやってくる。そんな危ない世界で、渡り鳥を守る唯一無二の帝国政府のお膝元。──それが私達『ユルグル』よ。あなたはここへやって来られた。ならば守るわ。何に替えても。」
菜花は御伽噺を聞いた子供のような、素っ頓狂な顔をしていた。
本当に、来てしまった。
ここではないどこかに。たった一人で──
アシナは手を叩いた。するとドアから菜花が先程渡された服と同じものを着た男女が何人もなだれ込むように部屋に入ってきた。勢い余って先頭の数名が床に倒れ込む。
「!?」
菜花は突然の事に目を丸くしていたが、医務室に入ってきた人々は皆はちきれんばかりの笑顔だった。
「あなたが新しい渡り鳥!?」
「ちっちぇえなぁ、役に立つのかよ?」
「先輩!女の子は大事にしなきゃダメッス!あ!分かんないこと他に無いっスか!?」
「歳幾つ?好きな食べ物なに?お菓子食べる?」
そんな事を口々に言うのだが、全員がほぼ同時に喋り出したので、菜花は誰の言葉も最後まで聞き取れずにオロオロとしていた。
アシナはふふと笑い、菜花を促した。
「怖がらせちゃったけど、ここのみんなはあなたを歓迎してるわ。エティ、リオルグ、ハウエル、ルピルピ。ごめんなさいね。菜花。この四人、さっきからずーっと覗いてるんだもの。私もいい加減気になっちゃって。」
そう言ってアシナの視線が彼等に届くが早いか矢継ぎ早に喋り出す。
「姐さん!新人?新人でしょ?あたし案内するよ!あたしエティ!」
「狡い事言ってんじゃねぇエティ。おう嬢ちゃん、俺はリオルグ=バーライトだ。俺が一番の兄貴分だからな?いいな?お?」
「先輩顔が怖いから女の子が怯えます!オレ、ハウエル=ヒューストン!菜花ちゃんッスよね?菜花ちゃんをここまで運んだのオレッスよ!意地悪されたらオレが守り抜くッス!」
「ハウエルは顔の穴減らして出直して来いっての。女の子はお菓子好きって相場は決まってるよね?飴?チョコ?クッキー?あ、アタシルピルピ。」
菜花は突然横文字の名前が四人も増えてあたふたしながら顔と名前を一致させようとしていた。アシナは右手を腰に当てて左手で割れた石を片しながら気楽そうな笑みを浮かべた。
「そんないきなりみんなで来てくれてどうするの?菜花は四人に増えたりしないわよ~?菜花、この子達が艦内案内してくれるって。助かるわ~私あんまり説明上手くないのよね~。じゃ。」
「えっ?」
突然医務室を追い出された菜花と四人だったが、三歩歩くのと二つ質問に答えるの、どちらが先なのか分からないくらいの質問責めに逢う羽目になっていた。
そのうちに四人の顔と名前も一致した。背が高く、青みがかった黒髪を束ねたがっしりとした体躯の女性がエティ、短い黒髪に鼻に一文字の傷がある筋骨隆々とした男性がリオルグ、跳ねるような赤毛に顔に幾つもピアスのある男性がハウエル、ガタガタのフレームの眼鏡をかけた茶髪の小柄な女性がルピルピだ。
始めこそ知らない世界のまるで面識のない男女におっかなびっくりだった菜花だが、新しく編入した学校のようなものかと思うと不思議な程に心が安らいだ。
「ここがシャワー室、食堂もあっちにあるよ!まあ部屋で食べてる人も居るけどね。艦長とか!」
ニコニコと先導して話すエティの出した名前に菜花は思い出したように尋ねる。
「艦長……って、蒼矢、さん……だよね……?あの人、どういう──?」
歯切れの悪い尋ね方をしてしまったかと思いばつが悪かったが、四人は顔を見合わせて思いつく限り話し出す。
「艦長?いい人だよ〜ね、エティ!」
そう言ってプレッツェルを食むルピルピにエティは頬を紅潮させて返事をする。
「!?……そ、そそそそそうだね!?ていうか何であたしに振るのルピ!ハウエルとかの方が知ってるじゃん!」
振られたハウエルもうーんと頭に手を当てる。
「まぁ顔変わんないスもんね〜。あ!あと何でもズバーって決めてカッケーッス!ビャーって!すげぇぱねぇっス!先輩も艦長には負けるッスもんね?」
更に振られたリオルグが眉を下げる。
「……うるせぇなぁ。艦長は帝国の軍人としてもすげぇ人なんだ。ま、男としては負けねぇさ。」
四人の話を聞いた菜花は驚嘆とも感嘆ともつかない思いだった。
「……信頼して…るんだ……?」
四人はまるで自分が賞賛されたような誇らしい顔になっていた。
「もちろん!」
菜花はその時、ほんの少し、先程までは感じなかった、四人と自分との僅かで決定的な差異を感じて立ち止まる。
この人達は、一人じゃ無いんだな──
──いいな──
「菜花ちゃん?」
背の高いハウエルが、腰を半分折るくらい屈んで菜花を覗き込む。
その行為で菜花は自分も「そう」思うと取り繕うように笑った。
「……そうだよね。こんな大きな艦隊を一人で纏めちゃうんだもん。すごいに決まってるよね。」
菜花のその言葉を聞いてか、四人は気まずそうに顔を見合わせてからしどろもどろといった感じに付け足した。
「……一人……じゃあなぁ……うーん……」
「……まぁ、居ないって思うのも、悪いっていうかぁ……」
「……艦長と並ぶと誰だって残念でしょ……」
「……や〜……でも尚更っていうか……」
「「「「あ〜……」」」」
そう言って四人同時に溜息を吐いたので、菜花は不思議に思って尋ねようとした。しかしルピルピが棒付きキャンディの包みを剥がしながら眉をひそめて先手を打った。
「副艦長が居るんだぁ……ま、今謎の出張中なんだけどぉ……」
「『謎の』?理由を知らないの?」
唇に指を当てる菜花にリオルグが頭を掻き毟りながらこう言った。
「……あ〜、一説によれば『自分磨き』、別の奴は『流浪の旅』とかな〜……なんってぇのかな……まぁ、その内会えるさ。…言っとくが、気ィつけろ。お前さんも危険かもしらんぜ……」
菜花は急に深刻そうになった四人を見て心配になって尋ねた。
「──その人の、名前は──?」
四人は顔を見合わせて、まるで呪文でも唱えるようにこう言う。
「……流浪の?」
「……美貌の?」
「……貴公子?」
「『ギンカ』」
そこは賑わう花街。娼婦に囲まれた男が、その内の一人の長い髪を手で梳いて、そのまま唇を重ねた。娼婦は名残り惜しそうに男の首に手を回して耳元で囁いた。
「ねぇギンカ…次はいつ会える?」
男はその娼婦の額に唇を触れさせ、女の唇に人差し指を当てて艶っぽい声でこう言った。
「──呼んでくれりゃぁ何時でも会えるさ。俺はお前の心に居るからな。」
その光景を少し離れた所で眺めていた娼館の主人が片眉を潜めて悪態をつく。
「──よく言うよ。隣の娼館の女の心にも、そこの花屋の娘の心にも居座っておいて、強欲な男だよ。」
「仕方無いさ。あいつアレでもお役人だって言うし、あの容姿さ。女共も色めき立つさ。」
去る男を名残り惜しそうに見送る女達が見えなくなる距離まで歩き去った男が、溜息を吐いて口元を拭う。
「……っあ〜。ここの街マジ女ショボかったぁ……もう来るかよ、バーカ。」
そう言って空を見上げ、飛ぶ鳥を眺めて独白した。
「……一旦戻るかぁ……ダルっ……でもな〜俺の帰りを待ってるだろうしな……しょうがねぇ、一旦戻ろ。ユルグル。」
そう言って跨るバイクに何やら手をあてがい可愛がる様な口ぶりでこうも言った。
「お前も此処ん所走りっぱなしだしな。休ませてやんねーとな♡よしよし♡」
そう語りかけるもバイクが返事をする訳も無く、鉄の塊らしい無機質な光沢だけが返ってきた。
風が荒ぶがそれさえ心地良い。
世界は今日も白く揺蕩うまま、少女の不安と男の軽快な歌を乗せて風を運んだ。
──next end──