33 道のその先は――
私たちをいまいる場所から反対側へシャノンが先頭に立って案内してくれている。
階段から降りて人々が開けてくれた道を歩いているのだが、私たちを見る視線が鋭くて怖い。男たちが上半身裸でいる、ということが私にとって初めてで、余計にそう感じてしまうのかもしれない。とても落ち着かず、皮膚の表面がゾワゾワする。
早く歩き去ってこの奇妙な感覚から抜け出ようと思案するも叶わない。前を行く兄さま、シャノン、そして私の後ろにいる国境警備隊もゆっくりとした足取りなのだ。一人だけ駆け抜けるのは、さすがに私でもおかしいとわかる。だから歩調を合わせているのだが、道半ばまできてなんともいえない香りが鼻孔をついてきた。思わず私は顔をしかめた。
酸っぱいような、熟れた果実のような、それでいて澱んでいるような匂いが、進めば進むほど濃厚になってきている。匂いの元を探ろうと周りを見ても、上半身裸の男たちばかり。彼らに目立つのは衣服の汚れ。肌艶がよくないこと。髪や髭がモジャモジャしているくらいだ。
――彼らから発せられている?
自分の中で到達した答えに慌てて首を振った。
人からなんとも言えない香り、なんて放つことがあるわけがない。彼らに対し、まったくもって失礼な考えをしてしまった自分が恥ずかしい。恥ずかしすぎて、更に私は視線を足元に落とした。
そのせいか兄さまたちが止まったことに気づかず、ドンと背中にぶつかってしまった。
けれども兄さまはそんな私を咎めることも、振り返りもせず、前方で膝をついて頭を下げるスピノザたちを検分するように見つめていた。
ピリっとした空気を肌で感じる。
どちらがどう、というわけではないが何かをけん制し合っているのか、兄さまもスピノザたちも全く動かない。控えている国境警備隊やシャノンも。そして後方にいるシャムロックの人々も。
どちらが先に言葉を発するのかを、固唾を飲んで待っているような雰囲気で、私は自分の鼓動が漏れてしまうんじゃないかと変な心配をした。
どのくらいの時が経っただろうか。
スピノザたちの足元から「うぅ」だの「あぁ」と呻き声がしてきた。
捕縛糸ではなく、荷をまとめるために使う麻縄に縛られた男たちがモソモソ動いているのだ。口を紙のようなもので塞がれているせいか、鼻息荒く、声がくぐもっている。
「シャノン、この動いている者は……」
兄さまの正面を見ていた視線が下へさがっていった。けれどもその視線はとてもとても冷たいもので、私が初めて見る表情だった。
「向かって左から、シャムロックを治めている主、ユーガン・サルファー。そしてその息子クレスと、……術師です」
兄さまの眉がピクピクと痙攣している。
「術師の血は途絶えたと……聞いていたのだが」
珍しく声が震えている。
術師? 聞き慣れない単語に私は首を傾げた。
「私も途絶えたと聞いておりました。けれども現に私、その者の術中にはまってしまいましたの。抗えなかった……。抵抗すら……できず。魔法とは明らかに違うものを感じましたの」
シャノンは肩を震わせてぎゅぅと唇をかみしめている。とても強くかみしめていて、見てる私がハラハラするほどに。
「そして彼が言うには、その……」
「彼とは?」
言いにくそうにしているシャノンに兄さまは先を促した。
「真ん中にいるウィンガーツさんのことですわ」
シャノンが言い終わると、会話がまるで聞こえていたと言わんばかりに、その真ん中の男がゆっくり立ち上がった。しかも床をススーと滑るように移動してきている。
奇妙すぎる動きに私はもちろんのこと、控えている国境警備隊に緊張が走った。
「そんなに警戒しなくともよいでの。そなたたちに攻撃しようなぞ思っていないのだからの」
小さな笑い声が漏れてきた。どんな表情で笑っているのか見ようとしたが、目深にベールのようなもので顔を半分ほど隠していて、うかがい知れない。それに周りの男たちの上半身裸、とは違い、肩から斜めに黄色がかった布を器用に体に巻きつけている。
見たことのない服装だ。外見だけでとても怪しい人物に思える。口調も聞いたことがない節で余計にだ。
「一言で片づけてしまうならばの、術師の血は途絶えてなどいないからの」
「なぜそんなことが言える?」
「……。砂漠を越えると国があっての、そこに術師が大勢いるでの」
そこまで聞き終えると、兄さまはスッと右手で拘束の合図を国境警備隊に送っていた。
男はあっという間に間合いを詰められ、短剣で首筋を狙われている。けれども男から怯えは感じ取れない。ただただ微動だにせず、兄さまの次の手を見計らっているように思えた。
「よく訓練さているの。私の国にも欲しい人材だのぉ」
欠伸をしながら会話を続け始めた。
この男には緊張の欠片もないのだろうか?
「貴様、なにを悠長なっ!!」
兄さまの顔色が一気に赤く染まっていく。
とても珍しい怒りだ。いつも兄さまは冷静沈着なのに。
「悠長ではない。余裕というものでの」
フフフ、と低い笑い声が聞こえたかと思うと、むんとした匂いが濃くなり、気づいたときには私も兄さまも国境警備隊も上半身裸の男たちーー。そう……、シャムロックの男たちに羽交い絞めにされていたのだ。




