25 前へ前へ
撫でつける風は乾いていて気持ちがいい。でも悲しいかな。その風に煽られて乾燥した土が舞い上がって埃っぽい。
緑豊かだったらもっと新鮮な空気を胸いっぱい吸い込めたのかもしれない。そう思うとやるせない気持ちになる。皇宮がもっと情報を得ていれば、と。
だけれどいまそれを嘆いても何も始まらない。シャムロックを治める主どのの様子を伺わねば。できることならば事情を問いただしたい。身分を証明するものはなにも持っていないし、力も抑えられていて出来ることは限られているが。……そう思うと少し弱気になってしまいそうになる。一人、というのも心細く思えてしまうけれど、とにかく前に行くしかない。
とにかく前へ。
不安を拭い去るように私は頭を振った。そして気持ち新たにするため、ふっと空を見上げた。
「わぁ」
思わず突いた言葉。普段使わないような声に自分で驚きながら、私は口をあんぐり開けたまま視線が外せない。
星の多さと瞬き。
空に光の絨毯が広がっていたのだ。
こんな星空を今まで見たことがあっただろうか? 夜間警備隊になってからは夜空をゆっくり見る暇はなかった。じゃぁその前は? ――――こっそり部屋を抜け出して空を見上げることがあったけれど、こんなに星が瞬いていなかったと記憶している。大半が深い眠りについているというのに、なにかに怯えるかのように町にも皇宮も煌々と灯りをともしていたと。
灯りが少ないとこんなにも瞬きが違うなんて……。
寝転がってこの星空をずっと眺めていたい。一瞬、一瞬様変わりするのが見ていて飽きないから。それに美しい。
きな臭いことなんてなに一つない空だから。
煌めく世界に浸かっていたい思いになんとか踏ん切りをつけて、私は星灯りに照らされている道を見つめた。
この道を辿って行けば主どのが住む城に辿り着けるだろうか。
ぐっと目を凝らす。来たときは全く周りを見る余裕すらなかったので注意深く。
するとだいぶ進んだ先に緩やかな勾配がある丘が見て取れた。明らかに周りの風景と異質で目に留まったのだ。その場所だけここから目視できるくらい絶えず薄ぼんやりと光っているのだ。
この辺りは家の中からもれる油ランプの仄暗い灯りがあるだけだというのに。きっとこの場所を遠目で見たら、灯りがほとんどないようにしか見て取れないだろう。
なのに、遠くに見えるあの丘は――――。
おそらくあの場所が主どの、つまりユーガン・サルファーがいる城なのだろう。
距離にしてどのくらいだろうか。いまの私に夜が明けるまでに辿り着くことができるのだろうか? 不安がよぎってしまう。走るか歩くか、しか術がないから余計にだ。
どのくらいの疲労感に襲われるか想像することができないが、とにかく前進しよう。
定めた目的地へ向かいはじめると、風に吹かれて流れてくる細かい砂利が私の履物の間に入り込んできた。時折り大きめの粒が足の裏を刺激してきて気になってしょうがない。その度に立ち止まっては、踵を地面に垂直気味につけてトントンと入り込んだ砂利を落とすという作業をしながら進んでいる。結構な回数同じことをしているので、かなり煩わしい。なんとかならいないものか? と思えば今度は強風が吹きつけてきてバシバシと砂が顔を叩いてくる。
……地味に痛いし、目もゴロゴロして痛痒い。
「あぁぁ、もうっ!!」
我慢が出来ず、私は完全に歩みをやめた。なにかで覆いたい。
でもなにで? なにも持っていない手を見つめながら、ヒラッヒラッとひらめく外套の裾がちらついた。
「あっ!」
そうだ。外套を着ているのだから、中に着ている夜着を裂いて鼻と口を覆えばだいぶマシになるはずだ。外套のボタンを外し、夜着のたくし上げた結び目を解いて、力を込めて布を引き裂いて……。
「なっ! こ、こんなにも非力に?」
自分で言いながら慄いてしまった。あり得ない。布を引き裂く力すらないのか? いまの私には。
い、いやこんなピラピラしている布、息を詰めれば裂けるだろう。横に引っ張ったのが悪かったんだ。血着こそは!
「ふんっ」
瞬間的に息を吸い込み、ぐっと息を吐くのを止め、ぎゅっと目を瞑り、布を片手で押さえながらもう片方で斜め上に引いた。
〝ビリビリビリビリ〟
ん? 思っていたよりビリビリの音が多いようだが……。おそるおそる目を開けてみると腰元まで一直線に布が裂かれていた。
「わわっ! あ、足がま、丸見えになってしまうじゃないか!!」
誰も返答しないので虚しく私の言葉が風に吹かれる。
「こ、これはどうしたらいいのだ?」
外套からのぞく夜着が砂塵とともに舞い上がる。夜着の下に履いていたペチコートも捲りあがりそうだったので慌てて手で押さえつけた。よ、夜でよかった。ペチコートを恥ずかしげもなく見せてしまっているなんて。淑女としての嗜みが……。まぁ、周りに誰もいないのが幸いだ、と思うしかない。
覆う布を早めに調達しておけねば、先に進みずらいのだから。
「うまくいくように」
言葉にして願いながら、私はもう一度息を詰めて先に裂いた部分と平行になるように、下から上へ引っ張った。
〝ビリビリビリ〟
割いた音がやけに響いたのに驚きながら、今度はその部分を切り取るように横に引っ張った。
「ん?」
ちょっと引いただけでは布がただ伸びるだけ。これももっと力を入れないとダメなんだろうか。
「ふんっ」
お腹に力を入れて、斜め下にいま私が持てる力を出し切って引っ張った。
〝ビリリ〟
軽い音を立てながら夜着から一部分が離れた。
「ふぅ」
柄にもなく玉のような汗が流れていて拭いながらため息をついた。普段ならこんなことは朝飯前だというのに。この指輪が憎々しい。どうにかしてあとでエイヴォンに外してもらわねば。
口元と鼻を切り取った布で覆いながら、少しずつ近づく小高い丘に向かって更に私は進んだ。
淑女の嗜みを本当に知っているか謎ではありますが、シエスタ、前へ進みます♪




