19 揺らぎ
逃げなくては、と強く思っていたのに、この展開はなんだ?
ドクターカーリィーの伴侶、プリムが持ってきたお茶と珍しいお菓子に釘付けになってしまったわけでは――――。
いや、結論として釘づけになってしまった。
だって見たことのないお菓子が並んでいて、とても美味しそうなのだから。
だけれども……。
「……おかしい」
「え? なにがおかしいんですか?」
砂糖をふんだんにかけたオレンジ色の細長い棒状のものを、美味しそうに頬張るエィヴォンが首を傾げて私を見ている。
「いや。おかしいというか……」
「おかしいというか?」
「この状況がやはりおかしいと思うのだが」
やはりおかしい。
なんでのほほんとお茶をしてるんだ私は! エイヴォンとドクターの伴侶となぜテーブルを囲んでしまっているんだっ。
自分を叱咤して、この現状に呑まれないように震い立たせた。
「お嫁さんもどうぞ」
けれどもプリムの愛らしく軽やかな声に、震い立たせたはずの思いが崩れそうになりそうになる。
そして彼女の日焼けした細い腕が伸びてきた。菓子をのせた白い磁器の皿がそのコントラストをハッキリと……いや、そうではない。私は慌てて首を横に振った。
「ご、ご婦人、申し訳ない。私はエイヴォンの嫁ではないし、ここでくつろいでいるほど暇ではないんだ。せっかくお茶の席を設けていただいたのに、本当に申し訳ない。それでは」
一礼して、部屋の出口に向かおうと足を踏み出すと、少しガサついた手の平で腕を掴まれた。
「ごめんなさい。私早とちりで。ここにエイヴォンさまが女性を連れてくるなんてなかったので。年甲斐もなくはしゃいでしまってごめんなさい。私のせいで気を悪くさせてしまったのね」
「あ、いや……」
軽やかな声が震えはじめたので思わず振り返ってプリムを見てみると、今にも溢れんばかりの涙が瞳に溜まっていたのだ。
「あ、あ、あなたのせいじゃない。むしろエイヴォンのせいで」
「エイヴォンさまのせいなんです?」
眉を寄せて、震える唇をギュと噛む姿がとても痛い気に映った。なんて悲しそうな顔をするんだ。
「い、いやエイヴォンのせいでも、ご婦人のせいでもなくて、あの、その」
しどろもどろになってしまう。
「ほらほら、せっかくプリムが入れてくれたお茶が冷めてしまいますよ。シエスタ、さぁ座って座って」
エイヴォンの言葉にプリムは瞳を輝かせていて、もう一度席につかねば、次こそ泣いてしまいそうな気がして仕方なく座った。
「あら、シエスタという名前なの? 可愛らしい名前ね」
席に座ると、安心したのかプリムの声が心なしか弾んだように聞こえた。
「シエスタさま、このお茶はこの辺りでしか茶葉が取れないのですよ。どうぞお飲みください」
素直にカップを手に取れない。
彼女から察するにきっと悪意なんて一欠けらもないのだろうけど、疑ってしまうし、毒味役がいることが常だから最初に手をつけることができない。
それにまたなにかの罠だったら、精神的に立ち直れない。そして改めて一人にされるとなにもできないことを痛感する。
「シエスタ、心配? 僕が少し飲んであげるよ」
「え、あ、……」
あれこれと考えている間にエイヴォンにカップを取られていた。
「ほら、大丈夫。ここのお茶はとても美味しいんだよ。プリムが上手に淹れてくれるっていうのもあるけどね」
あっという間に飲み干し、カップを逆さにしてエイヴォンは笑顔を見せている。
「あ、あぁ、そ、そうか」
カップを受け取りながら、そっとプリムの表情を伺った。特に訝しんでいる様子はないように見える。
「あらあら、エイヴォンさまったら女性にお出ししたお茶に口をつけてしまうなんて、もう。シエスタさま、カップを洗ってきますね」
「あ、いや、いいんだ。このままで」
立ち上がるプリムの腕を慌てて掴んだ。
「え? でも……」
「本当に。そういうの私は気にしないから。だからその……、美味しいというお茶をまた入れてくれないだろうか」
変な受け答えじゃないだろうか、と不安になりながらなんとかプリムにカップを洗いに行かせないよう必死になってしまった。だって、席を立ったついでにカップに毒を塗られたりしたら本末転倒だろう?
「シエスタさまがお気になさらないなら……」
しぶしぶとプリムは座ってくれた。はぁ、良かった。ホッと胸を撫で下ろしてチラリとエイヴォンを盗み見ると声をあげずに笑っていた。悪かったな、一人で満足に出されたものに口をつけられなくて。
「さぁ、シエスタさまどうぞ」
改めてカップに注がれたお茶はオレンジ色が煌めき、芳醇な香りを漂わせた美味しいお茶だった。
「綺麗だな……」
「わかります? この透明感のあるオレンジ色。香りも豊かで。この茶葉はちょっと高価なんですけど、地元ですから普通に私たち庶民でも手に入れることができたんですよ」
微笑みつつ、どこか翳りのある物言いが気になった。
「今じゃ、希少価値になってしまって。お客様用にしかお出しできなくなってしまって、残念だわ」
「え……、あ、あのこのお茶の名前は?」
嫌な予感がして考えるよりも先に聞き返していた。希少価値?……それは、もしかすると。
「カンヤム、というの。知っています?」
「ん? ……カンヤム?」
言葉にして確かめてみる。お茶に詳しいわけではないが、高価なものの名前はなるべく覚えようと努力している。高価なもの、希少なもの、それらは皇宮に少なからず献上される品々だから。頂くこちら側も、どれくらい価値あるものか、どれだけの労力を注いで作られているか知らなければおこがましいから。だって皇国の民が丹精込めているのだから、知る努力をせねば失礼すぎるだろ?
でもこのカンヤム、という名の名前のお茶は聞いたことがない。どういうことだ? 本当に希少価値なのか?
「シエスタ、聞いたことあるの?」
「いやない」
「シエスタでも聞いたことがないのか……。ふむ」
「なにがフム、なのだ? 柄にもなく考え込んで」
足を組み直し、腕を組んで唸っているエイヴォン。どうしたのだというんだ。
「いや、シエスタなら名前くらい知ってるかと思ったんだけどね」
「話しが見えない」
「うーん。そうだなぁ……」
エイヴォンはチラリとプリムを見やっていた。なんだ? なんなのだ?
「積もるお話があるのですね。私はここで失礼させていただきます。なにかあったら呼んでくださいね」
なにかをエイヴォンから感じ取ったのかプリムがゆっくりと立ち上がった。
「あ、あのご婦人」
二人きりは困る、と告げたかったがプリムに制されてしまった。
「シエスタさま、どうぞ私のことは今後プリムと呼んでくださいね。それではごゆっくり」
「いや、ちょっと、あの、プ、プリムっ!」
去って行くプリムの背に声をかけたが振り向いてくれなかった。
こ、これはなんだ? へ、部屋に二人。非常にマズイ展開、というやつじゃないのか?




