14 馬車で
規則正しい馬の足音。
振動で揺れる体。
揺れる体? 馬の足音?
「だから言ったんです。あの時間アイビーさ……んを一人にしてはいけないって」
「子どもじゃないんだから別にいいじゃない。一人にしたって」
男二人の声が横の方からする。誰だろう。真紅のベロア調の天井を見つめていた視線を横にやった。
「一人にした結果、廊下で倒れていたじゃないですか!!」
「いやぁ~、可愛い顔が見れてそれはそれでよかったじゃない?」
「可愛い……可愛いなどあなたが言わないでくださいっ」
誰が可愛い、という話なのだ? 二人の会話を聞いているとなんだか論点がおかしなほうへいっているような。いや、そもそもなぜこの二人が同じ空間で言い合いをしているのだ?
「それにしてもラスチェのシエスタに対する危機管理的能力? っていうの? 素晴らしいね。僕と話してる最中突然駆け出すんだもの」
「……」
「このところずっと聞いてるけど、君とシエスタの関係ってなに? ただの主従関係にも思えたけど、ちょっと違うんじゃない?」
「……。なにをおっしゃりたいのかわかりませんし、アイビーさんが私たちに気付いてます」
「うわっ! 起きてるなら声をかけてよ。っと、とととととっ」
立ち上がったまではよかったが、地面のおうとつで少し中も傾きエイヴォンがバランスを崩し……。
「うあっ、ちょっ」
危うく私の腹部にエイヴォンが腰かけそうになったのがわかったので慌てて身を起こすと、何故だか体を抱きしめられていた。
「エ、エイヴォン離せ」
どうして簡単にエイヴォンに抱きつかれるんだ。自分の隙の甘さに歯がゆさを思った。
「よかったぁ。廊下でシエスタが倒れてたんだよ。救護の先生も原因がわからないって言っていたから、僕の家が贔屓にしている医者に診せようと思って今移動しているところなんだ。彼は腕がいいから原因がわかると思ってね」
そう言いながら私の言葉を理解してくれたのか、ラスチェの座る反対の座席に移動してくれた。
「わたくしは止めたんですが……」
申し訳なさそうな声がラスチェから漏れた。ラスチェの落ち度ではないからそんなに伏し目がちにしなくていいのに。
「二人とも心配しすぎだ。ほら、この通りピンピンしているし」
力こぶを作るように手の平を握りしめ肘と腕が九十度くらいになるようにしてみせた。
「うん。知ってる」
サラリとエイヴォンが言ったのと同時にラスチェが頭を抱えた。
「ど、どういうことだ?」
「いやぁ、一回はやってみたかったんだよ。学校の授業があるのに、平気で学校を飛び出すってやつを」
にっこり笑いながら私の方を見てウ、ウィンクをしてきた。腕辺りがむず痒く指先でそっと掻いた。エイヴォンが発する言葉がどことなく、……なんというか嫌ではないのだが、体が痒くなってしまう。
「でね、シエスタを運んでいたらラスチェくんに見つかっちゃって、今、ここに至るってわけ」
「あなたにアイビーさ……んを任せられませんからね」
「……この前から気になっていたけど、アイビーさんって言うときに変な間があるよね? それにシエスタのこと好き、と言いながらベッタリしないで……。なんというのかな、そっと見守ってる感じで言葉遣いも控えめで、同年齢の子や僕に遣う言葉とちょっと違うよね? 気を遣っているというか」
「え……」
私の変わりにラスチェが驚きの声を上げていた。
「うーん。まるでうちの使用人と僕の関係にそっくりなんだよね」
私とラスチェは思わず視線を合わせてしまった。
「名家の名前じゃないからハッキリとわからないけれど、シエスタがどこかのお嬢様でラスチェがその下僕ってことだよね?」
「下僕とは失礼なっ!」
私が声をあげようとしたところまたもやラスチェの一声のほうが早かった。……ラスチェ、最近感情の起伏が激しくないか?
「えー、じゃぁ使用人?」
「違いますっ」
「お、おい、ラスチェ、もうそのへんで……」
「アイビーさま、止めないでください」
今止めないで一体どこで止めればいいのだ? ボロがたくさん出る前に……。
「い、いや、お、おい」
気を遣ってエイヴォンの前では"さま"を付けないよう頑張っていたと思ったのに、あっさりとこの限られた空間で口走ってしまうなんて。
「そんなにムキにならないでよ。まぁ、名家の名前じゃないからものすごーく出自には興味があるけどね。うちの街じゃ僕のとこのクーペ家かヘルツ家しかファミリーネーム持ってないよねぇ……」
ジッとエイヴォンに見つめられ、冷たい汗が背中に流れていくのがわかった。頭がいいということは勘も鋭いというわけなのか。まずい。ここはなんとしてでも誤魔化してこれ以上の追及を回避せねば。
「旦那、着きましたよ」
へこへこ頭を下げる御者が澱んだ空気を逃すように扉を開けてくれて幾分ホッとした。
「あぁ、ありがとう。いでっ」
先に出ようとしたエイヴォンを押しのけてラスチェが先に降りた。
「さぁ、アイビーさまどうぞ」
ふんとエイヴォンを一瞥して私を降ろすために手を差し出しているのだが、すぐに手を出していいものか迷ってしまう。この手を取ってしまえば私が"どこかのお嬢様"である、と言わんとしてるような気がして。
「さぁ、どうぞ」
ずずいと更に差し出される手。チラリとエイヴォンの様子を伺うと、見て見ぬふりか、あさってのほうを見て口を尖らせている。
「あ、ラ、ラスチェやっぱり……」
この手を安々と取ってしまったらエイヴォンの思うつぼかもしれない。私はやっぱり躊躇して断ろうと口を開きかけた。その時だ。こちらに向かって猛烈に駆け出している人物に目が留まった。
「エイヴォンぼっちゃぁぁぁぁぁぁぁんっっっ」
砂塵を巻き上げるかの如し、エイヴォンの名を呼び駆けてくる。し、しかもものすごい形相だ。
「そこの人、どいてくださいぃぃぃぃぃぃぃ」
「え? あっ!」
その駆けて来る人物は勢い余って、馬車の外で私を待っていたラスチェにぶつかり、跳ね飛ばしたのだ。
「ラ、ラスチェっっ!!」
手を伸ばして助けようと身を乗り出していたはずなのに、駆けてきた人物に私もタックルされて無理矢理馬車の中に押し戻された。
「ぼっちゃん、すいませんが急ぎ、馬車を出してください」
ぜぇぜぇはぁはぁ言っている男は思い切り扉を閉めたのだ。
「ちょ、ちょっと待て、降ろせ! ラスチェがっ」
「大丈夫大丈夫。それよりも、ドクターがこんなに急いでいることのほうが重要だ。どこまで行けばいいんだい?」
「私の故郷、シャムロックまで急いでください。妹が危篤状態なんですっ!」
「御者さん、シャムロックまで全速力で。給金はずむから」
小窓からエイヴォンは叫んだ。
シャムロックだって? いや、場所は関係ない。
「エイヴォン、私を降ろしてからにしても遅くはないだろう?」
「ん? たまには街の外も面白いよ。ドクターを送ったらすぐ帰るから。ね? それまでもう少し寝てたらいいよ?」
「うぁっ」
近づいてきた、と思ったらまたもやエイヴォンに抱きしめられていた。
さっき感じなかった甘い香りがエイヴォンから漂っていた。
まずい……。この香りは。そう……どこかで嗅いだ香り――――。
誤字等気になることありましたら、どうぞ遠慮なく。
教えていただけると大変勉強になります。




