・第五章・
四月十三日。
恋魂は四清泉D区の喫茶店にいた。「秋の日」というケーキをホールで頼み、ちまちまと食べている。恋魂はここで、天と会う約束をしていた。
「ーーやぁ、朝狩くん。ホールケーキを一人で食べるなんて、私には絶対できないな」
そんな事を言いながら、天が恋魂の前に座った。
「それは嫌味なんですか?それとも感心してるんですか?」
「ん?何を怒ってるんだ?ただの感想だよ」
低い声で尋ねた恋魂を気にせず、天はメニューを開く。
「……そうですか。えっと、現場視察お疲れ様です。ーー何か感じました?」
「……さぁ?よし。私はこれにしよう」
恋魂の真剣な質問を、天はしらっとかわす。そして、店員を呼び「海風」というケーキを注文した。恋魂は眉をひそめて天を見ている。天は、窓の外へ視線を向けた。
「天さん。あたしに『話したい事があるからここで待っててくれ』って言ったのは、天さんですよ」
恋魂が静かに言うと、天は一つ、ため息をついた。
「……「高感力」というのは、「高度感知能力」の略だと知っていたか?」
天は恋魂にきく。恋魂は「はい。一応」と答える。
「『感知する』という事が具体的にどういう事なのか私には分からないが、きみが私に向かって言う『感じる』という事は、目に見えない感覚の事を指していると私は思うんだが」
「……えっと、はい。あたしもそう思ういます」
「それならーー私はきみのさっきの質問に『さぁ?』と答えるしかないんだ」
ふ。と天は恋魂に視線を向ける。ちょうど店員がケーキを運んできた。天はケーキを食べ始める。
「どういう意味ですか?」
「ーー今回の現場に、"感情"は無い。残るはずの魂もいない。あったのは死体だけ。こういう事は、前にもあった」
天は言葉を切る。恋魂は天を見つめている。ホールケーキはとっくの昔になくなっている。二人とも無言のまま、天はケーキを食べ終えた。
「……天さん。そんな事を、あたしに話したかったんですか?」
恋魂は、天をじっと見つめる。その心の底を覗くかのように。すると、天は優しく笑った。
「朝狩くん。きみは『タカン』についてどう思う?」
「どうっていうのは?」
「なぜ『残された感情を感知できる人間』が存在すると思う?」
「それは……分かりません」
「そう。分からない。私にも分からない。ははっ。知っているのは五寿神だけだ」
天の笑みが、冷笑に変わる。恋魂はその表情に寒気を感じて、腕をぎゅっと握った。しかし、冷笑は一瞬で優しい笑みに戻った。
「朝狩くん。私はね、何か事件が起きて捜査に行く時、決して【黒い狼】の制服を着ない。なぜなら、私が【黒い狼】だと気づかれないためだ。誰に気づかれないためかというと、それは残った"感情"や魂にだ。私は捜査のためなんて理由で、その"感情"や魂を見たくないんだ。私は、私個人、街閣天として向き合いたい。じゃあそれなら【黒い狼】を辞めたほうがいいんじゃないか、と思うだろう。でも違うんだ。私は【黒い狼】を辞められない。なぜならそれはーー"感情"や魂が『タカン』を求めているから。その終わりを見届けてくれる存在を求めているから」
話していく内に、天の顔から笑みが消え、何か大きくて重いものに堪えている様な表情になっていく。恋魂は、何も言わず天の言葉をきいている。
「"感情"や魂は、終わりを見届けてもらうと満足してそこから消える。『タカン』は終わりを見届けるために存在しているのじゃないか、というのが私の推測だ。ーー【黒い狼】にいれば、沢山の"感情"や魂の終わりを見届ける事ができる。だから私は【黒い狼】を辞めない。ーーだが」
天はそこで言葉を止めて、立ち上がり、恋魂についてくるよう手で示した。恋魂は無言でそれに従う。天が代金を払い、二人は喫茶店を出た。そして、通りをゆっくりと歩き出す。
「話の続き、きかせてくれませんか?」
恋魂は、わざと明るくきく。天は、それに応えて口を開く。
「……だが、世の中には、【黒い狼】にも【青い蛇】にも属さず、自由に生きる『タカン』がいると噂できいた事があるんだ。私はそんな『タカン』と一度会って、「高感力」を何のために使っているのかきいてみたいんだ。…………私がきみに話したかったのは、実はただこの事だけだったんだが……すまない、いろいろ無駄な事を言って、話が長くなった」
「……大丈夫ですよ。あたし、天さんの話なら、一日中だってきいてられます」
暗い顔で謝る天に、恋魂は優しく笑いかける。それにつられて、天も小さく笑う。
「あたし……天さん以外の『タカン』、知り合いに一人いるんです」
「! それは初耳だな」
天は意外という顔をする。恋魂は頷く。
「はい。まぁ、話すほどの事でもないですから。で、その『タカン』ーー笑理殿っていうんですけど、今【青い蛇】で働いてるんですけど、彼、自分が『タカン』だっていう事を認めてないんです」
「え……!?どういう意味だ?」
「えっと、彼の主張としては、『オレは『タカン』何て言われて区別されるような人間じゃない。他の誰とも変わらない、普通の男だ。普通に物を食べて、普通に寝て、仕事もするし恋もする、普通の人間。ただ他の人に見えないモノが見えるだけ。何でそのただちょっとの事で、名前をつけられて区別されなきゃいけないんだよ!』……って感じなんです」
それをきいて、天は「ふむ」と顎に手をやる。
「それは……面白いな。確かに、彼の言っている事は一理ある。ーー彼は自分で【青い蛇】に入ったのか?」
「はい。まぁ、その理由はいろいろあるみたいですけど、とりあえず、エリは「高感力」を他人のためには使ってませんよ」
恋魂はやれやれと頭を振る。天は「ん?」と首を傾げた。
「その……彼は「高感力」を他人のために使ってない、のか?」
「はい。エリは昔から……あ。あたしとエリ、幼馴染なんです。……エリは、昔から他人のために「高感力」を使った事はないんです。たがらたぶん、今もそうです」
恋魂は遠い目をする。
「ま、エリはエリで、自分の信念に従って生きているので、あたしは別に気にしないんですけどね……」
恋魂は言って、足を止める。そこは、恋魂の家の前だった。
「わざわざ送ってくださって、ありがとうございます。上がっていきますか?」
恋魂の誘いに、天は首を横に振った。
「いや、それは遠慮するよ。私のくだらない話をきいてくれただけで十分有難い。お礼を言うのは私の方だ。ーー今日は本当に有難う」
天が深く頭を下げた。恋魂は「大した事はしてないですよ!」と慌てる。
「それじゃあ、今日はこれでーーまた明日」
「あ、はい。さようならです」
恋魂が手を振って、家の中に入った。天も手を振り返して、道を戻り始める。
「……ころん。ころん。てぃしあ、えり」
天は小さく呟いて、小さく笑った。
・"感情"と魂
"感情"は、ある場所に残された感情の断片。魂は、生前の人格そのものが残っているもの。
・高度感知能力
ある場に残された"感情"や魂を感知できる能力。通称は、「高感力」と略される。
そして、この能力を持つ人間は、『タカン』と呼ばれる。
・五寿神
この国の神。生ける神。一神教。この世に干渉し、人々の願いを叶える事もある。