・第三章・
四月十日。
夏緒と水粒は、竜美町H区の居住エリアを歩いていた。
水粒は手にカードを持ち、それと周りの景色を見比べている。夏緒は無表情に水粒の隣を歩いている。
「……あ!あった」
水粒は一軒の家の前で足を止めた。夏緒はその家を下から上へ眺める。
「ここがソイツの家か?」
「うん。ほら、『竜美』って書いてある」
「ふーん。じゃあやるか」
言うと、夏緒は認識パッドに手をあてた。フォン、と認識パッドが赤く光る。夏緒はさっと手を離す。
ーーしばしの静寂。
「……いないのかな?」
水粒が不安気に言う。
「いや、いるだろ。認識パッドが光ってんだから」
「でも……長くない?」
『ーー君達、名前は何て言うんだい?』
突然、少し細い男の声が、認識パッドから発せられた。夏緒は冷静に答える。
「俺は絵海気夏緒。コイツは夏海水粒」
『年は?』
「俺が二十。コイツは十六」
『ーー成る程。絵海気夏緒に夏海水粒かーー二つの夏に、二つの海……どうぞ、入りたまえ』
男の声は、一人で何かを納得すると、入室の許可を出した。フォン、と認識パッドが青く光り、一面の壁が波紋をうつしだす。波打つその壁に、夏緒と水粒は入った。
ーー壁を抜けると、そこは水色と黄色で物の色を統一された部屋だった。その中で一人、黒尽くめの男が立っている。男は、手で二人に座るよう促した。二人は近くにあった水色のソファに座る。男も二人の向かいにある黄色いソファに腰をおろす。そして、男は口早に喋り出した。
「一応、僕の自己紹介をさせて頂くよ。僕は竜美蝋鳥と言う。年は二十五歳。国営意匠計画会社[雷泉]で働いている。ーーさて、君達は何の用で僕の元に来たのかな」
そこまで一息に話して、蝋鳥は二人に目を向ける。水粒がそれに応える。
「ボク達は、あなたに訊きたい事があるんです」
「ふ〜ん?その訊きたい事って言うのは何だい?」
「……あなたは、趣樹富華さんを知っていますか?」
蝋鳥の眉間にシワが寄る。
「……知っている」
「そうですか。ーーそれじゃあ、あなたは"TOMO"という名前に覚えがありますか?」
蝋鳥がすっと目を細める。
「ある」
「……では、人を殺した事はありますか?」
蝋鳥の表情が、キッ。と険しくなった。夏緒と水粒を強く睨みつける。
「その質問に答える義務は、僕には無い。……君達、一体何者だ?」
「……ただのお人好しだよ」
今まで、蝋鳥と水粒の会話を退屈そうに聞いていた夏緒が、心底面倒くさそうに言った。蝋鳥はじろり、と夏緒を見る。
「どう言う意味だ」
「ボクが言い出したんです。この事件を解決しようって」
怒りのこもった声音で問う蝋鳥に、水粒が落ち着いた口調で説明する。
「いつもなんです。ちょっとヒマな時に、【黒い狼】より先に真実を見つけるっていう」
「 !! それじゃあ、君達は【黒い狼】じゃないのか?」
「はい。ただの一般人です。安心してください」
水粒の言葉に、蝋鳥はほっとしたように顔を和らげた。
「そうか……それは良かった……僕は『白い森』に入る事を覚悟していたけれど……そうか。それなら、君達はもう全て分かっているんじゃないかい?」
「はい。すみません。全部調べさせてもらいました」
水粒は、謝りながらも得意げに答える。その理由は、八日前に宣言した通り、必要な情報を手に入れるのに十五分もかからなかったからだ。
蝋鳥は、ふっと自虐的に笑う。
「それなら、僕達がやろうとしていることがどれほどバカげた事かも、知っているんだろうね」
「ーーバカげた事?なんでそう思う?」
夏緒が、少し不機嫌な声できいた。
「そもそも転生を願う事じたいがおかしいんだ。それを、さっき僕は放棄しようとしたし……君達は、バカげていると思わないのかい?」
「思わねーよ」
「ボクも思いません」
蝋鳥の問いに、夏緒と水粒は即答する。蝋鳥は、二人の真剣な口調に口をつぐんだ。そして、「そうか……」と言って、力なく俯いた。
少しの間、沈黙が三人を包んだ。
「……君達は、僕に何か言いに来たんじゃないかい?」
沈黙を切って、蝋鳥がきく。
「あんた達に、やって欲しい事がある」
夏緒が、蝋鳥を見据えて言う。
「あんたがバカげた事って言った事を、やり遂げてくれねーか」
「……どうしてだい?」
「趣樹富華が、あんた達を待ってる」
夏緒の言葉に、蝋鳥が目をみはる。
「富華が……!?」
「あぁ。俺達は、一週間前に事件現場に行ったんだよ。そこで、アイツはーー笑いながら泣いてたんだ。離れてても感じるくらい、強い"感情"だった」
夏緒はまっすぐに蝋鳥の目をみつめる。
「あんたがやらなかったら、アイツはずっと待ってるだろうし、"トモ"ってやつのためにも、あんたはやるべきだ」
"トモ"という言葉に蝋鳥はぴくっ。と反応したが、何も言わない。
「……一週間以内にやれよ。ーー俺達が見届けてやるから。それに、この事は誰にも言わねーよ。じゃあな」
強い口調で言い切ると、夏緒は立ち上がって部屋を出て行こうとする。慌てて水粒も立ち上がった。
二人が壁を抜けようとした時、
「ーー夏緒君。君は『タカン』なのかい?」
少し疲れた声で、蝋鳥が質問した。夏緒はぴたり。と動きを止める。
「……だったらどうした」
その声には、苛立ちが含まれている。
「君は【黒い狼】ではないと言ったが、「高感力」を持つ『タカン』は、たいてい【黒い狼】か【青い蛇】に勤めているはずだ。君はなぜこんなーーヒマ潰しなんかに、「高感力」を使うんだい?」
夏緒は、答えない。ただ、強く蝋鳥を睨みつけるだけだ。ーーそんな夏緒と蝋鳥の雰囲気に耐えかねた水粒は、壁の方へ夏緒を押して、無理矢理部屋から出す。そして、蝋鳥を見た。蝋鳥も水粒を見返す。
「……ボクは、「高感力」を持つ人間を夏緒しか知らないけれど、必ずしもそれを人々のために使うべきだとは思わないし、ヒマ潰しに使っちゃいけないとも思いません。そうした方が役に立つとは思うんです。でも、夏緒にそのつもりはないんです。そもそも夏緒は「高感力」を使う気もない……。すみません。失礼します」
水粒はそう言って、逃げるようにさっと壁を抜けた。すると、目の前に夏緒の背中があって驚く。夏緒は水粒の姿を確認すると、無言で歩き出した。水粒も後ろをついていく。
「……ねぇ夏緒」
しばらくして、水粒は言う。
「ボクの事なんか忘れて、自由に生きていいんだよ?」
「……お前、俺に何回言わせるつもりなんだ?」
寂しそうに言う水粒に、夏緒は振り返って、怒っていてそれでいて優しい声で告げる。
「俺はお前のためにしか「高感力」を使う気はねーし、お前のそばから離れる気もねぇ。お前が俺を必要としなくなるまで、ずっと一緒にいてやる」
まっすぐな夏緒の言葉に、水粒はだだ、切なく笑った。
・認識パッド
インターフォン的な物。住人が在宅なら光続け、留守なら反応しない。また、赤は入室不可状態で、青が入室可能状態。家の壁と連動して、鍵の役目もしている。
・壁
この世界の家には、扉はない。一応、玄関に値する玄関壁、というのがある。壁を透過⇔不透過の状態を切りかえて出入りする。また、室内は玄関壁以外は普通の壁。
・『白い森』
この世界での刑務所。留置所も兼ねる。
・【青い蛇】
探偵事務所的イメージ。国営組織。【黒い狼】が主に刑事事件を扱い、【青い蛇】は、民事事件から失くし物探しなどまでする。