・第二章・
四月六日。
天は『捜査課』P班の班室にいた。そこで、机の上の資料を読んでいる。
「ーー被害者の名前は趣樹富華。男性。享年25歳。国営食品会社[塩]、I区店の従業員。I区の駐車場で仰向けに倒れているところを、通りがかった男性(31)に発見された」
穏やかな低音で文章を読み上げていく。
「家族は、両親ともに既に死亡。兄弟はいない。恋人もなし。交友は少なく、被害者とのトラブルはなかったーー」
「また音読してるんですか?」
班室に入って来た恋魂が、呆れた声で言う。そして、丸めた資料で天の頭をポン。と叩いた。
「後輩が先輩の頭を叩くというのは、少なからず言いたい事があるぞ」
天は冷えた視線を恋魂に向ける。
「そんなのいつもじゃないですか。挨拶ですよ、挨拶。それより今回の事件、どう思います?」
恋魂は天の視線を、慣れたようすで受け流す。実際、恋魂はいつもそうしていた。天は、「ふむ」と考える。
「意味不明だな」
「……やっぱりそう思います?」
「あぁ。第一に、彼は胸を刺された後、なぜか走り回っている。なぜそんな事をしたのか。
第二に、彼には知り合いがほとんどいない。家族もいない。恋人もいない。友人と呼べる存在も2、3人。会社の人間で、彼と会話した事があるのは4、5人。トラブルを起こした事はなく、恨まれるどころか存在を認識されてもいない。ここまで人間関係が希薄なのも珍しい。
第三に、彼が持っていたペンダントに"TOMO"と刻まれていた事。人の名前のようだが、彼の知り合いに"TOMO"という人間はいない。物や動物の名前だとしても、趣樹富華は動物を飼っていた事はないし、何かの愛好家でもない。ではこれは一体なんなのか。
訳の分からない事が溢れている。ーー理解不能だ」
スラスラと語る天。恋魂は相槌をうちながら、丸めた資料を広げて目を通す。
「確かに理解不能です。天さんの言う通り、趣樹富華が胸を刺された後、走り回った事についてなんですけど、彼が死んだのは、刺されてから約15分後。心臓を一突きされて15分間動けたなら、その間に誰かに助けを求める事ができたはずです。でも彼はそれをしなかったーーまるで、死にたかったみたいです」
恋魂は、資料と天を交互に見ながら話す。天はじっと考えている。
「死にたかった……か」
ぽつりと、天が言う。
「もしかしたら、真相は自殺かもしれないぞ?」
天は愉快そうに顔を歪める。その表情に、恋魂は身震いした。
「……そうだったら簡単ですけど、最初の班会議でも自殺は無理だって、班長が言ってたじゃないですか」
「ははっ。『刺し傷は体を貫通。普通の人間には、自分で自分を刺した場合、貫通させる事はできない。何か仕掛けを使おうにも、現場には細工されたような痕跡はなし。また、現場から遺体以外に発見されなかった事から、この事件は他殺という方向で捜査する』……だろう?」
天は立ち上がり、ゆっくり伸びをする。
「天さんは、班長の判断を疑ってるんですか?」
恋魂は天を見ずにきく。
「いや?私はただ、自分の理解を超える事が多すぎて、考える事が面倒になっただけだよ」
天は言うと、資料を机に置いて部屋を出て行く。少し傷ついた表情の恋魂も、後を追う。
二人は【黒い狼】四清泉ビルを出た。
天は行き先が決まっているのか、迷いなく歩く。
「どこ行くんですか?」
隣に並んで歩きながら、恋魂は問う。
「さぁ?どこにも。……今日は仕事する気がしないな。朝狩くん、取り敢えず昼食を食べに行かないか?」
「当然天さんの奢りですよね?」
「もちろん」
「よっしゃ!それなら喜んで!」
恋魂はニヤニヤと舌舐めずりする。そんな恋魂に、天は真顔でドン引きした。
二人は並んで歩いて行くーー。




