・第一章・
四月三日。
夏緒と水粒は、趣樹町のI区に来ていた。
国営食品会社[塩]のI区店。その駐車場で、趣樹 富華は死んでいたらしいーー心臓を一突きされて。
駐車場の半分はまだ閉鎖されている。
富華は刺された後、走り回ったのか転げ回ったのか……多量の血が飛び散っているのだそうだ。
そこには【黒い狼】の警備員が五人ほといて、現場の周辺を巡回している。
黒地に青い狼が描かれた現場保持テープと、同じ柄のシートが現場と外側を区切っている。
ーー遠目にそれらを眺めていた夏緒は、重いため息をついた。
「どうしたの?」
隣で同じ光景を見ていた水粒が夏緒を見上げる。
「んー……」
夏緒は目頭を揉む。
「……すっげえ強い"感情"がここまで来る」
「やっぱり?どんな"感情"?」
「あー……教えねぇ」
夏緒は振り返って歩き出す。
「え。ちょ、ちょっとーー」
水粒は慌てて夏緒の後につく。
「なんで教えてくれないの?」
「…………」
「ねぇ夏緒」
「…………」
「ねぇってば……!」
「…………」
「……もう……」
問いかけを無視された水粒は、悲しそうに俯いてしまった。
夏緒は、無表情に歩き続ける。
二人は駐車場を離れ、I区の公園に入った。
夏緒は近くにあったベンチに座ると、ようやく口を開いた。
「ーー"悲しみ"だよ」
「……え?」
拗ねてベンチに座らなかった水粒は、何が?という顔をする。
夏緒は、「はぁ……」とまた重たい息を吐く。
「だから、あの場所から感じた"感情"は、"悲しみ"だよ」
「"悲しみ"?」
「あぁ」
夏緒はまた、目頭を揉む。水粒は首を傾げる。
「"悲しみ"ってーー殺された事に対する?」
「いや、違う」
「じゃ何?」
「分かんねぇ」
夏緒は手をおろすと、水粒を見て不思議そうな顔をする。
「なんでお前座らないんだ?」
「え?あぁそれはーー」
そこまで言って、水粒は黙って夏緒を睨む。
「な、なんだよ」
「……ふん。教えてあげない」
水粒は、ぷいっとそっぽを向く。
「おい。言いたい事があるなら言えよ」
夏緒の言葉に、水粒は沈黙を投げ返した。
「……ま、別にいいけどな」
夏緒は目を閉じて、思い返す。駐車場で感じた"悲しみ"と、こちらを見ていた趣樹富華の姿を。
ーーひたひたと寄せてきて、スーッと消える、細波みたいな悲しさ。あれは後悔だ。何かをする事ができなかった後悔。それと少しの安堵と小さな希望。それが何に対するものかは分からないけれど。
そして、趣樹富華の姿。
直立して、こちらをじっと見つめていた。悲しそうな目で、でも口は笑っていて、そしてーー涙を流していた。
『お前にはみえてるんだろ?』
そう言っているような気がした。
その姿に、恐怖と同情と虚しさを感じた。
水粒に質問された時も、直感的に、
『アイツの前で話しちゃいけねぇ』
と思った。
だから水粒の事を無視しちまったけど……。
「……あ」
そういう事か。
夏緒はそこで理解した。
夏緒が目を開くと、寂しそうに夏緒を見ていた水粒と目があった。水粒は慌てて目をそらす。夏緒はふっと小さく笑う。立ち上がって、水粒の頭に手をおく。
「ごめんな水粒。無視した事と、お前が拗ねてる事に気がつかなくて」
水粒が上目遣いに夏緒を見る。
「……別に拗ねてないよ」
そう言って、視線を斜めにそらす。
「本当に、ごめんな」
もう一度夏緒が謝ると、「うん」と答えて水粒は勢いよく顔を上げた。
「それで!この後どうするの?」
「んー……とりあえず、情報収集だな」
「もう?他に見なくていいの?」
「あぁ。あれで十分だ。次は趣樹富華の情報が必要だ」
そこで言葉を止めて、夏緒はニヤリと笑う。
「水粒。お前にはたっぷり働いてもらうぜ?」
しかし、その極悪な笑顔を、水粒は鼻で笑い飛ばした。
「ふん。このボクにかかればたっぷり働かなくたって、一瞬で情報が揃うよ。期待しててね」
自信溢れる笑みを向けた水粒に、夏緒も信頼の笑みを返した。
作者から、この作品を読んでくださる心優しい読者様へ。
いろいろと足りない小説だと思いますので、ストーリー内用語の説明を。
・【黒い狼】
この世界における警察的な組織。
「タカン」と呼ばれる種類の人間は、大抵ここに所属している。
・「タカン」
後でストーリー内に説明が出てくるので割愛。
・町と区
この世界における、日本でいう『県』と『市』程度の広さ。
国→州(〜地方)→町(〜県)→区(〜市)→エリア(〜区)という順番で細くなる。
州・町は漢字名だが、区はローマ字で区別する。
エリアは、居住エリアや商業エリアというように、区の中を綺麗に分割している。
・"感情"、"悲しみ"
意味深に書いていますが、言葉通りです。
これらが、少しでもこの小説を読む上で、役に立ったら嬉しいです。