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page3


 目を覚ましたナズナはぼやける視界がはっきりしてくるのを動かずに待った。

 寝ぼけているからかと思ったが、意識が明確になっても視野に入って来る光景は、やはりナズナが知っているものではなかった。

 

 ここは何処だろう? ナズナの家でないのは明白だが、里のどの家とも違うようだ。何故なら天井が高い。里の家屋の様式とは全く違っている。

 布団もいつも使っているものより軽くふかふかで、しかも暖かだ。

 中に詰められているのは一体なんだろう?

 

 掛け布団を持ち上げたり押しつぶしたりしていると、部屋の入口にかかっていた垂れ布が押し上げられて人が入ってきた。

 

「っ!」


 その人物を見て咄嗟に起き上がろうとして、腹部に激痛が走って蹲った。

 この痛みの原因も一緒に思い出す。

 

 苦しむナズナを心配そうに見つめる瑠璃色の青年が、そっと手を伸ばしてきた。

 だが思い出してしまったが為に、簡単にその手を受け入れるわけには行けなかった。

 少し身を捩って避ける。青年は目を丸くして手を止め、すぐに苦く瞳を揺らした。

 

 ずきりと今度はお腹ではなく胸が痛くなる。

 そんな、傷ついたって顔されても困るんだけど……。ナズナの警戒は尤もだ。

 

 この人はよく知らない他民族で、何故か里が賊に襲われた時に現れて、そしてナズナを昏倒させたのだ。

 どうしてと問うたところで言葉の違う彼には通じないし、説明されてもナズナも理解出来ない。

 

 でも、あの賊の仲間ではないと思った。思いたかっただけなのかもしれないけど、明らかにこの人は賊なんかじゃないと今目の前にして更に確信した。

 賊達は東国の、ナズナと同じ言語だったというのもある。

 

 もしかして私に会いに来てくれた? お礼でも言いに来たの?

 分らないけれど、そうだったらちょっと嬉しいかもしれない。

 

 いつの間にかじっと見つめていたらしく、青年は居心地悪そうにそわそわしていた。

 それから、意を決したようにもう一度ナズナに向かって手を近づけてきた。今度は避けずに受け入れる。

 そっと、優しい手つきで額に添えられたそれは少し冷たかった。

 

「――――!」


 くすぐったいような青年との触れ合いは、どたどたと慌ただしい足音と同じような声によって遮られた。

 無遠慮に垂れ布が上げられて中に入ってきた人は、ナズナ達を見てぴたりと動きを止めた。大柄でよく日に焼けた中年の男だった。まずったとでも言いたげに目を泳がせて青年に何かを告げる。

 ナズナは不思議そうに首を捻り、青年も気にした様子もなく頷くだけだったが。

 

 二人は二言三言交し、後から入ってきた男はナズナに目を向けてきた。

 

「カリナンの里の子なんだってな」

「!」


 驚いて目を丸くするナズナの反応に気をよくした男はニカッと笑う。

 

「俺は行商人のアロンだ。この通り東国の言葉も話せる。ちょうどこの集落に買付に来ててな。カリナンの事をエイシェンに教えたのもオレなんだ」

「えいしぇん……?」

「あ? 名乗ってもねぇのか!? あー言葉が通じねぇっつーのは難儀だなぁ。こいつだよ、この男の名前、エイシェンってんだ。ついでにお嬢ちゃんのも教えてくれっか?」

「ナズナ」


 笑顔で頷いたアロンは、エイシェンというらしい青年の方を向いてニヤニヤと何かを話し始めた。

 その間、ナズナは口の中で「エイシェン」と呟いた。馴染の無い響きの名だ。

 

「ナズナ」


 呼ばれて顔を上げる。ぱちりと目が合ったのはエイシェンの方だった。彼はジッとナズナを見つめて、もう一度「ナズナ」と呼んだ。

 

「エイシェン」


 名を呼ばれたのだから、はいと返事をするべきだったのかもしれない。だけど無意識にするりとナズナもまた彼の名を口にした。

 だがエイシェンはナズナに呼ばれると、目を細めて穏やかにほほ笑んだ。その表情はとても柔らかい。

 

 二人の何とも言えないやり取りを、一人冷静に見ていたアロンは後頭部をボリボリと掻いた。見ていられないというように。

 

「イチャつくのは後にして、カリナンの事は先に教えときたいんだけどー」


 投げやりに言ったアロンにナズナは我に返った。そうだ、ナズナはこうして生きているけれど、他の皆はどうなったのだろう。母親は?

 ドクリと嫌に心臓が跳ねた。指の先からどんどん血が引いて行って冷たくなってくるのが分かる。

 

 エイシェンがベッドの端に座り、シーツを握りしめて真っ白になったナズナの手を自分のそれで包み込む。

 

「本当はエイシェンから直接聞きたいだろうが、オレからで勘弁な。まずエイシェンがあの日里に行ったのはナズナに礼をする為だ。まぁ誤解はしてねぇだろうが。エイシェンの話の限りでは……カリナンに戻ってまた暮らすのは諦めた方がいい。お前等が脱出した後に火を放たれたらしい。もう、人があそこに住むのは無理だろう。……男衆の留守中を狙われたようだな。運よく逃げ遂せた奴もいるだろうが、その数も期待しない方がいい」

 

 覚悟していたとはいえ、あまりの事に言葉が出て来ない。どこかで、心のどこかで期待していた。ナズナが無事でいるのだ。同じように皆なんとかなったのではないかと。

 里のみんなの顔が浮かんでは消える。

 

「……母さんは……?」


 歯を食いしばってどうにかそれだけ呟く。

 

「ナズナの母ちゃんは残念だが――」

「どうして!? 一緒に居たのに、エイシェンが助けてくれたんじゃないの!?」

「エイシェンだって、賊の相手しながら二人も守りしながら逃げるなんて無理だよ」

「だったら! だったら私じゃなくて母さんを……母さんは足が」

「だからだろ。足に患いがあるから、母ちゃんは足手まといになりたくなくて残ったんだろ。エイシェンが無理やり引き摺ってでも連れて行こうとしたが、刃物振り回して拒否したらしいぜ」


 頭では分かる。実際に見たわけでもないのにエイシェンと母親とのやり取りが目に浮かぶようだ。

 必死で母親を連れて行こうとするエイシェンと、同じように必死に突き放す母親が。

 そしてエイシェンとナズナが去った後に彼女が取る行動も。

 

 とめどなく流れる涙を止める事が出来ない。呼吸が上手くできない。

 苦しくて苦しくてどうにかなってしまいそうだ。

 

「オレはしばらくこの集落に居る。その間にナズナは身の振り方を考えな。ここに残るってんならエイシェンが良いようにしてくれるだろうし。山を降りるってんならオレと一緒に来りゃいい。東国でも西国でも連れてってやるよ。仕事は手伝ってもらうがな」


 よく考えとけ、と念押ししてアロンは出て行った。

 きっとアロンが来たのはエイシェンに頼まれたからだったのだろう。カリナンの事をナズナに説明してくれと。

 正直なところ、内容があまりにも残酷で聞きたくなかった。でもそれは逃げであって、彼が何も言わなければ近いうちに自分から問うていただろう事はナズナ自身にも分かっている。

 

 むしろ里に全く関係ないエイシェンに余計なものを背負わせてしまった。いつの間にか身体ごと抱き込まれて事に気付いて、ぎゅっと彼の服を掴むと背中を優しく撫でてくれた。

 こんな気遣いなんて本来ならしなくていいものなのに。

 人死ひとじにに行き合わせてしまっただけでなく、厄介なナズナの面倒までする羽目になって。

 

 関係ないと放置する事だって当然出来たのに、エイシェンはしない。本当に心優しい人なのだ。

 これはナズナの咎だ。こんな優しい人を巻き込んでしまった。償いをちゃんとしなきゃいけない。

 

 けれどそれよりもまずナズナがしなければならないのは、里を滅茶苦茶にした賊共を殲滅する事だ。

 きっとナズナ以外にも難を逃れた者はいるし、暫くすれば男衆も仕事を終えて帰ってくる。そうすればすぐにでも成就される。

 

 里を、母さんを奪った仇は必ず取ってやる。

 

 だからナズナにこの集落に残るという選択肢は無かった。アロンと共に山を降りて東国へ戻る。

 

「――――」

「え?」


 ふいにエイシェンが何か呟いたのを、ほとんど反射的に聞き返してしまった。どうせ意味は通じないのに。顔を上げると思いの外近い位置に彼の顔があって驚く。

 だが後ろに退く間もなく、彼の唇がナズナの目尻に押し当てられた。それはすぐに離れて反対側の目尻にも。

 

 そしてジッとナズナを見詰めると、また今度は瞼に。それを何度か繰り返すうちにナズナの顔は真っ赤になっていてエイシェンは上がった体温を確かめるように頬を撫でる。

 

「な、なんなの……!?」


 さっきとは違う意味で泣きたくなってきた。ぱくぱくと口を開閉するナズナとは違い、仕掛けてきたエイシェンは終始微笑んでいる。

 スキンシップが激しい人だとは思っていたが、民族の違いによる差だろうと深く考えないようにしていたが、これは流石にやりすぎじゃないだろうか。

 

 それともこの集落ではこのくらいは普通なの?

 どう返せばいいか分らず硬直するナズナを気にせずエイシェンは頭を撫でたり髪を梳いたりと忙しい。

 何なのだと彼の目を覗き込むと、瑠璃色の綺麗な瞳は笑ってはいなかった。

 ナズナの様子を窺っているような、心配しているような、憂いているようで、真剣な。

 

 人の瞳がこんなにも如実に感情を伝えてくるものだと初めて知った。

 言葉が通じなくたって、こんなにありありと語っている。

 

 ああ、どうしてこの人はこんなにも……。

 敵わない、と眉を下げてナズナは苦笑する。するとエイシェンも少し安心したように表情を崩すのだから堪らなかった。

 

 

 

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