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page10


 アロン達行商人が村を出て一月ほど経った。

 既にナズナの足はほぼ元通りにまで治っている。たまに引き攣るような感覚があったりもするが、普通に歩けるし、走るのだって問題ない。

 落ちてしまった筋肉を元に戻すにはもう少しリハビリが必要だが、それについても日々きちんとこなしている。

 

 怪我をしてからというもの、ちょっとでもナズナが外出するのをエイシェンは良い顔しなかったのだが、ここ最近は違った。

 エイシェンと一緒にという条件付きで、村の外にも出ている。

 

 流石に狩りとなるとド素人のナズナの同行は許されないし、彼女自身ついて行こうとは思わないが、エイシェンと二人で自分達が食べる分の山菜や果物を採りに出かけるのだ。

 

 その際に一度山脈から東国に抜ける道を見せてもらったのだが、それは道と言えるようなものでは無かった。正に断崖絶壁だった。よじ登るのでさえ到底出来そうもない急斜面に足が竦んで、エイシェンにしがみ付いてしまう程だった。

 西国の方も同じようなものらしい。

 

 これでは下界と人の行き来がないのも頷ける。

 因みにアロン達行商人はというと、村から北へ抜けて下山するとそのまま海へと出る。そこに船を停泊させているらしい。そしてそのまま海路で東西へ向かうのだ。

 

 でも……とナズナにはずっと疑問に思っていた事があった。

 エイシェンはどうやって下山したのだろうか。まさかあの絶壁を軽々と下って行ったわけではないだろう。ナズナが会った二回とも彼は軽装だったし、特に二回目は気を失ったナズナを背負ってこの村まで戻ってきているのだ。

 

 昏倒されただけのナズナがそれほど長い時間意識を失っていたとは思えない。精神的ショックがあった事を考えても数時間がせいぜいだろう。

 その短い時間でカリナンの差とから山の上にある村まで戻ってくるのは到底不可能に思えた。

 

 どこか隠し道がない限りは――。

 

 

 エイシェンは山の性質を知り尽くしていた。

 獣道じゃないのかというような道なき道を迷いなく進んで行き、ナズナが不安になる頃に着いた開けた場所には、他者の手つかずの花や果物が鈴なりの木、野生の野菜や山菜が生えている。

 

 野兎や鹿が行きかう中で二人でせっせと食糧漁りに勤しんだ。

 

「ナズナ」


 当面分の食べ物を採り終えて、ナズナの興味は薬草摘みに移行していた。

 夢中になって薬効のある植物採集していると、名前を呼ばれてふと顔を上げる。

 気が付くと最初に居た場所からかなり離れた所まで来ていて、エイシェンがナズナの元へ近づいてくるところだった。

 

「ゴメン」


 立ち上がって謝ると、エイシェンはふわりと笑う。そしてナズナの頬に手を添えて軽く口づけてきた。

 この一ヶ月で、何故かよくされるようになったキス。

 何の臆面もなく、行動と行動の合間にまるで挨拶でもするかのような気軽さでされる。

 エイシェンと一緒に暮らし始めた時には無かった習慣なのに、どうしてだろうと何度も考えた。

 

 思いつくのはやはり、アロン達の送別会の宴席で渡した花。あの日以降じゃなかっただろうか。しかしエイシェンの態度は以前と変わらない。ただ行動にキスという項目が追加されただけだ。

 里に帰りたいという事を最初から伝えているのだから、エイシェンが花を渡した意味を誤解しているとは思えない。

 

「どうして?」


 尋ねるとエイシェンは親指の腹でナズナの唇を撫でながら

 

「どうして?」


 と問い返してくる。困ったような淋しそうな瞳で。

 エイシェンが何故キスをしてくるかナズナに分らないように、ナズナが何故大人しくキスを受け入れるのかエイシェンには分らない。

 

 多分どちらも確信的な理由は頭の中にはあるのだろうけれど口には出せないでいた。

 出せない理由はやはり、ナズナがこの村の人間ではないという部分が大きいだろう。

 

 パァン――ッ

 

 目の前が一瞬霞むように強い光に覆われたかと思うと、ナズナとエイシェンの甘酸っぱい何とも言えない雰囲気をかき消すように乾いた音が木霊した。

 振り返ると青い空に白い煙の筋が縦に一線描かれていた。

 

「今の……閃光弾!?」


 ぐるりと一周見渡して、光が上がった方角を確認する。東だ。

 そう確信したと同時に無意識に駆けだしていた。

 

「ナズナ!」


 呼ばれた気もしたが構っていられない。あの閃光を放ったのは里の誰かに違いなかった。

 カリナンが賊に襲われてからもう二か月近くになる。今になってどういう意図があっての事なのか。

 もしかしたら遠征に出ていた男性陣がやっと帰って来て、里の惨状を目の当りにして行動に出たのかもしれない。

 

「ナズナ!」


 ぐいと腕を力いっぱい引かれて後ろにバランスを崩した。

 ぐらついた身体を包むように支えられて、倒れる事は免れたもののナズナはそれよりも掴まれた腕を離す方に夢中だった。

 だがエイシェンは暴れるナズナを抱えて押え込む。

 

「――――っ!!」

「離して! 帰るの!」

「ナズナッ!!」


 身体を反転させられて肩を揺さぶられた。大声で名前を呼ばれて漸くナズナは僅かばかり冷静さを取り戻した。それでも一刻も早く里に戻る事しか頭にないのだが。

 

「エイシェン離して……」

「ナズナ、ダメだ」


 焦りの滲んだ瑠璃色の瞳がナズナを真正面から捉える。

 何故エイシェンがそんなに焦燥を募らせているのか。どうしようもなく焦っているのはナズナの方なのに。

 ナズナは戸惑いながら彼を見上げた。

 

 エイシェンは言葉を繰ろうとしてナズナには通じないと思ったのか口を閉じ、それでも想いを伝えたくて。

 小柄なナズナの身体を抱きしめた。離れて行かないように、隠してしまうように強く。

 

「エイシェン?」


 戸惑いがちに問いかければ、ゆっくりと腕を離したエイシェンが苦笑交じりに顔を合わせた。

 それから早口で何言か話したけれどナズナには解からなかった。

 

「ナズナ、帰る?」


 再度手を掴まれつつ訊かれる。こうしていないとまたナズナが飛ぶ勢いで行ってしまうと思っているようだ。

 帰る、がエイシェンの集落なのかカリナンの里なのか判断がつかず、どちらにせよ帰らなければならないからナズナは黙って頷く。

 東国へ抜けるのはあの断崖絶壁しか知らないナズナには山を下る手立てはないのだと今はちゃんと思い出していた。

 

 帰り道は二人共何も喋らなかった。ナズナが多少エイシェンの使う言葉を理解出来るようになったとはいえ、会話がつつがなく成立するほどではない。

 いつも大抵は沈黙の中で二人で過ごしているから、その事自体はさして珍しくないのだが、空気が重く圧し掛かるような雰囲気が漂うのは珍しかった。

 

 里に居た頃よりも近い位置にある太陽からジリジリと暑さが届く。

 空を見上げると凶暴な程照らしている日光に目を細めた。

 

 閃光弾の輝きを思い浮かべる。

 どうやってでもカリナンに帰らなければ。

 

 この穏やかで優しい手を振りほどいて、心を殺して生きていく道に戻らなければならない。

 

 エイシェンとの別れはもうすぐそこまで来ていた。

 

 

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