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ロングボウの攻撃力

 柔らかな風の音が、途端に鋭く異様な響きを持った。

 次の瞬間には上空が黒く染まる。まるで何百何千もの羽虫が飛んできたように。


 ――敵襲だ!


 その叫びは発されること無く、喉に突き刺さった矢が微かに震えるだけに終った。

 降り注ぐ矢の雨にそこかしこで悲鳴が上がり、運の無い兵士はくぐもった呻き声を漏らす。咄嗟に盾を掲げることが出来た者だけが、なんとか冷静さを保っていた。

 伏せておいた一〇〇〇名の弓兵による攻撃は、たった三回の斉射だけで破滅的な損害を与えたのである。


 ……なんていうふうに、ちょっと雰囲気を出してみました。



※この文章は「なろう」で小文字が使えるかわからないので、例えば平方ミリメートルを「mm2」のように表記しています。


 さて今回はロングボウの攻撃力についてです。

 ちょっと調べてみると色々な形でされている質問ではあるのですが、それに対して明確な回答がされているのは見たことがありません。

 フライパンが貫通できるとか、当時のプレートアーマーは軟鋼だから貫通できるとか、騎士に対しては無力だが馬を殺傷できるので有効だとか、そんな曖昧なことばかりが返されていて、実際に何ミリの鉄板を打ち抜けるのだか具体的な数値が上がっているところは見たことが無いのです。

 それどころか専門の研究者ですら20mm近く貫通できるとか、表面に傷をつけるだけに終るとか、バラバラな発表がなされています。


 そこで実際に貫通力を計算してみたいのですが、そのためには緒元を集めなくてはいけません。

 厳密な数値を出そうというわけではなく、あくまで雰囲気を掴むレベルでいいのですが、それだけでもかなりのデータが必要になるのです。

 具体的には発射される矢の初速、矢の重量、矢の空気抵抗係数、鏃の直径と断面積、射込まれる鎧の硬度、射込まれる鎧の引っ張り強さ、射込まれる鎧の降伏点、命中したときの矢の速度……恐らく書き漏らしは無いはず……と、このくらいの諸元が必要になるのです。


 あ、言い忘れておりましたが、ボドキンが相手にしたのは鎖鎧ばかりでプレートアーマーは少なかった、という突っ込みは無しでお願いします。



 さて、まず弓矢の初速です。男子の和弓で毎秒50から60メートルらしいのですが、じつはこれ、ちょっとしたトリックがあります。

 現代弓道は矢がびっくりするくらい軽いので、同じ力で発射された場合は初速が速くなるのです。

 弓道はやったことが無いのでどの程度の矢が標準かは解りませんが、例えばKCカーボンという矢のKC-8026というものは直径8ミリで26グラムの重さがあり、鏃と矢羽をあわせると30グラムになるそうです。頭が軽いのでお辞儀しにくく、近距離で直線弾道を描くのに向いています。

 それに対して14世紀ごろにイングランドが使っていたボドキンは、直径10ミリ以上で重さが60グラム近くある重くて長い矢です。張力36キログラムのロングボウで発射すると初速は毎秒45から50メートル程度になり、鏃の重さが30グラム以上あるので下を向きやすく、高いところから降らせるのに向いています。


 矢の初速と重量は解りましたから、次に矢の空気抵抗係数です。

 これは矢の複雑な構造上、私程度では計算して出せるものではありませんから、海外の研究サイトから引っ張ってきました。

 それによれば、矢の空気抵抗係数は速度が毎秒80メートル以下であれば、大体2.2だということです。もちろん空気抵抗係数は速度によって変化しますから一定ではないのですが、2.2で取っておけば大体の雰囲気はつかめます。

 ちなみに同じ速度のライフルだと0.1かそれ以下になりますから、矢というのは思ったよりも減速しやすい形状をしているようです。

 非常に長いために、空気の粘性による影響を受けやすいのですね。


 次に必要なのは、鎧の装甲硬度・引っ張り強さ・降伏点です。

 降伏点というのは簡単にいえばぶん殴ったあとに元に戻らないほど変形させるのに必要な力で、引っ張り強さというのは切断したり打ち抜いたりするのに必要な力です。

 これは、焼き入れ極軟鋼の数値を用いることにします。

 高炉が出来るまでヨーロッパの鉄はほとんどが極軟鋼や純鉄に近い鉄で、良い鉄や鋼というのは東方から来るものでした。ダマスカス鋼やウーツ鋼などの高炭素鋼や超高炭素鋼が評価されたのは、そういう理由からです。

 ここではさらに具体的に、炭素含有量が0.1パーセントの極軟鋼とします。

 引っ張り強さは製鋼会社のHPから引用して310kgf/mm2。

 降伏点は同じく引用して235kgf/mm2です。

 これは現代の技術で焼き入れ硬化をした数値ですからちょっと高めですが、鋼や鉄を装甲として使うなら、焼入れは必ずされていたはずです。

 でなければ引っ張り強さで100kgf/mm2以下という、非常に弱い鎧になってしまうからです。


 さらに鏃の断面積が必要ですが、これは矢のシャフトを直径10ミリと仮定して、検索で出てきたボドキンの画像から推定してみます。

 すると先端から2mmの部分で約4mm2となりました。

 ちなみに完全に先端ですと1mm2以下の断面積なのですが、今回使う公式でその数値を使うと直系1mm以下の砲弾として計算されてしまいます。

 こうなると現代の圧延鋼板を20mm近く貫通しかねませんし、徐々に太くなるボドキンの形とかけ離れてしまいますから、先端からある程度の部分を使うわけです。


 さぁ、ここからは弾道学です。

 とはいえ文系の私にはそんなこと出来ませんから、弾道計算ソフトにシミュレーションをお願いしてしまいましょう。

 矢を重量60グラム・直径10ミリ・空気抵抗係数2.2の砲弾として、初速は毎秒50メートルで発射してみます。

 弾道は曲射弾道です。

 上方へ45度の傾斜をつけて打ち出された矢は、3.5秒後に距離120メートル高度60.85メートルに達し、7.05秒後に234メートル先へ着弾しました。

 着弾時の水平速度は毎秒約32.1メートル、垂直速度は毎秒約34.1メートル、進行方向への合成速度は毎秒約46.8メートルとなります。

 なかなか現実的な飛距離が出ましたので、このデータを用いることにしましょう。

 ちなみに、よく言われる400メートル超の飛距離をこのソフトで出すためには、初速が毎秒で70メートル近く必要になります。時速に直せば252キロです。

 ロングボウ射手は体の形が変わるほど訓練を積んでいて弓も強いらしいですし、実際の矢は揚力を発生させる構造で飛距離は伸びますからもう少し条件は低くなるものの、凄い技術といわざるをえませんね。


 さて、まだまだ計算は終りません。

 次に計算するのは重さ60グラムの物体が毎秒47メートルの速度でぶつかったときに発生するエネルギーです。速度は計算しやすく切り上げています。

 公式は「重さ×速度の二乗/2」ですから

 

 0.06kg(47m/s)^2/2=66.27ジュール(J)


 となります。


 ようやくここで貫通力の計算に入れます。

 第二次世界大戦を研究しているサイトによると、砲弾が余程おかしい構造でなく砲弾と装甲が同じ材質であれば、貫通力を求める式は


 「貫通力=運動エネルギー×0.1/砲弾の断面積×装甲の引っ張り強さ」


 となります。

 これをボドキンに適用すると貫通力は


 貫通力(m)=66.27J×0.1/4mm2×310kgf/mm2

       =6.627/0.004m2×310000kgf/m2

       =0.00534435483m

       ≒5.3mm


 以上のように、重さ60グラムのボドキンを45度の角度で初速毎秒50メートルで発射すると、その着弾時の貫通力は約5.3ミリとなります。

 プレートアーマーの装甲厚は4mmほどらしいですから、これなら直角に当たれば4mmの装甲板を打ち抜くのは簡単です。

 しかし厚さ4mmの装甲板というのは、45度に傾けると実質の厚さが6.5mmになります。つまり、斜めから当たると貫通力が5.3mmでは貫通できません。

 そしてプレートアーマーというのは曲面が多用されていますから、傾いて当たる確率が非常に高いのです。


 ではボドキンがもっと細長いタイプで、断面積が半分の2mm2ならどうでしょう。

 すると、貫通力は約10.6mmになります。

 これなら当たったときの傾きが59度(実質装甲厚10.32mm)まで貫通できますから、余程運が悪くない限りダメージを与えることが出来ます。


 ボドキンの完全な先端はもっと細いですが、鎧の装甲厚である4mmを貫いていく過程で接触面積はどんどん増えますし、衝突エネルギーはどんどん失われていきますから、ボドキンの先端形状にもよりますが5.3ミリから10.6ミリという数字は、現実的なロングボウの貫通力だといってもいいのではないかと思われます。


 しかしこの数字は、ボドキンも鎧と同じ焼入れされた超軟鋼で作られている場合にかぎります。

 単純に考えてボドキンが焼き入れされた超軟鋼の半分の引っ張り強さと降伏点しか持たなかった場合、貫通力がどうこうという前に変形したり割れたりして鎧を貫通できなくなってしまうのです。

 そして現実のボドキンはそういった軟らかい鏃がほとんだったといわれていますし、実際に発掘されたり沈没船から引き上げられたりするボドキンも軟鋼や鉄で作られたものがほとんどだそうです。

 

 そこで思い出して欲しいのが鎧の降伏点235kgf/mm2です。

 同じ物質で作られていれば貫通するほどのエネルギーを持った矢が降ってくるのですから、引っ張り強さよりも低い数値の降伏点を上回るなど造作もありません。

 鉄製のボドキンは鎧に当たると変形してしまいエネルギーの大部分を失いますが、だからといって鎧が無傷なわけではないのです。

 鎧だって鏃ほどではありませんが、ボドキンが命中すると変形するのです。

 つまり、矢の雨が降るとプレートアーマーは命中痕でベコベコになったはずなのです。


 ですから、ロングボウとボドキンの組み合わせによる攻撃力というのは、


「焼き入れ軟鋼で作られていれば90度の焼き入れ軟鋼板に5.3ミリから10.6ミリほど貫通するが、実際にはもっと軟らかい鏃ばかりが使われていて鎧をへこませるだけの効果しかなかった」


 というのが実情ではないでしょうか。



 ところで、攻撃力というのは貫通力だけで決まるものではありません。もう一つの要素として、当てやすさがあります。ここでいう当てやすさというのは、命中率と攻撃速度を合わせたようなものだと思ってください。


 ではまず、中世ごろの兵隊が使っていた距離の測り方をお話してみたいと思います。

 通称で「親指法」というやり方です。


 最初に、自分の身長・腕の長さ・親指の長さを測ってください。

 ここでは身長を180センチ、親指の長さを6センチ、腕の長さを80センチとします。


 そうしたら次に腕を真っ直ぐ前に伸ばして、親指を「グッジョブ!」と言う感じに上へピンと立てます。

 はい、その親指の大きさは、24メートル先のあなたと同じ大きさです。

 

 モノの見た目上の大きさは距離に反比例しますから、80センチ先の大きさ6センチの物体と、2400センチ先の大きさ180センチの物体は、同じ大きさに見えるのです。


 6:80=180:2400


 ということですね。

 見かけ上の大きさは比の左を右で割ってやればいいので、


 6÷80=180÷2400=0.075


 となって同じ大きさに見えるというわけです。


 そしてそうなると親指の半分の大きさの人間は48メートル先にいますし、親指の爪と同じ大きさの人間は96メートル先にいます。


 3:80=180:4800=0.0375

 1.5:80=180:9600=0.019


 となるわけです。


 実際には人間の親指と言うのはもう少し長い人が多いですから、親指の半分の大きさでちょうど50メートル前後の人が多いのではないでしょうか。


 さて、ここである問題が浮上してきます。

 見づらいかと思いますが、下の表をご覧下さい。


     180センチの人間  160センチの人間

 24m  0.075      0.0666

 48m  0.0375     0.0333

 72m  0.025      0.0222

 96m  0.019      0.0166

120m  0.015      0.0133

150m  0.012      0.01066

180m  0.010


 身長180センチの人間と身長160センチの人間が、各距離においてどのくらいの見かけ上の大きさになるかの表です。

  数字の変動を見るとわかりますが、距離が離れれば離れるほど見かけ上の大きさは変化しにくくなります。

 72mまでなら、まだ問題はありません。

 ところが96mになるとだんだん怪しくなってきます。

 そして120mになると、160センチの人間が120mの距離にいるのか、180センチの人間が150mの距離にいるのか、慣れていないと区別がつきません。

 ましてや150mの距離ではもう誤差レベル……。

 表にはないですが、210mになれば見分けなんか絶対につきません。


 遠距離射撃を行う場合、想定した距離が30mずれてしまえば、集団が集団を狙う射撃方法でも命中率が格段に低下するのは想像できると思います。


 ロングボウの強さを印象付ける戦いの一つにクレシーの戦いでの対クロスボウ戦がありますが、このとき、戦闘距離が150mより遠くなるとクロスボウは距離の把握すら難しくなるのに対し、ロングボウは連続射撃で距離をどんどん修正することができました。


 板状の弓が横向きに寝ているクロスボウは、強力なものほど弓が大きくなることもあり、一定以上遠くを攻撃しようとすると弓自体が邪魔で目標が見えなくなってしまいます。

 そうでなくするためには別の射撃体勢が必要になりますが、その場合は照準が使えませんから、一発目を適当に発射してその着弾地点から徐々に修正していくことになります。

 そうなると、一分間に2発から3発というクロスボウの連射速度は非常に辛い制限となるのです。


 しかし弓が立っているロングボウは近距離から遠距離まで同じ構えで十分であり、どんな距離でも目標を視界に納め続けることが出来ます。

 またやろうと思えば一分間に12発以上を発射できるロングボウですから、一発ごとに修正する射撃方法でも十分な矢を降らせることが出来るのです。


 ロングボウとクロスボウの勝敗を分けたのは、攻撃力の違いもありますが、何より遠距離での命中力(命中率ではない)の違いだったわけです。



 さて、ロングボウの攻撃力ついて私なりの説を挙げさせていただきましたが、如何でしたでしょうか。

 想像より強かったでしょうか。それとも弱かったでしょうか。


 もちろん、今回の私が出した数値は計算というのもおこがましいものですから、様々な異論があるかと思いますし、私もこれが絶対に正しいと主張するわけではありません。

 あくまで雰囲気を掴む程度にご利用下さい。

 

 また、もしこの覚書に目を通してくださった方の中で、もっと良い説をお持ちの方がおられましたら、こっそり教えていただけるとありがたいです。

 

 ※「お前間違ってるだろ!」と強く指摘されると泣いてしまうので、あくまでこっそりですよ!

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