一瞬でどこへでも
Il n’est pas de plus grand amour que de donner sa vie pour ses amis.
旅先のマルセイユの名もなき教会の壁にかかった額縁の中の、この一文に出会った時。
学生時代の私は意味もわからないというのに何故か心を強く惹かれた。
私は宗教に関しては言わば典型的日本人である自負がある。
すなわち、墓参りもクリスマスも初詣もそれなりにこなす人間であり、この教会に来た理由も日々のお勤めのためなどといった高尚なものではなくただの物見遊山でぷらっと入ったに過ぎないのだが。
なぜか、その一文に吸い寄せられるように足を止めてしまった。
時は2017年。
今ほど翻訳アプリが便利なわけでも、ましてや生成AIに翻訳を依頼できるわけでもない。
当時の愛機のiPhone5sでできることと言えば、愚直に一語ずつ単語の意味を調べて文の意味を類推するくらいだ。
あるいは、フランス語ができる人に聞くより他にない。
そう思い、時計を見た。
マルセイユでは夕方の16時半だが、
日本ならば今は真夜中の0時半だ。
ローラはまだ起きているだろうか。
大学寮のルームメイトであり、文字通り「フランス人形」そのもののように金髪青眼の可愛らしい友人だ。
確か毎晩同郷の彼氏とSkypeをしていると噂で聞いたことがある。
まだ起きていることを祈りながらLINEを起動してみる。
額縁の写真を添付し、拙い英語でこれの意味教えてくれる?和訳か英訳してくれると助かる、とダメ元で聞いたところ、一瞬で「read」が付いた。
なるほど日本以外で使用すると「既読」すらも英語表示なのか、というどうでもいいことを考えながら。
自分のメッセージを送信してから一分後。
あっさりと返信がきた。
「There is no bigger love than given your own life to your friends」
嗚呼、何ということだろう。
ややオーバーだが私なりに感じたままに意訳するのならば、「友愛に勝る愛はなし」とでも言ったところか。
数分前まで私にとっては意味をなさぬ単語の羅列だったものが、友達によってそれを理解可能な形にしてもらえたのだ。
しかも、その文の意味が友との絆を表しているときた。
あまりにも、出来すぎていた。
私の体は10時間以上かけてはるばるフランスに入ったというのに、
電子の文字はものの数分で行き来が出来る。
そのおかげで今こうして友愛の恩恵に預かることができた。
私も一瞬でどこへでも行けたらいいのに、とつい子供のようなことを考えてしまった。
そしてローラへの返信に訳してくれてありがとうと英語で書き、見よう見まねで「Merci!!」と結んでみた。




