第43話 薬草を売る前に決めること
翌朝、バルナは日の出からそれほど経たないうちに広場へ出ていた。
昨日見つけた薬草をすぐ採りに行くのかと思ったが、男が最初に広げたのは籠でも袋でもない。薄い木板と炭だった。
「まず、昨日の場所を教えてくれ」
バルナが村長に言う。
「場所ならヴァルが覚えてるぞ」
「ヴァルだけが覚えていても駄目だ」
俺は思わずバルナを見る。
「……なぜ?」
「ヴァルが毎回ついていくなら別だが、村の仕事にするんだろ?」
なるほど。
俺がいなければ分からない仕組みにしたら、俺が別の場所へ行っている間は何もできなくなる。
バルナは地面へ木板を置いた。
「正確な地図じゃなくていい。村からどちらへ進んで、沢をどこで渡って、目印になる岩や大木がどこにあるか。それくらい残せば、同じ場所へ戻れる」
「それなら俺も分かる」
昨日同行したダリオがしゃがみ込んだ。
「北東へ行って、二つに割れた岩の手前から東へ回った。その先に倒れた大木がある」
「距離は?」
「歩いて……」
ダリオが考え込む。
俺は昨日の移動を思い出した。
飛べば近い。
だが、人間が歩くとそうはいかない。
「……村から、半日より短い」
「それじゃ記録にならん」
バルナに即座に返された。
確かにそうだ。
歩く速さは人によって違う。
ダリオが苦笑した。
「次から目印を数えるか。沢までどれくらいかも見ておこう」
「それでいい。最初から立派な地図を作る必要はない」
バルナは炭で線を引いた。
「大事なのは、誰か一人の頭の中だけに場所を置かないことだ」
それは薬草以外にも使えそうだった。
薪を取る場所。
木の実が多い場所。
危険な斜面。
岩猿の水場。
全部を一枚に書く必要はないが、村の周りを人間がどう使っているか分かれば便利だ。
ただし、岩猿の水場まで誰でも分かるようにするのは少し気になる。
「……魔獣の場所は?」
「書かない方がいい場所もあるだろうな」
バルナはあっさり答えた。
「薬草の記録なら、危険だから近づくなとだけ書けばいい。何がいるかまで全員に教える必要はない」
俺は頷いた。
それならいい。
村長が腕を組んだ。
「採っていい場所を決めるって話だったな」
「ああ。ただし、線を引いて『こっちは採っていい、向こうは駄目』で終わらせるな」
「まだ何かあるのか?」
「誰が採るかも決めろ」
村長の顔が少し変わった。
「村の者なら誰でも、じゃ駄目なのか?」
「昨日見ただろ。似た草があった」
毒というほど強くはないが、腹薬のつもりで使えば吐くことがある草だ。
俺でも並べて見なければ違いが分かりにくかった。
「採れる人間を増やすのは構わん。ただ、見分け方を覚えてからにしろ。売り物にするなら、最後に誰かが確認する」
「それはバルナが?」
「俺は町にいる」
「じゃあ誰が確認するんだ」
「だから今日は、それを教える」
ようやく山へ行くらしい。
◇
今回、山へ入ったのは俺、バルナ、ダリオ、それに昨日薬草を見つけた男と、村の女が一人だった。
女はエナと名乗った。
普段は畑仕事をしているが、子供の頃から山菜や木の実を採っていたらしく、村長が声を掛けたらしい。
「薬草は詳しいのか?」
バルナが歩きながら尋ねる。
「薬にする草は二つくらいしか知りません。ただ、食べられる草なら何種類か」
「なら、何も知らない奴よりいい」
バルナは歩みを止めずに続けた。
「知らないものを知ってるふりさえしなければな」
「それはしません」
「よし」
昨日と同じ北東へ向かう。
俺は《魔獣感応》を広げながら歩いた。
岩猿たちの気配は昨日と大きく変わっていない。
別方向には小さな魔獣が何匹かいるが、こちらへ寄ってくる様子はなかった。
山の中は朝露がまだ残っている。
草を踏むたび、足元から湿った土の匂いが立った。人間たちは枝を払いながら進むため、俺が一人で移動するよりずっと遅い。
それでいい。
薬草を採るのは人間だ。
俺が通れる道ではなく、人間が無理なく通える場所でなければ続かない。
「ここで一度止まれ」
バルナが言った。
昨日、似た草を見つけた辺りだ。
「エナ。この中から使える方を探してみろ」
「私が?」
「教えるために連れてきたんだろ」
エナが草むらへしゃがみ込む。
すぐには手を伸ばさない。
しばらく葉を見比べ、一株を指した。
「これですか?」
「理由は?」
「葉の縁と……茎の色」
「ほかには?」
エナが葉を裏返した。
「裏側の筋?」
「そこまで見れば間違いにくい。だが、それだけで決めるな」
バルナが別の株を指す。
「こっちも見ろ」
並べると、俺にも違いが分かった。
よく似ているが、葉の付き方が少し違う。
「場所も覚えろ。使える方は少し湿った場所に多い。似てる方は、もっと日の当たる場所にも出る」
「分かりました」
「それでも迷ったら?」
「採らない」
バルナが頷いた。
「それが一番大事だ」
単純だが、確かにそうだ。
分からないなら持ち帰らない。
売れるかもしれないからと、怪しいものまで混ぜる必要はない。
俺たちは昨日確認した場所へ進んだ。
少ない薬草が生えていた岩場には寄らない。
今日探すのは、比較的数があり、バルナが試しに二束までなら採っていいと言った方だ。
途中でエナが足を止めた。
「バルナさん」
「どうした?」
「あれも同じじゃないですか?」
少し斜面を下った場所だった。
木の根元に、同じ形の葉がいくつも見える。
バルナはすぐ近づかず、周囲を見た。
「ヴァル」
「……魔獣?」
「ああ。下りても大丈夫か?」
俺は意識を広げる。
近くに強い気配はない。
「……大丈夫」
「なら見よう」
斜面を下りると、思っていたより多かった。
一か所に固まっているわけではない。木と木の間に間隔を空けながら、何十株かが続いている。
バルナがしゃがみ込み、数株を確認した。
「こっちは使える」
ダリオが周囲を見渡した。
「昨日の場所より多いな」
「ああ。だが全部採るな」
「どれくらい残す?」
「まず今日は二束分だけだと言っただろ」
「いや、今後の話だ」
バルナは少し考えた。
「なら、場所ごとに決めた方がいい。端から全部刈るんじゃなく、若い株は残す。花を付けそうなものも残せ」
「花?」
「増えるために必要だ」
前世の知識が頭をよぎる。
植物が種を作るなら当然だ。
ただ、この世界の草がすべて前世と同じ育ち方をするとは限らない。だから知ったつもりで口を出すより、この土地の植物を扱ってきた人間に任せた方がいい。
「根は抜かないんだったな」
ダリオが確認する。
「この草は葉と茎を使う。根まで持っていく必要はない」
バルナは腰の小さな刃物を抜いた。
「切る場所も高すぎると使える部分が減る。低すぎると株を傷める。見ておけ」
一本を切る。
それからエナに刃物を渡した。
「やってみろ」
エナは慎重に茎へ刃を当てた。
一度で切れた。
「それでいい」
そこからは早かった。
とはいえ、誰も片っ端から刈らない。
バルナが見て、エナが選び、薬草を見つけた男も一緒に確認する。
ダリオは採った量を数えた。
俺は周囲の魔獣を見張る。
役割が分かれたことで、昨日より動きがいい。
やがてバルナが止めた。
「そこまで」
籠にはまだ余裕がある。
ダリオが中を見た。
「もう終わりか?」
「二束分なら十分だ」
「もっと採れるぞ」
「採れることと、採ることは別だ」
バルナは群生を指した。
「今日の目的は町へ大量に持っていくことじゃない。正しく採って、正しく乾かして、売り物になる状態にできるか確かめることだ」
その言葉で全員が納得した。
俺も同じだ。
炭の時にも、いきなり増やさなかった。
道も、荷車が来る前から大きく造り直さなかった。
今必要な量を超えて仕事を増やすと、どこかに無理が出る。
◇
帰り道、俺は昨日とは違う気配に気づいた。
進行方向の先。
大きくはない。
だが一匹ではなかった。
「……止まって」
全員が足を止める。
ダリオが腰の道具へ手を伸ばした。
「何かいるのか?」
「……三匹。向こう」
俺は森の奥を見る。
《魔獣感応》から伝わってくる感覚は、強い敵意ではない。
警戒している。
こちらを見ているようだった。
少し待つ。
やがて茂みの向こうで枝が揺れた。
姿を見せたのは、鹿に似た魔獣だった。
普通の鹿より身体が小さく、額から短い角が二本伸びている。
後ろにも二匹。
こちらへ来ない。
俺たちも近づかない。
〈人間、多い〉
《魔獣感応》を通して、断片的な感覚が届いた。
岩猿ほどはっきりしていない。
言葉というより、警戒心が意味になって伝わってくる感じだ。
「襲ってくるか?」
バルナが小声で聞いた。
「……来ない。警戒してる」
「なら回ろう」
ダリオが答えた。
戦う理由はない。
俺たちは少し遠回りした。
鹿に似た魔獣たちも、追ってこなかった。
そのまま通り過ぎようとした時、俺は気づいた。
あいつらがいた場所の近くにも、薬草が生えている。
「……バルナ」
「何だ?」
俺が示すと、バルナも気づいた。
「ああ、あるな」
「……採る?」
「今日は採らん」
即答だった。
「どうして?」
エナが尋ねる。
「ヴァルがいる時しか安全に近づけない場所を、最初から採取場所にする必要はない」
バルナは鹿の魔獣たちが消えた森を見る。
「向こうにも向こうの生活場所があるんだろ。薬草なら、さっきの場所で足りる」
俺はバルナを見た。
この男は魔獣と話せない。
それでも、考え方は同じだった。
「……そこ、採らない場所にする」
「そうしとけ」
ダリオが頷く。
「戻ったら印を付けよう。理由は『魔獣の活動場所』でいいな?」
「それでいい」
何がいるかまでは書かない。
近づかない理由だけ分かれば十分だ。
◇
村へ戻ると、今度は乾燥の作業が始まった。
バルナは軒下を選んだ。
風は通る。
昼でも強い日差しが直接当たり続ける場所ではない。
採った草をいきなり束にするのかと思ったが、そうではなかった。
「先に選別する」
敷いた布の上へ薬草を広げる。
「山で見ていても、持ち帰る間に別の草が混ざることがある」
実際、一枚だけ違う葉が入っていた。
エナがすぐ気づく。
「これは違います」
「そうだ。捨てろ」
次に、傷んだ部分を外す。
泥が付いたものも分ける。
「洗わないのか?」
村長が聞いた。
「何でも水に浸ければいいわけじゃない。これは汚れた部分を落とせば足りる。濡らしたら乾かすのに余計な時間が掛かる」
バルナは作業しながら、エナたちに理由まで説明していた。
ただ手順を覚えさせるだけではない。
なぜそうするのかが分かれば、少しくらい状況が変わっても判断できる。
俺はその様子を見ながら、朝の言葉を思い出していた。
ヴァルだけが覚えていても駄目だ。
たぶん、それは薬草だけの話ではない。
俺には力がある。
飛べる。
火も使える。
魔獣の気配も分かる。
人間よりずっと大きな身体にもなれる。
でも、村の仕事を全部俺がやれば、俺がいない時に止まる。
人間ができることまで奪ってしまえば、村は強くならない。
バルナが薬草を一本持ち上げた。
「これを見ろ」
エナたちが集まる。
「茎が潰れてる。こういうのは分けろ」
「売れないんですか?」
「薬として使えないわけじゃない。ただ、最初に町へ出す二束には入れない」
「どうして?」
「最初の品だからだ」
バルナは薬草を置いた。
「一度『ルーエの薬草は状態が悪い』と思われたら、次に良いものを持っていっても値段を叩かれる。少量しか出さないなら、なおさら良いものを揃えろ」
ハインツが横から笑った。
「薬屋らしい話になってきたな」
「お前も商人なら分かるだろ」
「分かるから笑ってるんだ」
村長は真剣な顔で聞いている。
「炭も同じか?」
「もちろんだ」
ハインツが答えた。
「割れた炭ばかり詰めた袋を一度売ってみろ。次から袋を開けて全部確認されるぞ」
村長の表情が変わった。
「炭焼きにも伝えておく」
薬草の話から、炭の売り方まで変わりそうだ。
◇
夕方には、木板へ簡単な印が増えていた。
採取していい場所。
まだ量が少ない場所。
魔獣が使っているため近づかない場所。
危険な斜面。
村からの目印。
細かな地図とは呼べない。
それでも、朝よりずっと分かりやすい。
「これ、ほかにも使えるな」
ダリオが言った。
「何に?」
村長が聞く。
「薪を取る場所だ。近いところばかり使ってると、だんだん遠くなるだろ」
「ああ」
「木の実もだな。毎年よく採れる場所がある」
エナも加わった。
バルナが鼻を鳴らした。
「薬草を見に来ただけなんだがな」
「いいじゃないか。役に立ってる」
「余計な仕事を増やすなよ」
口ではそう言いながら、嫌そうではなかった。
俺は木板を見る。
村の周りにあるものを、今までは必要になった人間が探していた。
どこに何があるかは、知っている人間だけが知っている。
それでも小さな村なら回る。
だが、人が増え、外へ売る物まで増えていけば、それだけでは足りなくなる。
「……村長」
「どうした?」
「これ、残そう」
俺は木板を指した。
「薬草だけじゃなく?」
「……山のこと」
言葉を選ぶ。
話せるようになってから、少しずつ長い言葉も出せるようになった。
「どこで、何を取る。どこは、取らない。みんなで分かるようにした方がいい」
村長は木板をしばらく見た。
「そうだな。ただ、何でも書けばいいってものでもない」
俺は北の山を思い出した。
「……魔獣の巣は書かない」
「ああ。村の者が知る必要のない場所まで広めることはない」
バルナも頷く。
「薬草の場所も同じだ。商人が来たからって、全部見せる必要はないぞ」
ハインツが眉を上げた。
「俺を見るな」
「商人だろ」
「俺は勝手に山へ入らん」
「今はな」
「信用がないな」
笑いが起きた。
でも、大事な話だ。
外と繋がるということは、物が出ていくだけではない。
人も来る。
村のことを知る人間も増える。
売るものと、守るものを分けなければならない。
俺は乾燥を始めた薬草へ目を向けた。
二束。
町から見れば、たいした量ではないのかもしれない。
けれどルーエにとっては、山に生えていた草が初めて商品になる。
炭とは違う。
ただ切って運べばいいわけではない。
見分ける人間がいる。
採る量を決める。
場所を残す。
状態を揃える。
そして、誰か一人がいなくても続けられるようにする。
外へ売るものが増えるほど、村の中で決めることも増えていく。
それは面倒なことではある。
でも、悪くない。
俺が全部やらなくても、人間たちだけで回る仕事が一つずつ増えている。
ルーエを守るなら、俺がいつも村にいる必要がある場所にするより、その方がずっと強い。
軒下を抜ける風に、採ったばかりの草の青い匂いが混じった。
町へ持っていけるのは、乾いてからだ。
それまでに俺たちは、山から何をもらい、何を残すのかをもう少し決めておけばいい。
売れるものを見つけるだけなら簡単なのかもしれない。
売り続けられるようにする方が、ずっと難しい。
だからこそ、そのやり方を覚える価値があった。




