第38話 売れる量と運べる量
ハインツの荷馬がルーエへ上がってきたのは、俺が街道へ降りてから三日後だった。
村の入口に姿を見せた馬は二頭。どちらも背に荷を載せ、ハインツ自身は手綱を引いて歩いている。
荷車ではない。
街道で聞いた話を思い出しながら眺めていると、ハインツが俺に気づいた。
「おう、ヴァル。今日も村にいるな」
「……いる」
「それは何よりだ。空を飛べる奴に留守番と言うのも変な話だが」
馬は俺を見ても暴れなかった。
初めて来た頃は鼻息を荒くしていたが、何度かルーエまで往復するうちに慣れたらしい。俺が急に近づかなければ、耳をこちらへ向ける程度で済む。
村人たちが荷を下ろし始める。
塩の袋。油の入った容器。針などの細かな品。それに、今回は小さな麻袋もいくつかあった。
ハインツが村長と品物を確認し始めたところで、俺も近くへ移動した。
「ちょうどよかった」
村長が言った。
「ハインツ。ヴァルが街道で妙な話を拾ってきた」
「妙な話?」
「うちの炭をもっと欲しがる人間がいるらしい」
ハインツの手が止まった。
驚いたというより、考える顔だった。
「誰から聞いた?」
「……みち、ひと」
「街道に降りたのか?」
「……そう」
ハインツは俺を見上げ、それから大きく息を吐いた。
「お前、俺が来ない間に行動範囲を広げてるな」
「町までは行ってないそうだ」
村長が補足すると、ハインツは少しだけ安心した顔になった。
「それならいい。いきなり町の門前に竜が降りたら、商売どころじゃなくなる」
「……わかってる」
「分かってる顔だな。失礼した」
笑いながら答えたハインツだったが、炭の話へ戻ると表情が変わった。
「それで、もっと欲しいと言われたのか?」
「欲しがる奴がいる、という程度だ」
「なら、まだ注文じゃない」
「ああ。ヴァルも約束はしていない」
「それなら問題ない」
二人とも同じところを確認する。
俺が勝手に炭を売る約束をしなかったのは、やはり正しかったらしい。
ハインツは荷解きを村人へ任せ、物置の脇へ積まれている炭俵へ近づいた。
一つを持ち上げ、重さを確かめる。
「炭そのものは売れる」
村長が腕を組んだ。
「やっぱりか」
「町じゃ鍛冶屋も使うし、料理屋や家でも使う。薪より嵩張らず、煙も少ない。質が悪くなければ買い手はいる」
そこまでは街道で聞いた話と同じだ。
しかしハインツは、そこで話を終えなかった。
「問題は、売れることと、儲かることは同じじゃないってことだ」
俺は少し首を傾ける。
「……ちがう?」
「ああ」
ハインツは炭俵を地面へ戻した。
「例えば、町で炭を欲しい奴が十人いたとする。そいつらが合わせて五十袋欲しがったとしても、ここから五十袋を一度に運べなきゃ意味がない」
「荷馬を増やせばいいんじゃないか?」
ダリオが尋ねた。
「増やせるならな」
ハインツは、自分が連れてきた二頭を指した。
「馬は荷物だけ運んでるわけじゃない。自分が食う餌も要る。何日もかかるなら、その分を考えなきゃならん。御者や荷役を増やせば、そいつらの食い物も必要になる」
街道で見た荷車を思い出す。
大きな荷台に、何袋もの荷物が載っていた。
馬の背だけで同じ量を運ぼうとすれば、確かに馬の数を増やすしかない。
「それに、この道だ」
ハインツは村の南へ目を向けた。
「上りは荷を減らせば何とかなる。問題は帰りだ。炭を山ほど積んで下る方が怖い場所もある」
「下りの方が楽じゃないのか?」
ダリオが聞いた。
「人間ならな。荷を積んだ馬は違う」
ハインツは地面へ片足を出し、斜面を下るような仕草をした。
「後ろから荷の重さが掛かる。足場が悪いところで滑れば、馬ごと谷側へ持っていかれる。荷車ならもっと厄介だ。坂で車輪が勝手に回るから、止める仕組みが要る」
なるほど。
俺は空から道を見ていた。
狭い。
曲がっている。
岩が出ている。
それだけではなかった。
人間や馬が物を運ぶなら、上る時と下る時でも条件が変わる。
「今、俺がここへ荷車を持ってこないのも同じ理由だ」
「街道までは荷車で来られるんだろ?」
「ああ。だが、そこから先が無理だ」
ハインツは荷馬の背から最後の袋を下ろした。
「街道沿いに荷車を置いて、荷を馬へ積み替える方法もある。実際、量が多い時はそうする。ただな、荷車を置いておくなら誰かが見てなきゃならん。馬も余計に要る。積み替える人手も要る」
村長の眉間に皺が寄った。
「手間が増えるな」
「手間は銭になる」
ハインツの返答は簡潔だった。
「炭一袋を町で売った時の値段から、ここまで取りに来る費用、運ぶ人間の日当、馬の餌、それに途中で荷を傷めたり失ったりする分まで引く。その残りが少なければ、いくら売れても商売としては続かん」
炭は腐らない。
それでも袋が破れればこぼれるし、雨に濡らしたくもないだろう。
何より運ぶだけで人と馬が必要になる。
「……いま、なんこ?」
俺は炭俵を見ながら尋ねた。
「俺が一度に持って帰れる数か?」
「……そう」
ハインツは少し考え、二頭の馬を見る。
「今日持ってきた荷の帰りなら、他に買う物もあるから炭だけにはできん。馬の状態と天気にもよるが……今のやり方なら、無理をしない数しか持てない」
俺は返事を待った。
ハインツは炭俵を指で数えた。
「炭だけならもっと載せられる。だが、毎回限界まで積む気はない。帰り道で一頭が脚を痛めたら、残った一頭へ全部載せ替えることはできんからな」
その考え方は分かる。
俺も南へ飛んだ時、飛べる限界まで進まなかった。
帰る分を残した。
運ぶ仕事でも同じらしい。
「限界まで積める量と、毎回安全に運べる量は別だ」
ハインツが続ける。
「商売は一回だけ成功すればいいわけじゃない。次も、その次も運べなきゃ意味がない」
村長が炭俵へ視線を落とした。
「なら、炭を増やしても今のままじゃ運びきれないか」
「急に増やせばな」
「……すこし、なら?」
俺が聞くと、ハインツがこちらを見る。
「少しなら話は違う」
炭俵を一つ叩く。
「今の荷に混ぜて持って帰れる。町で誰が買うか、いくらなら買うかも確かめられる」
それなら、いきなり大量に作る必要はない。
村長も同じことを考えたらしい。
「まず試すのか」
「そうだ」
「何袋だ?」
「待て」
ハインツが笑った。
「そこで俺に数を決めさせるな。まず今ある炭のうち、村で使う分がどれだけ必要か確かめろ。余った分から出す」
村長も苦笑した。
「商人はもっと売れと言うものだと思っていた」
「村の冬支度を削って炭を買ったって、次に来た時に取引相手が凍えてたら困る」
当たり前の話だ。
しかし、その当たり前を守らなければ商売は続かないのだろう。
村長は近くにいた男を呼び、炭の在庫を数えるよう頼んだ。
冬までに必要な量。
鍛冶や料理で使う量。
これから作れる見込み。
それらを確認して、余裕がある分だけハインツへ渡す。
話が決まると、ハインツは今度は村へ持ってきた荷を確認し始めた。
俺はその横へ座ったまま考える。
街道で俺が見つけたのは、炭を欲しがる人間だった。
それを村へ持ち帰れば、炭を増やせばいいと思っていた。
だが実際には、その間にいくつも条件がある。
作れる量。
村で使う量。
運べる量。
運ぶ費用。
売れる値段。
どれか一つだけ増やしても、他が追いつかなければ止まる。
「難しい顔してるな」
ハインツに言われた。
「……むずかしい」
「商売がか?」
「……はこぶ」
ハインツは少し意外そうな顔をしたあと、笑った。
「そこに気づいたなら大したもんだ。商売ってのは、買う奴と売る物があれば終わりじゃない。間をどう繋ぐかで決まることも多い」
間を繋ぐ。
俺は村の南を見る。
ルーエから細い道が下り、その先で大きな街道へ繋がっている。
空を飛ぶ俺にとって、あの道は目印でしかない。
人間にとっては違う。
塩も油も、ハインツが背負ってくるわけではない。
馬が運ぶ。
村の炭も、売るなら誰かが運ばなければならない。
その道が細ければ、一度に運べる量が減る。
荒れていれば時間が掛かる。
危険なら人も馬も余計に必要になる。
道は、ただ歩く場所ではないらしい。
◇
昼を過ぎた頃、炭の在庫を調べていた男たちが戻ってきた。
「村長、余裕を見ても少しなら出せます」
「冬までの分は?」
「残します。今ある分を全部出す必要はありません」
「窯の方は?」
「次に焼く分もあります。ただ、畑仕事を止めてまで増やすなら別です」
「そこまではしない」
村長はすぐ決めた。
今の暮らしを壊してまで、売る物を増やさない。
ハインツも異論はないらしい。
「じゃあ、今回は持てる分だけ買う。町へ戻ったら何軒か当たってみる」
「値段は?」
「いつもの買値でいい。俺が町でいくらで売れるかは、今回見てくる」
村長が少し考える。
「それでお前が損したら?」
「次から買わん」
「分かりやすいな」
「逆に売れたら、次は数と値段を相談する」
最初から大きくしない。
試して、結果を見る。
それから増やすか決める。
人間だった頃なら珍しくもない考え方だ。
だが、この村では一度の失敗で失うものが大きい。
炭を作るにも木と人手が要る。
売れない物を大量に抱えれば、その時間を畑や家の修理へ使えなくなる。
だから小さく試す意味がある。
午後、ハインツが帰る準備を始めた。
持ってきた荷が減った馬の背へ、炭俵が積まれていく。
左右の重さが偏らないよう、一つ積むたびに縄を締め直している。
俺は近くで見ていた。
「ヴァル、そこにいるなら見てみるか?」
「……なに?」
「積み方だ」
ハインツが馬の背を指した。
「重い物を片側へ寄せたら、道でずれる。平地ならまだしも、山道じゃ馬の身体ごと引っ張られる」
炭俵の位置を少し動かす。
「高く積みすぎても駄目だ。枝に引っかかるし、坂で揺れやすくなる」
「……いっぱい、だめ?」
「いっぱい載せるのが上手いんじゃない。無事に着く量を載せるのが上手いんだ」
なるほど。
俺は昨日まで、道を広げれば運べる量が増えると考えていた。
それ自体は間違っていない。
だが、道だけではない。
馬がいる。
荷物の積み方がある。
人がいる。
天気もある。
行きと帰りでも違う。
村長が俺の隣へ来た。
「道を広げる話、急がなくてよかったな」
「……そう」
「まず今の道で、どれくらいできるか見た方がいい」
俺もそう思う。
今あるものを知らずに大きく変えれば、必要のない場所まで壊すかもしれない。
ハインツが二頭の馬を歩かせる。
「じゃあ、行ってくる。次に来る時には炭の話も持ってくる」
「頼む」
「……きをつけて」
俺が言うと、ハインツが振り返った。
「お前に言われる日が来るとはな」
「……みち、あぶない」
「知ってるよ。だから無理して積んでない」
手を上げ、南へ続く道を下っていく。
俺はすぐには飛ばなかった。
ハインツと二頭の馬が、荷を揺らしながら曲がり道の向こうへ消えていくのを見送る。
炭は売れるかもしれない。
それは昨日までと変わらない。
ただ、今はその言葉の意味が少し違って見える。
売れる物があるだけでは、村は豊かにならない。
作って、運んで、届けて、代わりに必要な物を持ち帰る。
そこまで繋がって、ようやく村の暮らしが変わる。
空から見れば一本の細い道だった。
けれど、その一本が、ルーエと外の世界を繋いでいる。
ならば次に見るべきなのは、道を広げられるかどうかだけではない。
今の道で何ができて、どこで詰まるのか。
それを知らなければならない。
俺は村の方へ身体を向けた。
ハインツが戻ってくる頃には、今日持っていった炭が本当に町で売れるのかも分かる。
その答えを聞いてから、次を考えればいい。




