7.わたくし、ほんとうは
魔導師団が去ったあと、ロイスは深く息を吐き、母と妹を抱き起こした。
「……助かった。シャルム、クロード。礼を言う」
彼の声はまだ硬く、心の整理はついていない。
しかしふ、と緊張が解けたその瞬間。シャルムの肩が、かすかに震えた。
「……お嬢様?」
クロードが声をかけると、シャルムはぎゅっと唇を噛み、首を振った。
「だい、じょうぶですわ……わたくしは……っ」
大丈夫と言いながら、声は少しも大丈夫ではなかった。
ロイスがゆっくりと歩み寄る。
「……シャルム」
その名を呼ばれた瞬間――
張り詰めていた糸が、ぷつんと切れた。
「……っ、ひ……っ」
小さな嗚咽が漏れる。
「っ、う……うぅ……っ……!」
こぼれ落ちた涙は、一滴で止まらなかった。
崩れるようにしゃがみ込み、両手で顔を覆う。
「こわかった……っ……!ロイス様が……本当に、失われてしまうかと……っ……!」
声は震え、涙はとめどなく流れた。
「わたくし……わたくし……っ!あなたが“嫌いだ”とおっしゃったときも……!
本当は胸が張り裂けそうでしたわ……!」
必死に抑え込んでいた想いと恐怖が、夜の静けさに溶けていく。
ロイスは思わず息を呑んだ。
あれほど強い言葉で拒絶したというのに――
彼女は、それでも自分を信じて走ってきたのだ。
「シャルム……すまない。本当に……すまない」
ロイスはそっと彼女の肩に手を伸ばした。
だが触れられた瞬間、シャルムはその手にすがりつくように抱きついた。
「いやですわ……離れたくありませんっ……!もう二度と……“嫌い”なんて、言わないで……っ」
その涙は、彼女がどれほど必死でここまで来たかを物語っていた。
クロードは視線をそらして静かに立ち尽くす。
――この二人の間に割って入るべきではない、と。
ロイスは震えるシャルムの背を、
そっと包み込むように抱きしめた。
「……もう言わない。あんな嘘は二度と言わない。だから……泣かないでくれ。
俺のせいで泣かないでくれ……」
言葉は低く、掠れて、痛いほどの後悔を滲ませていた。
しばらくして、シャルムの涙が少しずつ落ち着くと、ロイスは名残惜しげに腕をゆるめた。
シャルムが涙を拭うと、スピリタスがため息をついた。
「はぁ〜〜、青春ねぇ。
アタシにもご褒美ないの、シャルム?」
「黙りなさい!!今はそういう気分じゃありませんの!!」
涙目で怒るシャルムに、クロードが少し笑った。
「……お嬢様。本当に、よく頑張りましたね」
夜風が三人の間を吹き抜ける。
シャルムは涙の跡を残したまま、凛と微笑んだ。
「ここからが、本当の始まりですわ――」
涙の後の瞳は、誰よりも強く輝いていた。
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シャルムは緊張の糸が切れたのか、帰って早々に眠りについてしまった。
屋敷を出ると、秋の夜風が徐々に体温を奪っていく。時刻はすでに日付を回っていた。
ぐちゃぐちゃな気持ちを持て余したすえ、たどり着いたのは中庭のベンチだった。
―これは罪だ。
シャルムが一途にロイスを想っていたことは誰よりも知っていたし、主の幸せを喜ばしく思っていた。
それでも...アレは少し堪えたなあ...。
ポーカーフェイスな彼には珍しく、はは...と空笑いし、顔を歪める。
頭に浮かぶのは、真実の鏡に映し出された“ロイスから見たシャルム”の姿。
あんな表情で。あんな目で、
アイツを見ていたのか。
ロイスといるときはシャルムが人払いをするので、知らない表情ばかりだった。何より、ロイスから見た主人が一番可愛かったことが悔しくて腹立たしかった。
「あーーーーー....うぜーーーーーー....」
(一番近くにいたのは俺だと勘違いしていたんだ。...でも今日思い知らされた。
どれだけ近くにいても、この想いを告げることすら許されないくせに。
ロイスにフラれたと聞いて、憤る気持ちと共に、本当は、本当は、心の奥底で、悦びを感じていた)
―何ておこがましくて、浅ましい、
「アンタのその醜ぅい嫉妬心、もらってあげてもいいわよ」
「わぁっっ!!!!...いきなり何なんですか。」
背後に気配―と思った瞬間、耳元にぬるい息。
驚いて振り向くと、スピリタスが至近距離でにやりと笑っていた。
「可愛い~わよねぇ、シャルム♡
忠誠心で誤魔化しながら、こんなん抱えていけるの?」
男のおっぱい見てもなぁ...と失礼なことを呟きながら、手で輪っかを作って胸を覗き込む。ニマァっと心底楽しそうな笑顔はまるで悪魔である。
「いいんですよ。これは俺が抱えるべき罪ですから。」
主が愛した相手を羨んでしまったこと。
主の涙よりも、嫉妬に揺れた自分の感情が先に胸に湧いたこと。
――その全部が、赦されるはずがない。
だから、抱えていればいい。
一生、この胸の奥にしまい込んで――。
スピリタスは、そんなクロードを見て目を細める。
その表情は、愉悦とも、哀れみともつかない微妙なものだった。
「ふぅん。いらなくなったらまた呼んで頂戴。コレクションするから。
これ、私の連絡先。じゃあね、チャオ~♡」
その言葉とともに、するりと影のようにスピリタスは消えていった。
「何だったんだ...一体あの神出鬼没な悪魔め...」
冷たかった夜風はいつの間にかぬるく、体温を溶かしていった。




