6.対決ですわ!!!
夜のロイス邸を前に、二人は高い庭の塀の前へ立った。
月光に照らされた石壁は、思った以上に高い。
「……え、ええと。ここを越えるんですのよね……?」
シャルムは塀を見上げ、決意を固めて助走し――
よじ……よじ……
ぺたっ。
「……登れませんわ!!」
やはり無理だった。
クロードは静かに目を閉じ、深く息を吐く。
「……お嬢様。せめて足場くらい探してください」
「探しましたわ!でも無いんですの!」
「はあ……仕方ないですね」
クロードはシャルムの腰に手を回し、ひょいと持ち上げた。
「きゃっ!ちょ、ちょっとクロード!?」
「静かに。忍び込みですから」
「乙女をこう、無遠慮に持ち上げるのはどうかと思いますわ!」
「落ちたらもっと尊厳がなくなりますよ」
その淡々とした声に、イヤーカフからスピリタスの艶っぽい声が割り込んだ。
「まあまあ、イチャついちゃってぇ。私のことは振ったくせにこの浮気者ぉ♡」
「「黙ってなさい魔道具屋!!!」」
シャルムもクロードも同時に怒鳴った。
「うふふ、息ぴったり~♡」
スピリタスは完全に楽しんでいる。
そのままクロードは軽い身のこなしで塀を越え、音もなく地面に着地した。
「……降ろしてくださってよくてよ」
「まだ警戒中です。動かないでください」
「動いてませんわ!」
シャルムの小声の抗議が夜気に溶けていった。
屋敷裏の廊下を抜け、鏡の光を頼りに奥へと進む。
「ふふ、いい気迫ねぇ」
スピリタスが囁く声は愉悦に満ちている。
「愛に狂う女の子って、本当に綺麗……♡」
「黙りなさい!今は真剣なんですの!」
鏡の光に導かれた先――
施錠された部屋。
扉を開けた瞬間、冷たい風が吹き抜ける。円形に刻まれた魔法陣。
その中心で、黒い靄に囚われたロイスの母と妹。
「ん~ちょっとストップ。それ、呪詛♡ 踏んじゃ駄目よ」
クロードが険しくつぶやく。
「……“人質の呪い”ですね。家族を縛って、ロイス様の心を折る気だったようです」
その瞬間――
カツ、カツ、カツ、とヒールの音。
扉が優雅に開かれた。
「あらあ、こんな時間にお客様だなんて」
ルゼリア公爵令嬢。 豪奢なドレスの裾を揺らし、まるで誰より美しいと信じて疑わぬような笑みを浮かべて。
「まあ、泥棒みたいに忍び込んで……どんな言い訳をしてくれるのかしら?」
ルゼリアはそのままシャルムを通り過ぎ、クロードを真正面から見つめる。
「久しぶりね。クロード」
唐突な指名に、クロードの肩がびくりと跳ねた。
普段は岩のように動じない男の、珍しいほど露骨な反応だった。
「護衛としても、幼なじみとしても……“私だけ”を見ていたはずなのに」
クロードの喉が、ごくりと鳴った。
何か言おうとして口が動くが、言葉が出ない。
「……っ、それは……その……」
「なのに急に、シャルムに靡いた。理由を聞いても、あなた何にも答えてくれなかったじゃない」
クロードは必死で口を開いた。
「ち、違……っ……! 誤解、で……っ。あれは……俺は……!」
しかし、そこから先が続かない。
大きな体は強いのに、言葉だけが不器用に震えている。
ルゼリアが小さく嘲った。
「ほら、何も言えない。やっぱり“奪われた”んじゃない。わたくしから、シャルムに」
クロードの指が、悔しげに震える。
否定したいのに、上手く言葉にできない――そんな息づかい。
見かねたシャルムが一歩前へ出た。
「クロード。無理に答えなくていいんですの。あなたの誠意は、わたくしが一番わかっていますわ」
クロードは、助けられたように息を吐く。
「……す、すみません……お嬢様……」
ルゼリアがきつく目を細めた。
「ね? やっぱり“わたくしのもの”ではなくなったのよ。認めないけれど」
「……なぜここに来たんだ、シャルム」
「ロイス様!!」
彼は冷たく背を向ける。
けれど、その肩は小さく震えていた。
「何を見た?」
「全部ですわ。―あなたが、家族を守るために“嫌いだ”と嘘をついたことも」
ロイスは顔を歪め、苦笑した。
「……そうか。なら、帰ってくれ。もう関わるな」
「関わりますわ!!」
シャルムの声が凛として響いた。涙がにじむのを堪えながら、一歩前へ。
「だってあなたのこと、あきらめられませんもの!大好きなんですもの!そう簡単に離れることが出来ると思わないでくださいましーーー!!」
彼女の叫びに、ロイスがはっと息を呑む。
呪詛の黒い靄が、まるでそれに呼応するようにうねった。
「クロード!!」
「了解!」
従者が懐から短剣を抜き、魔法陣の外縁を切り裂く。
「……逃げてもいいんですの。弱くてもいいんですの。でも……嘘の言葉で、あなた自身を傷つけないでくださいませ。
わたくしは、そんなあなたを放っておけませんわ。」
その静かな強さを帯びた声に、ロイスの眉がかすかに揺れる。
冷たく閉ざしたはずの瞳が、苦しげに揺らいだ。
同時に、スピリタスの声がイヤーカフから響いた。
「さぁ、行くわよ。あなたの“未練”、本気で燃やして――」
シャルムが鏡を掲げる。
鏡面に映るのは、ロイスと彼の家族、そして自分。
光が弾け、黒い靄を包み込んだ。
スピリタスの魔力とシャルムの想いが共鳴し、
呪詛はひとつ、またひとつと剥がれ落ちていく。
「シャルム……!」
ロイスが駆け寄り、彼女を抱きとめた。
鏡が砕け、光の粒が宙に散る。
その光は魔法陣を越え、ルゼリアのドレスの裾をかすめた。
「……え?」
次の瞬間。
バチッ!!!
呪詛の黒い糸が、反射的に跳ね返った。
鏡の力が“本来の施術者”を特定し、呪いを戻したのだ。
「きゃっ……!? な、なにこれ……放しなさい!!」
黒い靄がルゼリアにまとわりつき、足に重く絡みつく。
スピリタスが鼻で笑う。
「愛を踏みにじって使った呪いってね、跳ね返るの。施術者の“執着”に反応するのよ。おめでとう♡」
「いや……いやよ!!わ、わたくしは悪くない!!シャルムが……シャルムが全部奪ったのよ!!」
ロイスが低くつぶやいた。
「違う。奪われたんじゃない。……お前が手放したんだ、ルゼリア」
黒い靄がさらに濃くなり、彼女の足元を縫い留めるように広がる。
シャルムが鏡を押し出す。
「これで終わりですわ。
――あなたが撒いた呪いは、あなたが受け取るべきですわ」
光が爆ぜ、靄がルゼリアの動きを完全に封じた。
呪いは彼女の“執着心”へと結びつき、逃げられない束縛へと変わる。
ルゼリアは震えながら叫んだ。
「どうしてよ!!わたくしはただ……全部取り戻したかっただけなのに……!」
シャルムは静かに答えた。
「他人が不幸になることを願うなら……その願いは、必ず自分に戻りますわ」
部屋は静寂に沈み、呪詛だけが淡い光を残して消えていった。
魔法陣の光が完全に消え、黒い靄はルゼリアの足元で、まるで鎖のようにうねっていた。
シャルムがロイスの母と妹を支え、クロードが周囲を警戒する。
そのとき、廊下の奥から複数の足音が響く。
「ロイス殿!」
王宮魔導師団の紋章をつけたローブ姿の男たちが駆け込み、魔法陣を確認すると表情を強張らせた。
「……これは重罪に当たります。人間を呪詛に縛るなど、王国法で厳しく禁じられている行為だ」
ルゼリアは青ざめた。
「ま、待って……違うのよ、これは……っ」
魔導師団長は淡々と告げる。
「ルゼリア公爵令嬢。あなたには“ロイス家への呪詛加害”の容疑がかかっています。
今、この場で保護――いえ、拘束させていただきます」
クロードが小さくつぶやく。
「……公爵家とて、闇呪術に手を出せば庇いきれませんからね」
ルゼリアの瞳に、焦りよりも濃い絶望が広がる。
「いや……いやよ……!わたくしは、公爵家の娘よ!?どうして……どうしてこんな――」
シャルムはゆっくりと息を整え、ルゼリアに歩み寄った。
「わたくし、あなたを憎んではいませんわ。
でも――人を傷つければ、それなりの責任はありますでしょう?」
「……ッ!」
ルゼリアは言葉を失い、ただ黒い靄に絡め取られたまま、魔導師に連れられていく。
その背中は、強く震えていた。




