4.変態はお断りですわ!
マリエール邸を飛び出したシャルムたちが向かったのは、貴族街から少し離れた裏通り。
昼でも薄暗い石畳の一角に、その店はあった。
―〈黒猫の吐息〉。
黒塗りの扉と、金文字の看板。香のような甘い匂いが漂っている。
「……ここが。」
シャルムはドレスの裾を持ち上げ、ためらいながら扉を押した。
中は薄暗く、無数のランプと魔道具が並ぶ幻想的な空間だった。
水晶、指輪、瓶詰めの光……そのどれもが、ほんのり魔力の気配を放っている。
「あらぁ―今日は、ずいぶんと可愛いお客様ね♡」
低く甘い声がした。
カウンターの奥に座っていたのは、腰まで伸ばした豊かな黒髪を手で弄ぶ女。
姫カットの髪が揺れ、黒曜石のような瞳が笑う。グロッシーな唇が何とも艶っぽい。
「……スピリタス様、ですの?」
「そう呼ぶ人もいるわねぇ。さて――今日はどんな願いを?」
スピリタスは、唇の端を上げた。
シャルムは小さく息を吸い、真剣な眼差しで告げる。
「真実が知りたいんですの。
ロイス様..元婚約者が本当に、わたくしのことを嫌いになってしまったのか」
「ふぅん……真実を、ねぇ」
スピリタスの指先が、カウンターの上をなぞる。
空気が微かに震え、鏡の欠片のような魔石がふわりと浮かび上がった。
「いいわよ。対価は、一晩、わたしと過ごすこと♡」
「けっこうですわ!!」
即答だった。
スピリタスは「ふふふ」と喉を鳴らし、肩を震わせて笑う。
「健全な取引をなさいませ! そういうお店ではありませんわよね!?」
「結構破格だと思うけどなあ?そんな男、忘れさせてあげるわよ♡」
「なりませんわ!!」
シャルムが顔を真っ赤にして叫ぶたび、スピリタスの目は愉しげに細まっていく。
「……あぁ、そんなところもゾクゾクする……♡」
「ゾクゾクしないでくださいまし!!」
結局、スピリタスは笑いながら両手を上げた。
「わかったわ、冗談よ。……そうね、あなたの“未練”でいいわ」
「未練、ですの?」
手で輪っかを作り、シャルムの胸のあたりをまじまじと見つめるスピリタス。
「ええ。グズグズに折れそうな心なのに、燃えるような想いがあなたを突き動かしているのね。
透き通っててとっても綺麗。あとDカップ。
ーあなたのその原動力を頂戴。」
「ひぁぁっ...」と小さく悲鳴をあげて体を抑えるシャルムをよそに店主は続ける。
「その未練を手放したら、あなたの想い人は心の中からいなくなるわ。
つまりチャンスは一度きり。」
指先が軽く振られると、店の空気がひやりと変わった。
光る魔石が空中で結晶化し、小ぶりな鏡の形をとる。
「―『真実を映す鏡』。ただし、映るのは“見たいもの”じゃなく、“見る覚悟があるもの”だけ」
鏡を見つめるシャルムの瞳が、かすかに震えた。
ロイスの“嫌いだ”という言葉、その裏にある表情が頭をよぎる。
「覚悟、なら……ございますわ」
スピリタスの唇が艶やかに弧を描いた。
「いいわね、その顔。恋に全力な女の子は、いちばん美しいのよ」
店の灯が揺れ、鏡が淡く光を放った。
シャルムの“未練”が、静かに動き始めた瞬間だった。
「これは...学園の中庭...ですの?」
「シャルム様の後ろ姿ですね。ロイス様視点、ということでしょうか。」
―遠巻きにシャルムを見つめるロイス。
目が合うとパッと視線を逸らし、妙にぎこちない仕草で近くを通り過ぎる。
―最後の年のプロム、シャルムの手を取り優しく口づける。
紅潮した頬と薄くうるんだ瞳。高鳴る心臓の音が伝わってくるようだ。
「懐かしいですわぁ...。婚約して初めての夜会でしたの。」
と呟くシャルム。
それから次々に腕に甘えてくるシャルム、初めてのキス、城下街の祭りでの記憶。
映像はさらに進む。
――婚約破棄当日の朝、
“最後に彼女を守るための嘘”を考えながら
鏡の前で苦しそうに拳を握る姿。
「……抑えろ、俺……」
と、胸元を押さえて俯くロイス。
――婚約破棄の瞬間、
「……嫌いだ」
と言いながら、わずかに震えるロイスの唇。
シャルムは息を飲んだ。
「……ロイス様……わたくしのこと……」
クロードの声が低く震える。
「……これは、どう見ても“情”以上の……」
だが、映像はそこで終わらなかった。
鏡が明滅する。
家具が倒れ、誰かが慌てて走り抜ける。
兵士らしい影が複数。倒れているロイスの父の姿。
そのそばに膝をつき、必死に魔力を押さえ込むロイス。
「ロイス様!? なにが……っ!」
「結界越しの映像なので、完全に途切れていますね」
影――
強い魔力を持つ“何か”がロイスに迫り、
画面が激しく乱れた。
また断片。
ロイスに黒い物体が絡みついていく。
必死の防衛むなしく、家族も残穢に飲み込まれていく。
シャルムの肩が震える。
「……今……ロイス様が危険に……
音が聞けたら……状況が……っ!」
「落ち着いて、これも過去の映像よ。
ただ危険な状況に巻き込まれているのは間違いないわね」
その瞬間、スピリタスが指を鳴らした。
「真実の鏡は“映像のみ”。しかも継続視聴は不安定。」
スピリタスはポーチから小さな箱を取り出し、パカッと開く。
黒金のイヤーカフが二つ、中で光っていた。
「だから、ここから先は“私が耳で支援する”。
魔力通信専用イヤーカフよ。」
「……通信……?」
スピリタスは少し笑いながら説明する。
「鏡はこのまま映し続けるけど、映像だけじゃ判断が追いつかないでしょ。
結界の揺らぎ、魔力の流れ、敵の位置――全部、私がリアルタイムで解析してあなた達に伝える。」
「……つまり、あなたが“我々の耳になる”と」
「そういうこと。
さあ―行くんでしょ?これはサービスよ。」
シャルムは涙を拭い、震える手でイヤーカフをつけた。
「……行きますわ。ロイス様を助けに。」
スピリタスの声が、すぐ耳元に響く。
『了解。馬車は北側へ。
今の映像から判断すると、結界の薄い突破口がある。―行くわよ、シャルム』




