3.いい加減立ち直ったらいかがですか
婚約破棄から一週間。
マリエール邸の食堂では、朝食のクロワッサンが今日も手つかずのまま。
シャルムはテーブルに突っ伏していた。
「…何も食べたくありませんの…。食べたらロイス様を忘れてしまいそうですもの…」
メイドたちは目を潤ませ、給仕の手を止める。
クロードだけは、紅茶を静かに注ぎながら冷静に呟いた。
「お嬢様、未練は生きているからこそ燃やせるものです」」
「でも、食欲なんてないわ...」
クロードはすっと跪き、シャルムをまっすぐに覗き込む。
「お嬢様は、どうなさりたいんですか。
こんなところでいつまでもウジウジしている貴方じゃないでしょう。」
「....っ。分からないの。あの時の言葉が本当なら、もう諦めますわ。...時間はかかるでしょうけど...
でもっ...もしあれが何かの間違いなら...。」
こぶしを握りしめ、うるんだ瞳で切々と訴えるシャルム。
その様子を見たメイドは「おいたわしい...お嬢様...」と呟く。
「意気地なし」
「...はぁっ!?」
一瞬にして、怒りの感情が湧いてくるなら大丈夫だと言わんばかりに頷いたクロード。
ブツブツとシャルムが何か言っているが気にしない。
「……そんなお嬢様に朗報があります」
「ろ、朗報……?」
「“黒猫の吐息”という魔法道具店をご存じですか?」
その名に、シャルムの耳がぴくりと動いた。
「何でも願いを叶えてくれる、らしいですよ」
「な、何でも!? まさかロイス様が『やっぱり好き』と――」
「言わせることも可能かもしれません」
シャルムはがばっと身を起こした。
「それ、どこにあるんですの!?」
「……そこが問題でして」
クロードは淡々と続けた。
「噂だけが独り歩きしており、実際に願いを叶えてもらった者の話は聞かない。
しかし、応用魔法が発展途上なこの国で、彼女が一番の魔法使いであることは確かです」
「彼女?」
「はい。“黒猫の吐息”の店主、スピリタス。
長い黒髪の美人。年齢不詳。
信者めいたファンクラブが存在しており、その信者たちを通さなければ会うことすらできないとか」
「まるで宗教ですわね……」
「ええ、倒錯的なまでに崇拝されているようです。
……が、安心してください」
クロードはにっこり笑った。
いや、笑顔なのに少し怖い。
「そのファンクラブの一人は、すでにぶん殴って調教済みです。いつでも案内できます」
「ぶん!?……あ、あなた、また乱暴を……!」
「一般人には一番手っ取り早いですから。」
「どう見ても違いますわ!!」
シャルムは思わずツッコミを入れたが、すぐに口を押さえる。
―今はそんなことよりも、ロイスの真意。
「……でも、もし本当に願いを叶えてくれるなら……」
その瞳に再び火が宿る。
「賭けてみる価値はありますわね」
「そうおっしゃると思いました。馬車の準備はすでに整っております」
「早っ!!!」
「何てったって、有能従者、ですから。」
シャルムは思わず吹き出した。
「ふふっ……仕方ありませんわね。――参りましょう、クロード!」
馬車が石畳を鳴らし、夜明け前の王都を走り出す。
霧に包まれた裏通りの先、黒猫の看板がひとつ、静かに揺れていた。
――そして、運命の出会いが待つ。




