笑え領主
ハヌラブシの街に、重苦しい夜明けが訪れた。
豪華な宿のふかふかなベッドで目覚めた竜人だったが、
窓から見下ろす街の景色は、昨日までの活気を失っているように見えた。
一階の食堂へ降りると、スープを啜る冒険者たちのひそひそ話が耳に飛び込んできた。
「……聞いたか? 東門のあの門番、今朝がたクビにされたらしいぜ。
なんでも、身なりの貧しい親子を勝手に入国させたのが領主様に
バレたんだと。それだけじゃねえ、領主の不興を買って、
見せしめに広場で鞭打ちにされるって噂だ」
「せっかくいい奴に変わったと思ったのにな。
やっぱり、この街で『優しさ』なんてのは、
長続きしねえ呪いみたいなもんなんだよ」
竜人は持っていたスプーンを「ギシリ」と音を立てて握りしめた。
「シット……! オーマイグッドネス、なんてことだ……!」
自分の魔法によって門番は「他人優先」の精神に書き換えられた。
それは彼を善人にしたが、同時にこの残酷な世界のルールからはみ出させて
しまったのだ。竜人はたまらず宿を飛び出した。
街を歩けば、聞きたくもない悪徳領主の蛮行が次々と耳に入る。
過酷な重税、食料の強制徴収、そして逆らう者への容赦ない弾圧。
この街に澱のように溜まった「自己中心」の元凶は、その頂点に
君臨する領主そのものだったのだ。
竜人が事態を収拾しようとギルドへ向かうと、そこには異様な殺気が渦巻いていた。
「あいつだ! 記憶喪失の竜人の若者!
こいつが来てから街がおかしくなったんだ!」
一人の冒険者が叫んだ。彼は昨日、竜人の魔法によって「善人」に
変えられたSランク冒険者たちの影で、甘い汁を吸えなくなった悪徳冒険者の一人だった。
「テメエ、何をしやがった!
Sランクの旦那衆が急に金を配り歩いたり、
裏の仕事を断ったりし始めたせいで、
俺たちの取り分がなくなったじゃねえか!
これは精神操作の呪いだ。こいつが首謀者だ!」
竜人の出現と、街に広がる「奇妙な善意の流行」。
そのタイミングが一致しすぎていることから、現状を快く思わない連中が
竜人を「混乱を招く邪教徒」として領主に告発したのだ。
「竜人様はそんな人じゃない!」
リーダーのゴリラたちが必死にかばったが、多勢に無勢。
領主直属の騎士団がギルドに踏み込み、竜人を包囲した。
「リュウト、抵抗はやめろ。
領主様が直々にお裁きを下すとおっしゃっている」
重厚な鎧を着た騎士団長が冷酷に告げた。竜人はあえて抵抗せず、
縛り上げられる両手を差し出した。
「……いいよ。その領主って野郎に、
直接『ご挨拶』したかったところだ」
領主の城は、民の悲鳴を吸い取って建てられたかのように、禍々しくも豪華絢爛だった。
玉座に座る領主は、贅沢の限りを尽くした三段腹を揺らし、宝石だらけの指で
竜人を指差した。
「貴様か。私の家畜どもに余計な知恵をつけ、
秩序を乱したのは。恐怖こそが統治の要。
互いに奪い合い、憎み合うからこそ、家畜は私にすがるのだ。
それを『優しさ』で上書きするなど、万死に値する」
領主の冷酷な言葉と共に、両脇の兵士たちが鋭い槍を竜人の喉元に突きつけた。
絶体絶命の瞬間。死を予感したその時、竜人の意識は急激に加速し、深い記憶の底へ
とダイブした。
それは異世界へ転生する直前、日本で祖母の七回忌に出席した時のことだ。
竜人は当時から世界への不満を撒き散らし、不機嫌な顔で焼香を済ませていた。
親戚たちは遺産の話や世間体に汲々とし、誰も亡くなった祖母の思い出など
語っていなかった。そんな空間で、竜人は遺影の中の祖母と目が合った。
その時、どこからか温かい声が響いたのだ。
『竜人、あんたは世界を睨みつけすぎだよ。
それでは大切なものが見えなくなる。
……もっと笑って生きなさい。
笑顔はね、他人のために咲かせる花なんだよ。
あんたが笑えば、世界は優しく書き換わるんだからね』
そして蘇る、また別の記憶。あの時、竜人は雷に打たれ、女神の前に立った。
女神は竜人が叫んだ「What a way!」を、ニヤリと笑って「『わらえ』か、いい響きじゃ」
と言った。
(……ああ、そうか。なるほど繋がった。)
竜人は確信した。あの女神の「聞き間違い」は、ただのドジじゃなかったんだ。
ばあちゃんの強い願いが、女神の耳に届き、この魔法を「わらえ」という形に導いたのだ。
この力は、怒りで世界を裁くためのものじゃない。ばあちゃんが言ったように、
世界を「笑顔で書き換える」ための力なんだ。
竜人は、自分に向けられた槍の先端を指先で軽く弾いた。
「領主様、あんたに最高のプレゼントをやるよ。
ばあちゃん直伝のやつだ」
「何だと……!?
構わん、殺せ! 処刑だ!」
「オーマイグッドネス……。
あんたのその醜い設計図、俺が全部書き換えてやる!」
竜人の全身から、これまでの比ではないほどの輝きが放たれた。
それは黄金の二重螺旋を描き、城の天井を突き破って、街の空全体へと広がっていった。
ハヌラブシの空に、巨大な七色の魔方陣が展開される。
「笑え!!!!」
竜人の魂の絶叫と共に、光の粒子が雨のように街中に降り注いだ。
その光は、領主の脳内にあった「支配欲」と「強欲」の回路を焼き切り、
代わりに「共感」と「利他」の配列を強制的に組み込んでいく。
領主は玉座から崩れ落ち、全身を激しく震わせた。
数秒の静寂。そして領主は、顔を上げ、ボロボロと涙を流し始めた。
「……私は、なんてことをしてしまったんだ。
私は、こんなにも多くの愛すべき民を苦しめていたのか!」
領主は震える手で、自分の宝石だらけの服を脱ぎ捨てた。
「兵士たちよ、今すぐ武器を捨てろ! 牢獄を開けろ!
門番の彼をすぐに連れてこい、私が直接謝罪し、
彼を街の治安維持の最高責任者に任命する!
通行税は即刻廃止だ! 私の私財はすべて、
貧しい者たちのための学校と病院に変えるんだ!」
兵士たちも、告発した冒険者たちも、その場に跪いて涙を流していた。
「……ああ、心が、こんなに温かいなんて……。
誰かのために力を使えることが、こんなに嬉しいなんて!」
魔法の効果は一瞬で街の隅々にまで行き渡った。
悪徳領主が支配していた「恐怖の国」は、瞬く間にして「善意の国」へと生まれ
変わったのだ。
広場では炊き出しが行われ、そこにはかつてクビにされた門番が、領主に肩を
抱かれながら笑顔で立っていた。人々は互いに挨拶を交わし、困っている者がいれば、
自分の食事を半分分けることすら当たり前になった。
街の中心、時計塔の上に立った竜人は、どこまでも広がる青空に向かって、
静かにピースサインを掲げた。
「ばあちゃん、見てるか? 日本じゃ無理だったけど、
この世界なら、あんたの言った通りにできたよ。
……全員、笑ってる」
竜人の隣には、ハチやサーベル、リーダーのゴリラ、ポンの姿もあった。
「竜人様、あなたは本当に救世主です。
この街の歴史は、今日から変わりました」
リーダーが優しく微笑む。竜人は照れ臭そうに鼻を擦り、いつもの口癖を呟いた。
「What a way! ……なんて素敵な世界だよ」
竜人の「わらえ魔法」は、これからも続いていく。
この世界に存在するすべての「糞」な設計図を、優しさに書き換えるその日まで。
帰国子女の転生魔法士、彼の冒険は、まだ始まったばかりなのだから。
竜人の冒険はどこまでも続くのだろう。
一旦ここで完結です。ご精読ありがとうございました。




