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Nigrum Agnus Dei-復讐の神官-  作者: 藤和
エビソード2:戸惑いのモイラ
9/22

c:喜捨と信仰

 神殿近くの公園で行われる炊き出しには、今日もたくさんの貧しい人々が長蛇の列を作る。神官だけでなくボランティアの手も借りて食事の配布と列整理をしているのだけれども、どうしてもトラブルは起こりがちだ。並んでいる人同士での諍いもあるし、列整理をしている神官やボランティアに突っかかってくる人も少なくない。私自身、炊き出しの手伝いをしているときに身の危険を感じたことが何度もある。

 それでも、炊き出しの手伝いをためらう理由にはならなかった。この食事を求めている人が実際にこれだけたくさんいるのだし、ここでの食事を糧に貧しさから抜けられる人もいるからだ。

 実際に貧しさから抜けられたという報告は聞いたことはない。それでもきっと、救われる人がいると信じている。

 ふと、列整理をしている途中でひとりの男性に声をかけられた。

「神官様、お願いがあるのですが」

 ラフではあるけれど清潔な服を着ていて、着けているマスクも小綺麗だ。一見すると炊き出しを必要としているようには見えない。しかし、彼が片手に服装に不釣り合いなほど大きなポリプロピレンバッグを持っているのを見逃さなかった。

 彼の言葉に私はにこりと笑って返す。

「はい、なにか困りごとでもありましたか?」

「えっと、もし可能なら、神殿で一晩宿を借りたいのですが……」

 その言葉に私は確信する。彼は宿無しだ。おそらく、あのポリプロピレンバッグに持ち物すべてを詰めて、夜を過ごすのにあちこちのマンガ喫茶などを渡り歩いていると推測できた。

 近頃は若年層の間で彼のような宿無しが増えていると聞く。一見すると普通の生活を送っている人と変わりがないように身だしなみを整えられるのは、まだ日雇いの仕事をこなせるだけの体力があるからだろう。

 住所さえあれば就職活動もできるであろう彼らをほんとうに救うには、まさに住居を与えることなのだけれども、神殿にはその権限も資産もないと聞いている。

 それでも、一晩宿を貸すだけならできるのではないだろうか。そう思って、私は神殿の宿坊に問い合わせようと思い立つ。

「わかりました。これからすこし神殿に問い合わせてみますね」

「はい、ありがとうございます!」

 うれしそうな男性の声を受けて、私は列から少し離れる。そしてすぐに持っていたスマートフォンで神殿の宿坊に問い合わせの電話をかけた。

「もしもし、宿坊ですか?」

「はい。なにかありましたか?」

「えっと、神殿で一晩宿を借りたいという方がいらっしゃいまして、宿坊の方で受け入れてくれるかどうか知りたいんです」

 私の問い合わせに、スマートフォンの向こうから紙をめくる音が聞こえる。それからこう返ってきた。

「どのような立場の方で、何人ほどでしょうか?」

「えっと、おそらく宿無しの方で、ひとりです」

 宿坊からの質問に私が答えると、あからさまなため息が聞こえた。

「宿無しの方となると、無料での宿泊ですよね? 申し訳ありませんが受け入れかねます」

「えっ? どうしてですか?」

 たったひとりも受け入れられない理由がわからない。私がおどろいていると、宿坊からの説明はこうだった。

「無料、もしくは格安の宿泊をひとり許してしまうと、そのあと芋づる式に同じ境遇の方が押し寄せてくるのが目に見えています。

 その方々すべてを受け入れる余裕はこの宿坊にありません。

 それに」

「それに?」

「一晩だけと言って居着く可能性もあるのですよ? それを考えると許可は出せません」

 ぐうの音も出なかった。もしあの彼がほんとうに一晩で去ったとしても、後に続いた人たちが居着かない可能性は無いとは言えない。しかも、居着くまで行かずとも、そう言う人々が頻繁に利用するようになるだろうということも想像できてしまった。

 私は宿坊にお礼を言って通話を切る。それから、重い足取りであの男性の元へ向かう。

 つらいけれど、宿は貸せないことを伝えなくては。


 なんとか怪我人もなく炊き出しを終え大荷物を持って神殿に戻ると、なにやら神殿のロビーが賑やかだった。

 ロビーは待合室であり寄り合い所のような場所でもあるので、基本的に参拝者の私語は禁止されていない。だから今ここにいる参拝者たちは、それとなく神様にまつわるモチーフが配されているこのロビーで、心置きなく言葉を交わせるのだろう。

 しかし、私はその参拝者たちのようすが気になった。みな一様に仕立てのいい服を着ていて、女性はきらびやかなアクセサリーを着けている。どんな宝石を使っているのかはわからないけれど、プラチナのアクセサリーだけは、神官のマスクにあしらわれるような純度の高い金属を使っているということが見て取れた。

 先ほどまで接していた貧しい人々とのあまりの格差に呆然とする。こんなにも人々の世界は分断されているのかと思ってしまったのだ。

 ふと、参拝者たちにグラスワインを配っている神官が目に付いたので、手が空いた隙に呼び止めて訊ねる。

「あの、この方々は参拝者ですよね?

 団体さんですか?」

 私の問いに神官はこう返す。

「そうです。ほかの星から巡礼に来た方々ですよ」

「そうなんですね」

 どの星から来たのかはわからないけれど、星間を移動してまで神殿の中の神殿であるここへ巡礼に来るのは余程信心深い人たちなのだろう。

 そう思っていたら、目の前の神官にこう言われた。

「敬虔な巡礼者の方々に免罪符を発行します。あなたも炊き出しの荷物を片付けたら、免罪符の製作を手伝ってください」

「あっ、はい、わかりました」

 炊き出しに参加していた他の神官はすでに大荷物を片付けにどこかへ行っていて思わず焦る。私は手に抱えた食器を鳴らしながら洗い場へ向かった。


 炊き出しの片付けを終え、書写室に向かう。そこではすでに数名の神官が、紙に向かってペンを走らせていた。

「免罪符の作り方は知っていますか?」

 どこからか飛んできた質問に、私は短く返事を返す。私も、この神殿に来て間もない頃に免罪符の作り方を習ったのだ。

 ただ、実際に信徒に渡す免罪符を作るのははじめてだった。そもそも今までに免罪符を信徒に渡すという場面に立ち会ったことがなかったのだ。

 ちらちらと他の神官の手元を見ながら免罪符を作っていく。ペンを握る手が震えそうになる。それでもなんとか、免罪符を書き上げていった。

 そして、私を含めた数人の神官で巡礼者の人数分の免罪符を仕上げ、彼らの元へと持って行く。ロビーで巡礼者の対応をしていた神官……他の神官から聞いた話によるとマモンさんという名前らしい……が免罪符を受け取ると、それを一枚ずつ配っていった。

 巡礼者はうれしそうな声を上げて免罪符を大切そうにしまう。その光景にどことなく違和感を覚えていると、免罪符を配り終わったマモンさんにこう言われた。

「この方々は数日神殿に滞在しますから、失礼の無いようにしてくださいね」

「えっ? はい」

 咄嗟に巡礼者たちの人数を見る両手で数え切れないほどいる。

「彼らの宿はどちらですか?」

 私の問いに、神官がため息をついて返す。

「宿坊に決まっているでしょう。そのための宿坊なのですから」

 その言葉に、私は思わずくってかかった。

「もしかして、この方たちが泊まるから宿坊を借りられなかったのですか?

 これだけの人数を泊められるだけ部屋があるなら、空いているときに宿無しの方に提供できるでしょう?」

 先ほどの宿坊からの忠告も忘れてまくし立てると、マモンさんはため息をつく。

「なにを言っているのですか。こちらは神殿にたくさんの喜捨をしている徳の高い方々ですよ。

 宿を持たず、十分の一税も払えないような不信心ものとは違うんです」

 すげないその言葉に怒りがわいてくる。宿を持たない人だって、炊き出しに来るような貧しい人だって、みんな神様を信仰しているのに。しっかりと信心を持っているのに、どうしてこんなことが言えるのだろう。

「十分の一税を払えないことが不信心の証なのですか?

 貧しい人々は十分の一税を免除されると、経典にも教会規則にもあるはずですが」

 怒りをかみ殺しながら私がそう返すと、目の前のマモンさんは口元に笑みを浮かべる。

「その通りです。けれどもその人たちはその信仰を示していないでしょう。

 ここにいる方々は目に見える形で信仰を示しているのです。同列には扱えません」

 たしかに、貧しい人々は自身の祈り以外に信仰を確かめるしべはないし、裕福な人々の喜捨は信仰の証になるだろう。そして喜捨が神殿を通して貧しい人々への施しになるのもわかる。

 それでも、貧富の差が信仰の差だと言われることには納得できなかった。


 わだかまりを抱えたまま仕事のためにしばらく禁書図書館に籠もっていると、あっという間に夕方の礼拝の時間になった。聖堂で祈りをあげ、食堂で夕飯を食べてから宿舎へと戻る。

 そんないつも通りのルーティンをこなそうと思っていたら、宿舎に戻ろうとしたところで厨房担当の神官に声をかけられた。

「すいません、モイラも巡礼者の方々用に食事の用意を手伝ってくれませんか?」

 その言葉に私はすこしむっとしながら返す。

「どうして私でないといけないのですか?」

 私は厨房の出禁を食らっているので手伝うとしても配膳だけだろうけれども、あの裕福な巡礼者をもてなす気にはとてもなれない。

 それなのに、厨房担当の神官はこう続ける。

「巡礼者の方が、ぜひモイラと話をしたいというのです。

 お願いできませんか?」

 情けない声で頭まで下げられて頼まれたらさすがに断れない。私は手伝いを了承して、厨房担当の神官に着いていった。


 参拝者用の食堂では、席に着いた巡礼者たちがたのしそうに語らっている。その間を歩き回って食事を配膳しているのだけれども、その内容に愕然とした。

 ひとりあたり何皿もの料理が用意され、線の細い女性だと食べきれないのではないかと思ってしまうほどだった。

 使われている食材も、この星で取れる高級食材ばかり。特に、パンに添えられたアザミの茎のペーストなどは、アザミの茎からわずかしか取れない芯を使った希少なものだ。このアザミの茎のペーストは私たち神官ですら年に一度、決まった祭日の時にしか食べられないものなのに。

 いくらたくさん喜捨をしているからと言っても、この人たちは巡礼者だ。巡礼者にこの食事は贅沢すぎる。

 炊き出しの時の食事を思い出してやるせなさを感じる。それでも私は、しきりに話しかけてくるこの裕福な巡礼者は誰も悪くないのだと自分に言い聞かせて、丁寧に対応をした。

 ふと、巡礼者の対応をしているマモンさんとのすれ違いざまにこう言われた。

「もっと愛想よくしてください。

 この方たちは上客なのですから」

 そう言ったマモンさんはすぐほかのテーブルにいってしまったけれど、私はマモンさんのあの言葉に納得できない。

 上客というのは、神殿にたくさん喜捨をするからだろうか。そもそも、どの程度喜捨をしていようがいまいが巡礼者は巡礼者であって客ではない。迎え入れた者という意味でなら客人ではあるだろうけれども、神殿に入れているお金の額で特別扱いをしていいものではない。

 そう言いたいのをぐっと飲み込んで、私に声をかけてきた巡礼者と話をする。

「あなたが異端から離れるように呼びかけていた神官様よね?」

「はい、そうです」

「あの呼びかけは私も観たけれど、心打たれるお話だったわ。

 こんなに慈悲深い神官様がいらっしゃるのだもの。やっぱり正しい信仰を持つべきだって思ったの」

「ありがとうございます。慣れない呼びかけでしたので、そのようなお言葉をいただけてありがたいです」

 繊細で華やかな意匠が施されたマスクを着け、プラチナのジュエリーで身を飾った巡礼者と当たり障りのない話をする。この裕福な人々は、実際に話してみると信心あってここに来たというのがわかる。けれども、神殿でこういった歓待を受けることになんの疑問を持っていないところを見ると、やはり炊き出しの時にやってきていた人々との落差をまじまじと感じて、やるせなくなる。

 ふと、話していた巡礼者がクラッチバッグからなにかを取りだして私に握らせる。

「お話しできてよかった。よかったら受け取ってくださいな」

「ありがとうございます」

 渡されたのはちいさなポチ袋。なにが入っているのだろうと思って、巡礼者たちの席から少し離れて中身を確認する。すると、中に入っていたのは高額紙幣だった。

 思わず巡礼者の一団を見る。なんのつもりでこんなものを渡してきたのだろう。私にどうしろというのだろう。怒りと戸惑いで混乱していると、マモンさんが私の肩を叩いて小声で言う。

「せっかくのご厚意です。受け取っておきなさい」

「でも……」

「彼らはそれ以外に、信仰の示し方を知らないのです」

 なにも返せなかった。

 お金を積むことでしか信仰を示せないのは、それはそれで哀れなことではないだろうか。ほんとうは、お金以外にも信仰を示す術はいくらでもあるのに。それは例えば、街中で清掃活動をするだとか、困っている人を助けるだとか、そんな些細なことでもいいのに。彼らはそれすらも思いつかないのだろうか。それとも、それらをやった上でそれでは信仰を示せていないと思いこうやってお金を積むのか、どちらなのだろう。

 いずれにせよ、哀れだと思った。

 それと同時に、その哀れな人々に哀れさを気づかせず、より一層の喜捨を促すような神殿のやり方に疑問を感じた。

 手元のポチ袋を見てつぶやく。

「でも、私はこれをどうしたらいいのかわかりません」

 すると、マモンさんが優しく言う。

「わからないのであれば、神殿に喜捨すればいいのです」

 まったくもってその通りだ。使い道のわからないお金は、神殿に委ねてしまうのが一番良い。わかっているのに訊ねたくなった。

「神殿に喜捨したとして、このお金はなにに使われるのですか?」

 信仰を示すために渡されたお金なのならば、せめて神様の教えに沿う使い方をして欲しい。そう思ったのにマモンさんはこう答えた。

「それは上級神官が決めることです」

 結局、使い道はわからないということだ。

 それでも私はこのお金を喜捨する以外にいい方法が浮かばない。せめて奢侈に使われることだけはないようにと祈るほかはない。


 翌日、巡礼者たちは高額のお金を支払って神殿をあとにした。支払った金額の中には宿泊費だけでなく、免罪符の代金も含まれているようだ。

 あのような歓待があったとはいえ、神殿の宿坊での宿泊費にしては高額すぎる。あの金額のうち何割が免罪符の代金なのだろうか。

 明細を見ればわかるのだろうけれども、これはプライバシーにかかることだから管理のために見る必要のある神官以外の人にはたとえ神官といえども見せられないということで、明細を見ることはしていない。

 私は巡礼者の対応をしていたマモンさんに訊ねる。

「あの、免罪符というのは誰でももらえるのですか?」

 その問いにその神官は当然といったふうに返す。

「もちろんです。信仰を目に見える形で示せれば誰でも受け取ることができます」

 目に見える形で。その言葉が引っかかった私はさらに訊ねる。

「目に見える形で信仰を示すというのは、どういうことですか?」

 奉仕活動や神殿での祈り、毎日の積み重ねの善行など、そういったことも信仰のあり方だ。私はそう思っているのに、目の前の神官は呆れたようにこう言った。

「先ほどの方々を見たならわかるでしょう」

 つまりは、お金を積む以外には免罪符を手に入れる方法はないということだ。

 目の前のマモンさんにつかみかかりそうになるのをぐっとこらえる。

 そんなのおかしい。お金のあるなしで罪が赦されるかどうか、赦される権利を得られるかどうか、そんなことが決まってしまうなんて間違っている。

 これは神様が決めたことなのだろうか。それとも、神殿が勝手に決めたことなのだろうか。

 どちらにせよ、そのことを知った瞬間、私の中でなにかが揺らいだ気がした。

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