b:信徒の暴走
異端から離れた人々が安全な新居を見つけはじめた頃、彼らはなお熱心に神殿に通い、祈りを捧げていた。その姿に心打たれたのか、元々経験に神様を崇めていた人々も、より一層祈りを捧げるようになった。今では元異端の人々も、もとより神様の元にいる人々もすっかり打ち解けている。
あやまった教えに搾取されそこから逃げ延びてきた人々に、元からこの神殿に通っている信徒も同情の思いを禁じ得ないようだった。それも仕方ないだろう。異端がどのような教えであったかを聞かされたら、解放されてよかったとしか言えないのだから。
今日も神殿の聖堂で礼拝が行われる。増やしたはずの長椅子にも信徒が座りきれず、さらにパイプ椅子を用意して、それでもなお足りず立ったまま礼拝に参加している信徒までいる。
そんな信徒たちに、祭壇の前に立った神官長が語りかける。
「みなさまもご存じでしょうが、神様ではなく神様を信奉する一個人を祀るように教えている異端があります。そこから逃れてきた人も、ここには数多くいるでしょう。
ここにいる人々はさいわいです。あやまった信仰を持たず、もしくは手放し、神様に祈りを捧げているのですから。
決して一個人を祀ってはなりません。我々が祀るべきは神様ただひと柱だけです」
その話に、信徒たちは静かに聞き入っている。慈悲を感じさせながらも戒めの言葉も混じる神官長の言葉は私の心にも染みてくるようだ。
けれどもなぜだろう。神官長の言葉を聞けば聞くほど、私の中で言いようのないわだかまりができていく。その正体がなんなのか、私にはわからないのだけれども……
礼拝が終わったあと、一部の信徒が聖堂の中でおしゃべりをしていた。聖堂は祈りの場なのでなるべく私語は慎むようにと案内しているのだけれども、礼拝で高ぶった気持ちをおさめるために言葉を交わしてしまうのは仕方ないという神官長の方針で、礼拝のあとに限り多少のおしゃべりは容認されている。
パイプ椅子を片付けていると、おしゃべりをしている信徒の言葉が耳に入った。
「ほんとうに、あのあやまった信仰を捨ててよかった……このように神様の恵みに預かれるなんて」
「ええ、ええ、そうね。きっとあなたも気づいてから苦しかったのよね。
ここで神様の元にいれば安心だからね」
どうやら異端から逃げ出してきた人と長らくこの神殿に通っている信徒が話しているようだった。
感極まった元異端の言葉に、以前からの信徒は頷きながら丁寧に話を聞いている。
ふと、話をしていた元異端の信徒が私の方を向いた。
「あ、あの神官様はもしかして……!」
直感的にまずい、と思う。私は曖昧に笑みを返して、たたんだパイプ椅子を抱えてその場を去る。
呼びかけの動画を作って異端を離れた人々がこの神殿に来るようになってからと言うもの、あの動画の件でよくつかまるようになったのだ。あの動画があったから救われたとか、感動的な話だったとか、そのように褒めてもらえるのはうれしいのだけれども、なぜか素直によろこぶことができないでいた。その理由はよくわからない。神官長の話を聞いたときに感じたわだかまりに近いものがあるのだろうか。それもやはり私にはわからなかった。
礼拝の翌日、私がいつものように禁書の管理をしていると、珍しく禁書図書館に来訪者があった。誰かと思ったら、前任の管理人ハラドさんだ。
何冊もの本を抱えた彼に私は声をかける。
「ハラドさん、なにかご用ですか?」
私の問いにハラドさんは持っていた本を私に差し出す。
「この図書館におさめるべき禁書です。書架に追加しておいてください」
「禁書ですか?」
差し出された本を受け取りながら思わず戸惑う。私がこの禁書図書館の管理を任されてから、追加の禁書が入ってきたのは今回がはじめてだからだ。
禁書といって渡された本は、表紙を見る限り神様について書かれているようだ。これがどうして禁書になるのだろう。
不思議そうにしている私のようすを見て取ったのか、ハラドさんは固い声でこう言った。
「異端の教義の書かれた本や経典です」
その言葉に、私は思わず持っていた本を落としそうになる。異端の教えに触れていると言うことに恐怖を感じたのだ。
なんとか本を落とさないように震える腕で本を抱える。
「あの、異端の本はここにあるだけなのですか? ほかにもあったりはしませんか?」
私の問いにハラドさんは静かに答える。
「これから無くなります」
「え?」
これから無くなるというのがどういうことかわからない。戸惑う私にハラドさんは淡々と言葉を続ける。
「異端の本を市井から探し出し、神殿に集め、すべて焼きます」
異端の本、禁書をすべて焼く。それは当然のことだと思うけれども、いざそれらを集めて焼くとなると急にこわくなる。私が禁書図書館の管理を任されたとき、禁書など焼いてしまえばいいと思ったのにもかかわらずだ。
今生きている人々から本を奪って焼くことがこわいのか、それとも、焼くといった瞬間、口元に不気味な笑みを浮かべたハラドさんがこわいのか。どちらなのだろう。
禁書図書館に新しい禁書が追加されて間もなく、神殿から呼びかけがはじまった。異端の本をすべて神殿に提出するようにという呼びかけだ。
その呼びかけは動画サイトだけでなくテレビCMでも流され、人々の知るところとなった。
神殿からの呼びかけということで、真っ先にそれに応えたのは一般書店だ。異端が出版した本が一般書店にも並んでいたということにもおどろいたけれども、おびただしい量の異端の本が人々の手に渡る前に回収できたということには安心した。
けれども、異端の本を所持しているであろう一般家庭からはなかなか提出されていないとのことだった。提出しない家庭は、いまだ異端から離れていないところか、面白半分に所持しているのだろう。それ以外にも、独立型書店という、チェーン店ではなく個人経営の書店からの提出も鈍いとのことだった。
自発的に提出してくれないとなるとどうしたらいいのだろう。
元異端の信徒の証言を元に考察をして悩んでいると、私と一緒に提出された異端の本の確認をしていたハラドさんがこう言った。
「禁書の提出が滞ってますね」
「あの、はい」
叱られるのだろうかと身構えると、ハラドさんはポケットから一枚の紙を出して私に見せる。
「ここに、禁書を所持している書店や個人のリストがあります。
ここに直接電話やメールで呼びかけてみましょう」
リストを見ると、独立型書店の店名と個人名、それに対応した電話番号とメールアドレスが書かれている。
「このリストは、どこで手に入れたんですか?」
なぜこんなものがあるのか疑問に思い訊ねると、ハラドさんはリストをポケットにしまって言う。
「元異端の方々から聞きました。
みなさん協力的に教えてくれましたよ」
「そうなんですね」
そのやりとりのあと、しばらくお互いに無言で異端の本を段ボールに詰めていく。その作業がひとしきり終わったところで、ハラドさんがにこりと笑みを浮かべる。
「それでは、次は先ほどのリストにある書店やお宅に呼びかけをしましょうか。
私が電話をかけますので、モイラはメールをよろしくお願いします」
「はい。わかりました」
先ほどのリストは、独立型書店を覗けばすべて個人情報だ。いくら禁書を集めるためとはいえ、そのような個人情報を勝手に収拾し、使用していいのかどうか疑問に思う。
それでも、これは人々が異端に陥り救いを手放さないようにするためだと自分に言い聞かせた。
それから数日をかけて、私とハラドさんのふたりで異端の本の呼びかけをしたところ、ちらほらと提出があった。どうやらこれは、興味本位で所持していた個人からのようだ。
けれどもまだ提出に応じないところがある。独立型書店と異端に染まった個人だ。
わずかばかりに提出された異端の本を前に、ハラドさんが爪を噛む。
「……芳しくないですね」
「……そうですね」
こんなにもかたくなに異端の本を所持しようとする人がいることに、私も落胆を隠せない。
呆然と異端の本を見ていると、ハラドさんが急に立ち上がりこう言った。
「すこし神官長と話をしてきます」
そう言って、禁書図書館の事務室から出て行った。
翌日は礼拝だった。いつものように礼拝の準備をして、信徒たちを迎え入れる。そして祈りをあげ、琥珀糖を口にし、礼拝を終える。
いつもなら礼拝のあとに神官長がすこしだけ挨拶をして解散なのだけれども、この日はいつもと違った。ハラドさんが神官長の横に出て、信徒たちにこう呼びかけたのだ。
「みなさんご存じかと思いますが、今神殿では異端の本を回収しています。
あれらの本はあやまった教えを広めます。その危険性をご存じの方も多いでしょう。
ですが、回収の呼びかけに応じない者も多く、異端の種は市井にばらまかれたままです。
どうかみなさん、異端の本を回収することに協力してください」
その言葉に信徒たちがざわめく。私も戸惑った。いきなりこのようなことをして、ハラドさんがなにを考えているのかがわからないのだ。
ハラドさんはさらに言葉を続ける。
「異端の本をこの世から焼き尽くすのは神様の意思です。
もちろん、異端への対策を練るためにごく少数は残すべきですが、それはあくまでも神殿に所蔵するべきもの。
市井にある異端の本はすべて焼き尽くすべきなのです。
どうかみなさん、神様の意思に沿ってください」
信徒たちのざわめきが大きくなる。そしてついに、ヒステリックな声が信徒の中から上がった。
「神様のためにも、異端の本を奪ってきます!」
その声に応えるように、いくつもの声が上がる。どのような手段を使ってでも、異端の本を奪い尽くしてくると言っている。
その声に私はおそろしくなる。けれどもこの場から逃げ出すことなどできない。
そうしているうちにハラドさんから手招きをされたので、震える足で彼の元へと向かう。肩に手を置かれ、熱狂する信徒の方を向かされる。ハラドさんがそっと耳元でささやいた。
「あなたからも信徒のみなさんにひとことください。あなたが禁書の管理人なのだから」
こわくて逃げ出したいけれど、ここでなんとか信徒を落ち着かせないと、手荒な手段に出ないようにさせないとと自分を奮い立たせる。
「異端の本の回収にご協力いただけるのはうれしいのですが、どうか手荒なことだけはしないようにお願いします。
信徒のみなさんが傷つくこと、それに人を傷つけることを神様は望んでいないでしょうから」
大声でそう言ったけれども、この声は熱狂する信徒たちに届いただろうか。
信徒たちはまだ熱狂している。
異端の本の回収を信徒に呼びかけた礼拝の数日後、久しぶりに夜の時間が取れたので家族とビデオ通話をした。
「姉さん久しぶり。元気だった?」
通話の直前まで寝ていたのか、寝癖をつけたデクモが人懐っこく話しかけてくる。そのようすが微笑ましくてつい笑ってしまう。
「私は元気だよ。そっちはどう?」
私の問いかけに、お父さんがデクモの頭をわしわしと撫でながら返す。
「こっちも元気だったけど、最近なかなかお姉ちゃんと通話できないってデクモが寂しがってなぁ」
「ちょっとお父さん、そんなこと言わないでよ!」
寂しがっていたのをバラされたのが恥ずかしいのかデクモがふくれっ面をする。相変わらず甘えん坊だ。
私が笑っていると、お母さんが心配そうに口を開く。
「でも、やっぱり心配ね。そっちはなにかこわいことがあったりしない?」
こわいこと、と言われてレイヤさんやハラドさんのことが一瞬頭をよぎったけれども、それを頭の隅に追いやる。
「こわいことなんて無いよ。お母さんのところはなにかあったの?」
お母さんがあまりにも心配そうなのでそう訊ねると、お母さんはため息をついてこう答える。
「最近急に強盗に入られる家やお店が増えてねぇ。
それで、モイラがいる神殿の方もそういうのが増えてないかなって心配になったの」
一瞬で背筋が泡立つのを感じた。礼拝の時の熱狂する信徒のことを思い出したのだ。
「とりあえず、神殿には被害は出てないけど、それだとそっちの方が心配かな。戸締まりとかちゃんとしてね」
「もちろん。気をつけてはいるわよ」
私の言葉にお母さんはおっとりと笑う。お母さんに続いて、デクモが身を乗り出して私に言う。
「姉さん、もしそっちでこわいことがあったらすぐに僕に言ってね。すぐそっちに行くから」
「うふふ、ありがとう。でも大丈夫だから」
そうは返すものの、神殿で厳しいと思うこと以外に恐怖を覚えることが最近増えた。広報担当の神官や、ハラドさん、それに熱狂していた信徒たち。それを思い返すと、今すぐにでもデクモに側に来て欲しかった。
でも、そんなことは言えない。実家とこの神殿が離れているというのももちろんあるけれど、それ以上に私が神殿に不安を感じているということを知られたくないのだ。
「神殿は安全だから大丈夫。安心して」
なんとかそう言うけれど、きっと一番安心できていないのは私だ。私は神官なのに、どうして神殿のことをこわく感じるようになってしまったのだろう。
家族との通話が終わって、私はネットニュースを漁りはじめた。実家の周りで起こっているという強盗事件についてなにかわからないかと思ったのだ。
そうしてネットニュースを調べていると、実家周辺だけでなく各地で強盗事件……いや、正確には半ば暴動と言ってもいいだろう……そういったものが増えているというのがわかった。
暴動の目的は、異端の本を狩ること。場合によっては異端の人を拘束したりもしているようだった。
拘束された人や崩れた建物の写真には、悲観的な説明はついていない。状況の説明と、神様の意に沿った偉大な功績だと称える文章が添えられている。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。いくら相手が異端とはいえ、暴力を働いていいはずがない。異端の人々は救うべき人々なのだから。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
もしかして、私のせい?
各地で暴動が起き、異端の本は奪われた。その奪われた本は今、私がいるバチカ神殿の広場に集められている。
「みなさまご協力ありがとうございます。
異端の教えはこのように集められました。
これからこれらは灰燼となります。それもまた神様のためのこと。
神様のための仕事を果たしたあなた方にさいわいあれ」
ハラドさんが信徒にそう声をかける。それから、隣に立っている私にも信徒たちに言葉をかけるよう促してきたけれども、どんな言葉をかければいいのかがわからない。だからなにも言わずにただ一礼をした。
信徒たちが囲む中、ハラドさんが薪を大きく組みその中に松ぼっくりを入れ込んでいく。そこに、手のひらに収まるほどのガストーチで火を付ける。髪をなびかせるほどの風が吹き、松ぼっくりがはじける音と共に炎が巻き上がった。
ハラドさんと私とで異端の本を次々に火にくべていく。火が移った本は赤く燃え、黒ずみ、灰になっていく。そのようすを見て信徒たちは声を上げて熱狂した。
手のひらと背中に汗をかく。焚き火の熱のせいか、それ以外の理由があるのかはわからない。ただその汗が不快だった。
私は今、本を焼いている。異端の本とはいえ、本を焼いている。本を焼く人はいずれ人を焼くようになると言ったのは誰だっただろうか。
本を焼くことに抵抗があるのは私だけではないと思いたくて、ちらりとハラドさんの様子をうかがう。そしてすぐに視線をそらした。
声を上げてはいなかったけれど、彼はたしかに笑っていた。
彼は禁書図書館の管理人を辞めるとき、疲れたと言っていたはずだ。その理由が私にはわかっていなかったのだけれども、禁書を焼かずに保管することに疲れていたのだろうか。
ほんとうはあの図書館にある禁書を、このように焼きたいのではないか。
真実はわからない。