e:禁書図書館
神様を祀る神殿で、私は人一倍信仰を捧げていると神官長に評価され、神殿庁が神を冒涜する危険があるとしている禁書を封印した図書館の管理人に任命された。
前任の管理人、ハラドさんに図書館を案内してもらいながら疑問に思ったことを訊ねる。
「そういえば、なぜ禁書をこのように保管しているのですか?
危険な書物なら、焼いてしまえばいいのに」
その問いに、前任の管理人は固い声で返す。
「私も本来ならそうしたいです。
ですが、いざ神様と神殿に逆らう危険分子がでたときに、こういった資料がないと、その者たちの行動を分析することができないのです」
その言葉に私は納得する。危険分子が現れたとき、それを押さえ込むための情報が無いとやりようがないのはわかるのだ。
「どれだけ危険な思想を秘めていても、相手を知らなければ対策も対抗もできない。
その危機が訪れたとき、この図書館が信仰と神殿、そして人々を守る鍵となるのです」
「……その、重要な鍵の管理人が、私に務まるのでしょうか」
冷たく張り詰めた禁書の図書館。それと同じ雰囲気を纏ったハラドさんにそう訊ねると、薄く笑ってこう返してきた。
「あなたでないといけないのです。信仰篤きモイラ。
あなたならばきっと、禁書の力に耐えられるでしょう」
「その、今までの管理人は、みな禁書の力に耐えられなかったのですか?」
「どうなのでしょう? 私以外の方のことは私には詳しくわかりません。
ですが、みな疲れていました」
そこで言葉を切って、淡々と図書館の中を歩く。固い足音が図書館の中に響く。
足音に紛れて小さく声が聞こえた。
「私も、疲れた」
まぶしいはずの太陽の光も、この時期であればむせかえるほど熱い空気も届かない禁書の図書館。自分の足音以外響かないそこで、明かりを灯し、忌むべき禁書が傷まないように管理をする日々。そんななか、私はある一冊の日記に目を留めた。
その日記はずいぶんと昔に呪術師が書いたもので、一見、神様に逆らうようなことは書いていないし、呪術師自身も神様に信仰を捧げているようだった。
呪術師が神様に信仰を捧げていること自体はなんら珍しいことではない。むしろ、呪術師は神様を祀り、人々の暮らしのよしなしごとを上手く運ぶために、神官以外の他の職業の人々よりも信仰が篤いくらいだったりすることがほとんどだ。
そんな呪術師の日記が禁書の図書館にあること自体が気になって手に取った。きっとなにかの間違いだろうと思って。
けれども、その中に異質な記述があった。
呪術師の妻であった錬金術師が、神様を憎んでいたのだという。
どういうことだろうと思って日記を読み進める。
たしかに、錬金術師は呪術師に比べると神様への信仰が薄いケースは多い。しかし、それでも基本的には神様の信仰の元にいるはずなのに、その呪術師の妻である錬金術師は、生涯神様を憎み続けていたのだという。
この事実は、私にひどくショックを与えた。
この錬金術師のことを否定して欲しい。ひどく動揺して、そう思いながら日記を読んだ。
けれども、呪術師はそのことを否定していなかった。幼い頃に弟を神様に連れ去られた錬金術師が、神様を憎んでしまうのはしかたないと書いていた。
その錬金術師は非常に家族仲がよく、連れ去られた弟の他に、もうひとり弟がいたのだという。その弟のことをひどく大切にしていたから、きっと大切になったであろう幼い弟を奪った神様を許すことができないのだろうと。
それを読んで、私が幼い頃に神様に連れて行かれた下の弟のことを思い出す。
お母さんもお父さんも、弟が生まれるのを楽しみにしていて、私も楽しみにしていた。そして弟が生まれて、家族五人でしあわせになるのだと思った。
そう、これからは弟ふたりを守る姉として、立派にやっていこうと思った。
もう少し大きくなったら一緒にゲームをして遊んだり、上の弟が大好きなぬいぐるみ遊びを一緒にしたり、私と上の弟のためにお父さんとお母さんが買ってくれた積み木やブロックで、いろいろなものを作ったりしたかった。あと、お母さんが作るおいしいカレーを下の弟にも早く食べて欲しかった。
とにかく、新しくやってきた弟と共に過ごすしあわせな生活を、その時考えられる範囲でたくさん考えた。
それくらい、新しい弟が生まれたのがうれしかった。
今でもたまに考える。弟がまだいたら、きっと今頃恋人なんてできていて、私に自慢していたんだろうって。
結局、弟は神様に連れて行かれてしまったので、神様から授かった[ギフト]という、人生を豊かに過ごすためのなにかを抱えたまま、残された家族四人でしあわせな日々を送ったのだけれども、ずっと心に引っかかっていた気持ちが顔を出した。
私もほんとうは、弟と一緒にいたかった。
そのことを自覚して、神様に弟を返してほしいと思った。
日記に書かれた錬金術師は、弟を返さない神様を信仰することはなかったとある。それもそうだろう。神様のことを憎み続けていたのだから。
この錬金術師と、神様を信仰する私はどこで違ったのだろう。
そのことが気になった私は、それ以来、その錬金術師についてのことを図書館の中で調べはじめた。
あの錬金術師は、禁書以外の書物の中にも存在を認められた。錬金術で作るホムンクルスの新技術を開発したということで、特許庁の方で記録が残っていたのだ。
錬金術で作られるホムンクルスには、大まかに分けて二種類の製法がある。古来より受け継がれている、馬の種をフラスコの中で育てて作る製法、一般的に生体ホムンクルスと呼ばれるものと、ぬいぐるみのように布と綿で体をつくり、そこに、特殊な製法で血を結晶化させたものを仕込んで作る、清浄ホムンクルスと呼ばれるものだ。
どちらのホムンクルスも基本的には性能は同じで、制作者である錬金術師と知識を共有し、ホムンクルスの持ち主の生活をサポートする。いってしまえば、錬金術師の知識をベースにした動くガジェットのようなものだ。
開発されてからもうずいぶんと経つのにホムンクルスの価格が下がらないのは、作るための手間が大きいからだというのは聞いたことがある。
生体ホムンクルスに使う馬の種は冷凍ではいけないので、馬の種を取るのに時期を見なくてはいけないし、清浄ホムンクルスは制作者の血を使うために身体的な負担がかかる。なので、どちらも価格を下げるには限度があるのだ。
だから、スマートフォンほど人々の間に行き渡っているわけではないけれども、手帳の代わりにメモやタスク管理のためだったり、おしゃべり相手として所有している人も少なくはないといったものだ。
おそらく、パソコンを持っている人と割合としては同じくらいだろう。かつて私の家にもホムンクルスがいたくらいだ。私の家にいたホムンクルスは、字を書くのが難しいという特性を持ったデクモを補佐するために迎えられたのだけれども、デクモが努力した結果、少ないながらも文字を書けるようになった頃に菜の花畑に帰った。
ともかく、その二種類のホムンクルスのうち、清浄ホムンクルスの製法を編み出したのが、あの錬金術師だということだった。
そのホムンクルスの宣伝広告や利用者の記録、そういったものが残っている。
それ以外にも、著名人ではなく、一般人の手帳を収集保管している私営の手帳博物館には、錬金術師本人が使用していた手帳も何冊か保管されていた。
けれども、錬金術師の真相に迫ることはできないでいた。
錬金術師は、神様を憎む気持ちを巧みに記録に残さないようにしていたようだった。夫である呪術師の日記を除いて。