d:篤き信仰
菜の花が散り、ポピーの花が咲き乱れるようになった頃、この日もバチカ神殿で礼拝が行われた。聖堂の中には信徒がひしめいていて、長椅子が足りなくなりパイプ椅子を出してこなくてはいけないほどだ。
「神慮めでたく」
神官長が挨拶をして、祈りの言葉を読み上げ、神官も信徒もそれぞれに神様に祈る。それから、神様の恵みの象徴である琥珀糖を配る。このところは人手が足りなくて私も配布を手伝っている。
琥珀糖の入った籠を持って長椅子の間を歩いて行く。すると、その椅子に座っている信徒達が私に注目した。
「ああ、神官様、ありがたい」
「どうか恵みをお与えください」
熱に浮かされ、縋るようにそう言う信徒ひとりひとりに、声をかけながら琥珀糖を渡していく。
「どうぞ。神様からの恵みを受けてください」
琥珀糖を受け取った信徒達は、それを口に含んで指を組む。みな熱心に祈りと感謝を捧げているようだった。
あのとき神官長が言ったように、私が表に出れば出るほど、私をきっかけに信仰を深める人が増えていった。
それは、私が正しい信仰を示しているからだと先輩神官に言われた。
正しい信仰がどういうものかは、いまだにわからない。ただ私は、自分がやるべきことをやっているだけなのだ。
私が為すことで人々の信仰が深まるなら、私はただそれを続けるだけだ。そのために、私はより厳しく自分のことを律して正した。
神殿での職務も終わり、日中の暑さも和らいだ夜のこと、自室に置いてあったスマートフォンに通知が来ているのに気がついた。なにかと思ったら、お父さんとお母さん、それにデクモからメッセージが来ているようだった。
まずはお父さんのメッセージを開く。
「最近、ずいぶんとがんばっているようじゃないか。神殿が盛況だとニュースで見たよ。
人がいっぱい来て忙しいと思うけど、無理はしないでおくれよ」
相変わらず、読んでいるだけで元気の出るメッセージに思わず笑みがこぼれる。
次にお母さんからのメッセージを開く。
「この前、動画サイトであなたががんばっているところを見ました。
神殿のお仕事って、ほんとうにたいへんなのね。女の子なのにあんなに重そうなものを運ばなきゃいけないなんて。
一生懸命やってるのはわかるけれど、どうか病気と怪我だけはしないように気をつけてね」
つい、このところ聖堂の掃除で膝を痛めていることを思い出す。固い床に膝をついて掃除をするのだし、他の神官も我慢しているのだろうと思って我慢していて、先日検診の時に痛みがあることを神殿医に話したら、どうして膝に当てるクッションを使っていないのだと怒られたっけ。使っていなかった言い訳としては、使わなくても大丈夫だと思っていたからなのだけれど、実際に使うと膝の負担がかなり減った。先輩の言うことは聞くものである。
そんなことを、お母さんは見抜いたのだろうか。気をつけてね。の一言が身に染みる。
最後に、デクモからのメッセージを開く。
「姉さん、最近ちゃんと休めてる? このところ神殿はとても忙しいって聞いたよ。こっちのゴルド神殿も、最近礼拝に来る人がとても増えておどろいてるんだよ。姉さんはおどろいてない?
ねぇ、最近なかなか通話できないけど、いそがしいからなの?
姉さんは奉仕活動で地域の人とは話してるんだと思うんだ。僕も姉さんと話したいよ。次の休みの時は通話しよう。きっとだよ。
それと、ちゃんと休んでね」
なるほど、礼拝に来る信徒が増えているのは、この神殿だけではないんだ。そのことを聞いて少しおどろく。でも、それ以上に甘えるようなデクモの言葉が妙に子供っぽくてまた笑みがこぼれる。あの子は昔から甘えん坊で、よく私にかまってもらいたがっていたっけ。またそのうち通話したいな。
家族みんなから心配はされたけれど、私はそれほど無理なんてしていない。たまには家族と通話もできるし、かつて自分が望んだように神様に信仰を捧げて生活できている。
たいへんなことがあっても、家族とのメッセージや通話で十分に元気づけられた。
精力的に活動をすればするほど、信仰を深めた人々が神殿にやってくる。そう、私と対話することを求めて。
私と話すことで信仰が深まるのであれば、私はいくらでも対話しよう。神様への信仰を自覚すること、そして神様に信仰を捧げることによって救われる人もいるのだから。
そんな日々を送っていたある日、ある先輩神官から苦々しくこう言われた。
「近頃、神殿に来る人が増えたのはいいのですが、どうにも彼らは神様ではなくあなたを信仰しているようにも見えます。
あなたは、神様ではなく自分に信仰を集めようとしているのではありませんか?」
先輩神官の言葉を聞いて、体にしびれが走った。
自分自身に信仰を集めるつもりなんて、全くなかったからだ。
まさか、私自身が信仰を集めている……? そんなおそろしいこと……
こわくなって、泣きそうになって、私は先輩神官に縋るようにこう返した。
「とんでもありません。私は私ではなく、神様を信奉して欲しいのです。
ですからもし、私に信仰を向ける人がいたとしたら、あなたもそのことを戒めてはくれませんか?」
すると、先輩神官は戸惑ったようにマスクの縁を指でなぞる。
「そうですね。そのときはあなたではなく、神様を信奉するように指導しましょう。
他の神官には私からも言っておきますが、あなたからもよろしくお願いしますよ」
「はい、わかりました」
先輩神官とのやりとりをきっかけに、私は他の神官にも信仰を深める人々の相談を持ちかけた。
どうやら、神官達の中には人々に求められる私に反感を持っていた人もいくらかいたようなのだけれども、私がそういった相談を持ちかけることによって、その反感もだいぶ薄らいだ。
そうしているうちに、一時は私に反感を持っていた神官が私にこう言った。
「モイラの信仰はとても深いですから、あなたなら禁書にふれても安心ですね」
その言葉に私は恐縮するしかない。
禁書と言えば、人々を惑わす危険があるとして神殿が封印している本のことだ。
そんなおそろしいものに触れることができるほどの器を私は持っているのだろうか。
もし触れたとして、禁書に心奪われずにいられるのだろうか。
思わず不安になったけれども、自分なら大丈夫だと、なんとなく思った。