c:神官の勤め
そして炊き出しの日。まだ日が昇る前の暗い部屋の中、朝一番でメッセージチェックをすると、お父さんと、お母さんと、デクモから、昨夜送ったのだと思われるそれぞれ応援のメッセージが来ていた。
「たいへんだと思うけどがんばって」
「まだ朝は冷えるでしょう? あたたかくしていくのよ」
「姉さんなら上手くやれるよ。だって姉さんはいつも僕に優しくしてくれるんだから、他の人にも優しくできるよ」
どれも短い文だったけれど、それだけですごく勇気づけられた。
「……みんなありがとう。
でもねお母さん、こっちはもう、結構あったかいんだよ」
思わずくすくすと笑ってそうつぶやいてからスマートフォンを机に置き、マスクとローブを纏って身だしなみを整え、朝の礼拝と朝食を済ませたあと、炊き出し担当の神官達でグレゴ公園へと向かう。
災害時の避難所としても使われる広い公園。ベンチはあるけれども、子供が遊ぶための遊具は片隅に寄せられていて、他の敷地との境目には木が植えられている。木の根元では、青い春の花が色づいていた。
今日このグレゴ公園で炊き出しをすることは、あらかじめ街の掲示板や駅、協力してくれるお店の外壁などにポスターを作って掲示していたので、全員とまでは行かないまでも、必要な人の多くには伝わっているはずだ。
そしてその予想通り、たくさんの人が炊き出しの列に並んでいた。
「すいません、そちらの列整理おねがいします!」
「あの、神官の方どなたか来てください!」
そういった声があちこちから上がる。
神官以外のボランティアにも配布や列整理を手伝ってもらっているのだけれども、こういった炊き出しに来るような人の中には、言い方は悪いけれども難のある人も少なくない。列整理をしているボランティアや神官に絡んで延々と話す人や、中には怒鳴りつける人もいる。こんな時、デクモのようなギフトが自分にもあればと思うのだけれども、私は私が授かったもののうちでやるほかない。
でも、私が授かったギフトはなんなのだろう。いまだにそれがわからなくて、どう生かせばいいのかがわからない。けれども、私はできることを精一杯やるだけだ。
「神官さんよ、おれぁもう何日もまともに食ってないんだ。
多めにくれるよな?」
話しかけてきた薄汚れた老人が私の手をつかむ。表面に貼られた合皮が所々はがれているぼろぼろのマスクを付けているこの老人は、おそらく宿無しだろう。
この人が助けを必要としていることはわかる。けれども、私はこう返すことしかできない。
「みなさんに与えられる施しはみな同じです。
神様の恵みと同じです」
「なんだあ? ちょっとくらい増やしてくれたっていいだろう!」
怒鳴りつける老人の声に思わず身がすくんだけれども、ここで恐れてはいけないし、怒鳴り返してもいけない。私はなるべく口元に笑顔を浮かべて返す。
「申し訳ありません。ここにいらしている方で、そういった方は多くいらっしゃいます。
誰かひとりを特別扱いするわけにはいかないのです」
「けちくさいこと言うんじゃねぇよ!」
老人は自分の分の食料をもらうまでねちねちと私に絡み続けたけれども、私はがんばってその話を聞いて、言葉を返し続けた。
そして、老人が食料を受け取ると、他の人と同じ量だということに不満をもらしはしたけれども、食料を食べているうちに落ち着いてきて、私にこう言った。
「神様の恵みってのはありがたいねぇ、神官さんよ……」
それから、食料を食べ終わったあとに神様に感謝を捧げる所作をした。
炊き出し以外にも、私は神殿が行う奉仕活動へ積極的に参加した。
早朝の地域の清掃や、独居老人宅への訪問、それに、子供達が参加するレクリエーションの準備など、内容は様々だ。
ある晴れた日のこと。
「なーに、神官さん。おそうじですかぁ~?」
清掃活動の時に、こうやって朝帰りと思われる若者たちに絡まれることがある。少々悪い態度で接してくるけれども、私は笑みを浮かべて返す。
「そうです。こちらで清掃活動をしております。みなさまの暮らしがより良く、神様といられますように」
すると、若者たちは口笛を吹いてから足下に転がっている空き缶を拾い上げる。
「俺たちもちょっとやってみようかな」
「これで神様から褒められたらウケる」
そう言った若者達は、そのまま周囲がきれいになるまで清掃活動を手伝ってくれた。
「神官さん、アタシたち神様に褒めてもらえるかな?」
「もちろんです。あなた方に祝福があるよう」
清掃活動を手伝ってくれた若者達は、手を叩いてよろこんで、どこかへと向かっていったっけ。
そしてまたある日のこと。
「ごめんください。本日お伺いさせていただく神官のモイラですが」
「ああ、神官さんいらっしゃい。待ってたんですよ」
すでに夫を亡くし、長らく独居しているおばあさんの家へとお邪魔した。目的は、こういった老人の安全確認と体調の確認、それと防犯だ。
けれども、私たち神官に訪れてもらう老人としてはそのような目的はどうでも良く、ただおしゃべりができるのが楽しみなようだった。
「もうね、うちの子達もバチカ神殿のお祭りの時しか帰ってこないのよ」
「そうなのですか?」
「そうなの。仕事が忙しいからって。
でも、神官さんがお仕えしている神殿は大きいところでしょう? そこのお祭りはさすがに行かなきゃだめだって言ってね」
「そうなんですね。それなら、こちらも歓迎できるようにお祭りの準備をがんばりますね」
そんなとりとめのない話を長い時間続ける。いろいろと話を続けて、そろそろ次のお宅に向かわなければならない時間になる。
「それでは、今日はこの辺でお暇します。
またお邪魔しますから」
「どうぞよろしくね。神官さん」
こういった長話に付き合うのはたいへんと言えばたいへんだけれども、自分が生まれる前の話を聞けたりして楽しい時間でもある。幼い頃に亡くなった祖父母を思い出せるようだから。
それになにより、こうやって神官と話せることを、老人達は神様に感謝していると言うのだ。
さらにまたある日のこと。
虫の声が響く地域にあるちいさな神殿、一般的には社といわれるところの集会所で、子供達のためのレクリエーションの準備をする。今回お邪魔しているのは、バチカ神殿からシリカラインのトラムで二時間ほど離れた場所にあるシトリ神殿だ。
色紙や工作用紙で作ったおもちゃを並べ、紙の輪っかを連ねたもので壁を飾る。ここの神殿の神官が焼いたクッキーもたくさん用意して、今月誕生日を迎える子供達のお祝いをここでやるのだ。
時間になって子供達がやってくる。名簿を確認して全員揃ったところで、シトリ神殿の神官が挨拶をする。
「今日はみなさんのお誕生日のお祝いです。たくさん楽しんでくださいね。
こちらの神官さんも、みなさんのためにがんばってくれました」
そう紹介されたので軽くお辞儀をすると、子供達がはしゃぎ出して私に話しかける。
「しんかんさんがクッキーつくってくれたの?」
純真な目で見られて一瞬言葉に詰まる。私は料理ができないということは、なんとなく言えない気がした。なのでこう返す。
「クッキーは、いつもの神官さんが作ってくれましたよ。
私が作ったのはおもちゃの方です」
すると、子供たちは紙でできたおもちゃを手に取って楽しそうに笑う。
「しんかんさんじょうず!」
「どうやってつくったのぉ~?」
「つくりかたおしえて!」
あまりのはしゃぎように、思わず笑い声が漏れてしまう。
「はさみが上手に使えるようになったら、教えますよ」
「ほんと?」
「きっと、いつもの神官さんがね」
すると、このやりとりを聞いていたシトリ神殿の神官が苦笑いをする。
やってしまった。そういえば、この人は工作が苦手だと聞いた気がする。
子供達がクッキーを食べて、それぞれに紙のおもちゃを手に取って口々に言う。
「かみさまからのプレゼントだ!」
その自慢げな声は、私の心をほのぼのとさせてくれた。
奉仕活動のときに目にする些細な感謝と信仰が、私の神官としての活動の励ましになったし、何よりのよろこびだ。
そんな日々を過ごすうちに、記録係の神官が首をかしげて不思議そうにこう言った。
「なんか、最近神殿にお祈りに来る人が増えてるんですよねぇ」
拝観者数やお布施の数字をまとめる手伝いをしていた私は、たまたまその言葉を聞いた。
他の神官も、不思議そうに言う。
「前はこんなに多くなかったのに、なんででしょう?」
その言葉を聞きながらなんとなく過去の記録を見てみると、たしかに、ここ一年ほどで拝観者数とお布施の数字が増えている。
ここ一年でいったいなにがあったというのだろう。私自身、この神殿で神官として勤めはじめてからそれくらいしか経っていないので、過去どんな状態だったか、なにがきっかけなのかはわからない。
不思議に思っていると、記録室のドアを叩く音が聞こえた。
私がドアを開けると、今日の拝観者案内担当の神官が私に言う。
「モイラ、お仕事中ですが来ていただいていいですか?
あなたとお話ししたいという方がいらしてまして」
「はい。わかりました」
そのやりとりを聞いていた記録係の神官が困ったように、またか。と言って笑う。
神官になって祭祀の手伝いや奉仕活動に出るようになってからというもの、私と話をしたいという人がこの神殿を訪れて、呼んでくることが頻繁にある。
こういったことは他の神官も多く経験しているのかと思ったけれども、先輩神官に訊いてみたところ、余程人の話を聞くのが上手い神官でもない限り、そんなことは滅多にないのだという。
「モイラは、人の話を聞くのが上手いですからね」
その言葉に、なんだか照れくさくなる。
私に会いに来た人たちは、私と話したあと、深く深く神様に祈りを捧げてから帰って行く。それもいつものことだ。
私はそんなに、人の話を聞くのが上手いのだろうか。すこし疑問だけれども、これで神様への信心が深まるのであれば、それはそれでいいのだと思っていた。
聖堂に入ると、祭壇近くの席に女性が座っている。きっと、あの人が私を呼んだのだろう。
入り口から祭壇までまっすぐに伸びる赤い絨毯の上を歩き、女性の元へ行く。
「お待たせしました。お話を伺いましょうか」
私がそう言うと、金色の装飾入りの赤いマスクと真っ赤な口紅をつけている、いかにも派手な身なりの女性が、体をこちらに向けて口を開く。
「あら、ほんとうに来てくれるなんてうれしい。私、あなたのことを神殿が出してる動画で見たのよ。
それで、お祈りって神殿でするとどうなのかしらって思ってこの前来てみたんだけど……」
女性はとりとめも無く、一方的に話を続ける。たまに言っていることが理解できなかったりはしたけれど、私は微笑んで相づちを打つ。
「それでね、うちの旦那に、おまえがバチカ神殿に行くなんて信じられないよ。って言われちゃって。失礼よね。
でも、この神殿に来てあなたの姿を見ると安心するもの。動画で一生懸命お仕事してるところも応援してるのよ」
「お褒めの言葉と応援ありがとうございます。神殿の礼拝へは、旦那様もご一緒ですか?」
「とんでもない! あの人はめんどくさがりだから、お祈りは近所の神柱で済ませちゃうのよ」
神柱というのは、昔から道ばたによく作られている、菜の花の模様を彫り込んだ柱だ。どこにいても神様が見守ってくれているようにと、神様の象徴である菜の花を彫り込んだ柱を立てる風習が昔からあり、いたるところに立てられている。
神殿や社が自宅から遠い人や行くのが困難な人が、最もちいさな神様の象徴として、そこで祈りを捧げることも少なくない。もちろん、神殿での礼拝に行くのが苦手だったり、この女性が言っているように面倒な人も、神柱で数日に一度の祈りを済ませることもあるのだ。
「あの人もこの神殿に来ればねぇ……」
いかにも文句ありげな女性に、私はこう返す。
「そうですね、神殿に来てお祈りをしていただけると、我々がみなさんの無事を確認できますので安心です。
ですが、祈りを神様にあげているのであれば、その祈りはどこで行われたものであれ、等しく尊いものですよ」
「あら……あなたがそう言うなら、そうなのよね。きっと」
女性は私の言葉に深く頷いて、それから、神様への祈りを時間をかけて捧げてから帰って行った。
このようすを、いつから見ていたのだろう。気がつけば神殿の壁際にいた神官長が固い足音を立ててやってきて、私に声をかけてきた。
「もしかしたらあなたには、人々の信心を奮い立たせる力があるのかもしれませんね」
「え?」
神官長の落ち着いた言葉に驚きを隠せない。
思わず戸惑う私に、神官長は口元に笑みを浮かべて続ける。
「さすが、神様の祝福を受けているだけのことはあります」
「……ありがとうございます」
私には、ほんとうに人々の信仰を奮い立たせる力があるのだろうか。
実際の所はわからないけれど、もしかしたら、それこそが私が神様から授かったギフトなのかもしれない。
だとしたら、神様はなんて素晴らしい力を与えてくれたのだろう。私はこの信仰を持ってして神様の役に立てるのだ。
そう誇りに思うと当時に、胸が痛んだ。
この痛みはなんだろう。私はたしかに、神様に信仰を捧げることを誇りに思っているのに。