b:神殿での生活
「卒業生モイラ。これからは神官として正しく神にお仕えするように」
菜の花が咲き乱れる季節、神殿の周りに植えられているような菜の花畑と、それを照らす星々が天井に描かれた神殿の聖堂で、神官長からそのようなことばを賜ったのはいつのことだろうか。
私は、世界中の神殿を統べる大いなる神殿、神様の住む社への鍵を託されたと伝えられているバチカ神殿に仕えることになった。
硬い大理石に敷かれた絨毯の上に跪き、神官長から神官として認められ、神官用のマスクを賜ったあの時、心の奥から誇らしく、身が引き締まる思いをしたのを今でもよく覚えている。
神様の祝福を受けた者として、大学を卒業したあとに神学校に進んだ私は、神学校卒業と同時に神様に仕える神官となったのだ。
神官だけが着けることができる白いローブとベール、それにプラチナの装飾が入ったマスクは、私の誇りだった。
私が生まれる前から、小学生以上の人々はみな、顔の上半分かそれ以上の面積を覆うマスクを着けて生活することが当たり前だった。家族以外、いや、場合によっては家族にすら顔をさらすことは恥とされているのだ。顔を見せることがあるとすれば、まだマスクを着けることができないほど幼いか、心を許しあった恋人や伴侶の前でだけというのが当たり前だ。
なぜなら、日常的に顔をさらすということは、マスクを着けることがない神様の姿に近づくということになる。なので、神様に対する敬虔さと信仰を示すためには、神様の姿から少しでも離れるためにマスクを着けることが推奨されている。少なくとも、神学や歴史を学んだ者はそう言っている。今ではそういった理由も知らず、ただ普通のマナーとなってマスクを着けることが普及し、顔を人前でさらすことは恥とする人も多い。大人になってから顔を見られるのは、裸を見られるのと同じ感覚なのだ。
もっとも、家の中ではマスクを着けない、いわゆる裸族というものもいるにはいるけれどあまり褒められたものではない。
それを不便に思ったこともないし、疑問に思ったこともない。私も、神学校に入る前はいろいろなマスクを着けておしゃれをしながら社会のルールを守っていた。
神学校に通うようになってからは節制の証として、式典などにも使える、けれども普段使い用の汎用型のマスクを着けて過ごしたものだった。
そんなマスクの中にもTPOや格というものがある。その中でもプラチナの装飾が入ったマスクは、神様に仕える神官だけが着用を許されているものだ。このマスクを賜った時、私はどれだけのよろこびと、厳粛な気持ちを抱えたことか。
神官用のマスクを手に持って感極まる私に、他の神官が声をかける。
「これからはあなたも我々の仲間です。共に神様と、神様の教えのために尽力しましょう」
「はい。がんばります」
緊張してありきたりな返事しかできない私に、神官長が優しい声で言う。
「なにか困ったことがあったら、私や、他の神官に相談するのですよ。
私たちはあなたの味方です」
その言葉にただただ恐縮するしかできなくて、やはり神様に仕える人達は、たくさんの優しさと愛を持っているのだなと思った。
神官になって、神殿の宿舎に寝泊まりするようになってから、まずは日常の雑事と祭祀の手伝いをした。
「早速ですが、今年神官になったあなたには、まず聖堂の掃除の仕方から覚えてもらいます」
普段、聖堂だけでなく神殿全体や宿舎の清掃のとりまとめをやっている神官からそう告げられたのはいつだったか。
床や信徒のための長椅子を傷めないように、聖堂を清めるための雑巾……聖堂を掃除するものに限っては浄巾というらしい……を手に取り、まずは長椅子から拭いていく。長椅子が置かれているところには絨毯が敷かれていないので、固い床に膝をついていると痛くなってくる。けれども、祈りの場を清めるこの仕事は、心を晴れやかにしてくれた。
熱心に椅子を磨き、それから、菜の花のレリーフが彫られた壁のほこりを落として拭いていると、指導役の神官が口元をにこにこさせてこう言った。
「あなたはずいぶんと手際が良くて丁寧ですね。信仰の篤さを感じます」
「あっ、ありがとうございます!」
神官になったばかりなのにそうやって褒められるのはおどろいたけれど、うれしかった。冷たいはずの聖堂の床も、壁もすべてあたたかく感じるほどに。
神官になりたての私の役割は主に雑用だったけれども、家でやっていたお手伝いの経験からか、掃除や洗濯は他の新人神官よりもうまくやっていると先輩神官からよく褒められた。祭具の取り扱いも、まだ未熟な部分はあれども信仰の感じられる丁寧な手つきだと言われた。あまりにも先輩神官から褒められるので、うれしさもありながらどこか照れくささもある。
ただ、料理だけはどうにも苦手で、どうしても上手く作れないので、見かねた厨房担当の神官から厨房への出禁を食らってしまったけれども。
数日に一度行われる、一般信徒のための礼拝がある日も、私は朝早くから作業着に着替え、聖堂の掃除をする。日が昇る前からの作業なので、電灯のない聖堂を照らすためにたくさんの蝋燭を灯し、浄巾で拭いていく。それが終わると、先輩と礼拝に必要な道具の準備だ。
礼拝の時に祭壇に飾る金属製の菜の花の造花をすこしずつ運んでいると、先輩神官からこう声をかけられた。
「あなたはほんとうに、神様のためのものを丁寧に扱うのですね」
「はい。神様のためですから」
「時々、その造花を一度にたくさん運ぼうとして、怪我をする神官もいるのですよ。
そんなことをすると造花がゆがみますし、なにより怪我をするとたいへんです。
モイラも、たとえ仕事に慣れてきても、今の気持ちを忘れないでくださいね」
「はい。心に命じます」
少し照れながら先輩神官に造花を渡していくと、先輩神官は大きな金属製の花瓶に造花を生けていく。金属の菜の花は、神様の象徴としてふさわしいもののように見えた。
礼拝の準備が終わって、いったん宿舎の自室に戻り、作業着から祭祀用のローブに着替える。それからまた聖堂へと向かう道すがら、他の先輩神官と合流する。
「モイラ、おつかれさま」
「聖堂の掃除だったのでしょう?」
「これから祈りの時間ですから、居眠りはだめですよ」
慈しむようにそう声をかけてくる先輩神官達の言葉に、私は気を引き締めて返す。
「はい。礼拝中もしっかりと、祈りを捧げます」
そのまま聖堂に着き、神官が立つべき場所へと移動する。私が立つのは並ぶ神官達の一番端だ。
時を告げる鐘が鳴り、聖堂の扉が開く。すると、ちらほらと信徒達が入ってきた。
長椅子の半分ほどを埋める信徒が集まったところで、礼拝の開始時間になる。
「神慮めでたく」
神官長の挨拶の言葉のあと、祈りの言葉が読み上げられる。
「我らが星間宇宙の帝王、どうかあなたのまします社から、我らを見守ってください。
あなたの化身である黄色い花を……」
神官長が読み上げる祈りの言葉が、聖堂の中で反響する。厳粛な時間だ。
神官長の祈りの言葉を聞きながら、私も神様に祈りを捧げる。きっと信徒達もそうだろう。とても心が安らぐ。
祈りの言葉が終わったら、信徒達に宝石のような琥珀糖が配られる。これは神様の恵みの象徴だ。これを食べることにより、身を清めて祈りを深めるのだ。
先輩神官が固い足音を立てて長椅子の間をまわり、琥珀糖を配っていく。その姿を、私は祈りを持って見つめていた。そう、すこしだけ、ほんとうにちょっとだけ、甘くておいしい琥珀糖を食べられることに期待を寄せながら。
そのように、私は礼拝や祭祀の間、神官として目立つようなことはしていないのだけれども、祭祀に興味を持つ一般の人々向けに公開する、祭祀の準備中の動画を撮ることが時々あった。
動画を撮るのはカメラの扱いに慣れている神官がやるのだけれども、そのレンズの中に、時折私の姿がおさめられていた。
正直言ってしまえば、祭祀の準備中はそのことを気に留めている余裕などないのでしばらくそのことを知らなかったのだけれども、ある祭祀のあとに、ノマキの実家にいる両親からメッセージが来て、動画に映っていたことを知ったのだ。
休みの日に久しぶりに両親と通話をすると、画面の前にお父さんとお母さんと、弟のデクモが、家用の布マスクを付けたままぎゅうぎゅうに並んで口々によろこびの声を上げていた。
「モイラ、神殿の動画を見たよ。
がんばってやってるようじゃないか」
お父さんの言葉に、思わず照れ笑いをする。なんだか少しこそばゆいけれど、うれしくてつい膝を軽く叩いた。
そうしていると、お母さんも上機嫌に言う。
「あなたは昔からそそっかしいから、神殿でなにかやらかしてないか心配だったの。
でも、うまくやってるのね」
「うん。先輩達にもがんばってるってよく言われるよ」
私がそう返すと、デクモが期待に満ちた声でこう問いかけてくる。
「姉さん、昔から料理が苦手だけど、料理もできるようになったの?
神殿で暮らすのに、料理作ったりもするんでしょ?」
その言葉に、一瞬口元が固まる。
それから一呼吸置いて、まごつきながらこう返す。
「あー……厨房は出禁くらってて……」
「そうだね。姉さんそのレベルだもんね。
出禁くらってて逆に安心したよ」
デクモのこの言葉は、聞きようによってはいらつくかもしれないけれど、なぜかデクモが言うと全く神経に障らない。逆に落ち着くくらいだ。彼はわりと頻繁にそんな口をきくのに。昔はそれが不思議だったのだけれども、今なら理由を知っている。
話を変えるように、私はデクモにこう訊ねる。
「デクモも仕事の方はどう?
鉄道員って夜遅かったり朝早かったりするって聞いてるし、たいへんでしょ?」
鉄道員と言えば、トラムやトランジットなどの公共交通機関を運行する仕事だ。ノマキあたりのトラムは鉄道員がひとりで運転をしたりするワンマン運行なので、あの鉄の塊をかわいい弟が扱っていると考えると、なんとなくこわくなってしまう。シフトもたいへんそうだし……
すると、デクモは口元をにこにこさせながらこう返す。
「夜遅いのは元々慣れてるけど、朝早く起きるのも慣れたよ。
駅の部屋に泊まってると、起きる時間にベッドが立って物理的に縦にされるからちゃんと起きられるし」
「物理的に縦」
思いのほか強引な鉄道員の宿泊事情におどろいたけれども、私はもっと不安に思っている部分を訊ねる。
「起き方はともかく、トラムの遅延とかあると面倒なお客さんとかいるんじゃない?
昔、遅延がある度に絡まれてる駅員さんを見かけたけど」
そう、デクモが厄介な乗客に絡まれて嫌な思いをしたり、怪我をしたりしていないかが心配なのだ。だって、大事な弟が仕事で嫌な目に遭うのなんて、私としても嫌だから。
けれども、デクモはすこし自慢げにこう返す。
「絡まれることはあるけど、僕が話すとそういうお客さんも大人しくなるからね。
まあ、だから、厄介なお客さんを押しつけられがちはあるけど、僕が話せば納得してくれるから」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
そう、デクモと話せばどんなに不機嫌な人でも落ち着いてしまう。話すことで人の心を落ち着かせるというのが、デクモが神様から授かったギフトなのだ。
これを悪用しようと思えばいくらでも悪用できるのだと思う。けれども、そうしないようにお父さんもお母さんもしっかりとデクモに言い聞かせていた。結果として、このように立派な弟に仕上がったわけだ。
もっとも、お母さんのギフト自体が、人を諭す能力だというのもあるのだけれども、お母さん自体できた人間なので、それを悪用することはない。私も、人として善く生きるようにとお母さんから言い聞かされて育って、今があるのだ。
私とデクモの話を聞いていたお父さんが笑って、私に話しかける。
「デクモもこうだし、モイラも神様から授かったものを生かしてがんばるんだよ。
お父さん達も応援しているから」
その言葉を聞いて、心が活気づいてくる。お父さんの言葉には、人を元気づける力がある。これもまたお父さんが神様から授かったギフトだ。
大切な家族と話して元気づけられて、気がつけば長話をしてしまった。そろそろ通話を切らないと迷惑だろう。
最後に、私はお父さんとお母さんとデクモに言う。
「来週、神殿の人たちで炊き出しをやるの。
それがちょっとたいへんだから、前の日あたりにみんなから応援のメッセージが欲しいな」
すると、お父さんもお母さんもデクモも、もちろんと言って手を振る。それから、がんばってと声をかけてくれてから通話を切った。
家族の姿が消えたスマートフォンを机の上に置いて一息つく。今は離れて暮らしているけれど、私は今でも家族とつながれているんだと思うと安心したし、このことを神様に感謝した。