e:復讐の神官
私たちの赤ちゃんが、神様の伴侶としての特徴を持っているという話は、あっという間に産院の中に広まった。医者や看護師さん、それに助産師さんだけでなく、他の妊婦さんも物珍しさか、あやかろうとしているのか、私が入院している個室に入れ替わり立ち替わりやってきた。
「あの、お祝いの言葉はうれしいのですが、妻は出産後で疲れていますので、なるべく手短に……」
次々にやってくる人達を夫が疲れた声で捌いていく。
それを続けて翌日。昼頃に、まだ押し寄せていた人達が割れるように道を作った。
なにかと思ったら、大きな荷物を持ったモイラがやってきたのだ。
人々が割れて作った道を、モイラが堂々と歩いてくる。その姿は得体の知れない神々しさがあった。
モイラが人々に言う。
「みなさん、この方への祝福をありがとうございます。
これから、祝福を授ける儀式をいたしますので、どうか皆さん、お引き取りください」
威厳ある言葉に、人々は指を組んで祈りを上げて、個室から出て行った。
私と、夫と、赤ちゃんと、モイラだけになった個室で、モイラが鞄を開ける。取り出したのは菜の花の造花だ。
モイラは菜の花の造花を赤ちゃんの上で振りながら、神様への感謝の言葉と、祝福の言葉を唱える。
それを聞いて私は安心した。
モイラの中には、もうすっかり神様への信仰はない。ずいぶんと上手く隠しているけれども、神様へ一矢報いるための牙を研いでいることさえ伝わってくる。
形だけの祝福の儀式が終わってから、モイラは昔と変わらない笑みを口元に浮かべて私に言う。
「私が来たからもう大丈夫」
それを聞いてうつむくと、着けているマスクの中に涙がこぼれる。ほんとうにこの子は、神様に連れて行かれずに済むのだろうか。モイラが守ってくれるのだろうか。
そう思っていると、突然鈴の音が聞こえた。なにかと思って顔を上げると、そこには菜の花色のフード付きのマントを羽織り、マスクを着けていない人物が光を背負って立っていた。
これは神様だ。そう確信した。
姿形も、今までの記録に残っているものと一致するし、幼い頃に見た私の記憶にあるものとも同じものだ。
神様がじっと赤ちゃんを見る。私は咄嗟に赤ちゃんを抱きしめる。赤ちゃんを連れて行かれるなんて絶対に嫌だ。この子を妹みたいな目には遭わせたくない。
「その子はもらい受ける」
そう言った神様が赤ちゃんに手を伸ばす。私は赤ちゃんを隠すように抱きしめ、恐怖と怒りに震えながらこう叫んだ。
「モイラ、助けて!」
それと同時に、モイラが私と神様の間に割って入る。
「旧神ハスター、今こそひれ伏せ!
新しき神ドラゴミールの前に!」
モイラがそう叫ぶと、個室の中に存在していた影が、闇が、一カ所に集まり人の形を取る。マスクを着けていないにもかかわらず貌のわからないこの闇の塊が、新しき神なのだろうか。
闇の塊がざわめきのような声を上げながら神様に手を伸ばす。
いったいこれからなにが起こるのだろう。
私の赤ちゃんは、連れ去られずに済むのだろうか。私の元に留めておくことができるのだろうか。
なにもわからない。とにかくこわくて、私はより一層強く赤ちゃんを抱きしめる。
「たかが人間になにができる」
これは神様の声だろうか。昔聞いたものと同じようにひどく冷たい声だ。
いったいなにが起こっているのだろう。モイラはどうなっているのだろう。
なにもできずに震えながら目を閉じていると、赤ちゃんが大きな声で泣いた。




